第8話 2020年2月21日(金)

 今日は都立高校の入試日なので、樹は朝早い時間に友達二人に応援メッセージを送った。私立は都立よりも早い時期に結果が出るので樹は既に進学先が決まっていたが、この二人は今日の試験で結果が決まる。二人とも同じ高校を受けるので、今頃は同じ試験会場へ向かっているはずだ。

 返事は試験が終わってからで良いと書いたのに、八島日向やしまひなたからは本番当日の朝とは思えない気楽な返事が返ってきた。元々緊張するような性格ではないので不思議は無いが、気負いなくいつも通りに回答して来るのが日向ひなたらしかった。もう一人の山田香澄やまだかすみからの返事は無かった。精神的に余裕が無い事は分かっていたので意外には思わなかった。都立高校の入試は共通問題だが、一部の都立高校では難易度を上げるために自校作成問題を使う。香澄かすみが合格するとは思えない。二年生の終わりまで部活一本だった香澄かすみが学年一番の日向ひなたと同じ高校に願書を出す程のチャレンジャーだとは誰も思っていなかった。

 残念な事に一晩寝たら足の腫れはかなり引いていた。午前中のリハビリで担当医から装具を渡された。プラスチックとマジックテープでできていて、脛に巻くように装着して固定する。一通り装着練習をした後、軽く装具歩行練習を行う。今日のところは装具に慣れるのが目的のようだ。無茶をしたばかりなので、リハビリは普段の半分くらいの時間で終わりになった。今日もさくらと話す時間はたっぷりありそうだ。

 夕方に日向ひなたからメッセージが来た。一緒に試験会場から帰る途中なのでどこかで会わないかという誘いだった。どうやら骨折の件は伝わっていないようだ。今の時期は欠席者も多く、登校していなくても目立たない。カミングアウトするには良いタイミングだ。

『すまん無理。実は先週から入院してる』

『病気?』

『足折った』

『マジ? どこの病院?』

『浅草のS病院。303号室』

『何か持ってく?』

『来週には退院するから大丈夫』

『おけ』


 一時間後に二人はやって来た。

「水野、何やらかした?」

 制服姿の香澄かすみが嬉しそうに病室に入って来た。試験が終わって少しハイになっているようだ。百七十三センチの長身で、細いが筋肉質だ。良く通る声が特徴的だった。

「スパーリング中の事故」

「お、武勇伝ゲット」

 体育会系らしいコメントが返ってきた。

「全治一年だぞ」

 その後ろから香澄かすみよりさらに長身の日向ひなたがやって来た。こちらも試験帰りなので制服姿だが、見た目だけなら高校三年生でも通用しそうだ。樹がねぎらいの言葉をかける。

「お疲れ。試験どうだった?」

「疲れた〜〜」

 そう言いながら二人は昨夜松葉杖代わりに使ったままベッドの間に置いてあった椅子に座った。付き合いが長いので樹には日向ひなたの発言の行間が読めた。自信有りだ。

「一緒に高校通う事はなさそうだな」

 日向ひなたの滑り止めは樹の高校だった。今日の第一志望に不合格だった場合には、同じ高校へ通う予定だった。本音を言えば若干残念ではあった。そこへ香澄かすみが割って入った。

「そうだよ、やっしーは私と一緒に高校に通うんだよ」

「それ、こいつの事を言ってるんじゃないよな? 一応聞くけど、出来はどうだった?」

「まずまずって所かしら? まぁ、結果は再来週には分かるし……」

「合格したら本書けるぞ。脳筋ギャルのサクセス・ストーリー」

「何言ってるの? 私は知性派デビューするんだから」

「デビューって言ってる時点で違うって言ってるようなモンだろ」

「ドMの変態に私のエレガントな知性を理解するのは難しいみたいね」

「可愛そうだから今のうちに言わせてやる」

 椅子に座った巨人二人の肩の間からさくらが緩む口元を抑えている様子が見えた。

「脳筋、後ろで吹かれてるぞ」

 二人が振り向いてさくらを見た。さくらは突然話を振られたが、努めて笑顔で挨拶した。樹に当たり散らしていた姿からは想像出来ない。

「こんにちは。土屋つちやさくらです」

 樹には名前しか言わなかったのに今日はフルネームだ。初めてさくらの名字を知った。

「どうも、樹の同級生の山田香澄やまだかすみです」

八島日向やしまひなたです」

 つられて二人ともフルネームで自己紹介した。

「二人共よろしく」

「ねえ、水野の隣のベッドに寝てるんでしょ。危ないから気をつけた方がいいよ。木刀貸そうか?」

 早速香澄かすみが絡みだした。

「俺の隣だと何で危ないんだ?」

「それよりも樹をベッドに繋いどけば安全だよ。ウチの犬の首輪持って来ようか?」

 日向ひなたが笑顔で引き取った。

「大丈夫ですよ。彼は紳士だから」

 さくらが笑顔で答えると、二人同時に樹に振り向いた。

「お前……」

「落ち着け」

「どういう事?」

「違うから」

「ねぇ、あなた何年生?」

 香澄かすみがさくらに確認するように聞く。樹は質問の意図を想像できたが、何も言わなかった。

「通学はしていないけど、春から高二です」

「えっ、失礼しました!」

 香澄が突然立ち上がって頭を下げる。やはり思った通りだった。

「いいんですよ、気にしないで」

「で、さくらさんはこのアニマルのどの辺を紳士的だと?」

 思わず付けた『さん』に習慣が透けて見える。

「アニマル? もの凄く優しいですよ」

 さくらが満面の笑みで応えると、日向ひなた香澄かすみが目を合わせる。

「どう思う?」

「こいつ、私達が受験で糞みたいな青春送ってる間に一人だけいい思いしてたんじゃない?」

「入院して数日で?」

「ケダモノだね」

「はいはい、そういうのはいいから。試験お疲れさん、帰っていいよ」

 樹は追い払おうとしたが二人はその後も居座り、ニヤニヤしながら帰って行った。


「はい、じゃあ寝るよ!」

 録音した音声ではないかと思うくらい毎日変わらぬトーンと声量だった。部屋の明かりが落とされた。さくらの予想通り、樹は消灯直後にやって来た。

「面白い人達だったね、今日の二人」

 毛布をかぶるとさくらが言った。

「ある意味もの凄く」

「二人共付き合い長いんでしょ?」

日向ひなたは小学校から。山田は小中一緒だったけど、付き合いはこの一年くらいかな」

「そうなんだ? あんな仲良さそうなのに」

「存在は知ってたよ、あいつは何かと目立つから。単に関わる事がなかっただけ。俺も日向ひなたも帰宅部だったし」

「それは接点なさそうだね。ところで香澄かすみちゃん、試験ヤバいの?」

 今日会ったばかりの相手でも当然のように名前で呼ぶ辺りがさくららしかった。

「ヤバいと言うか参加賞狙い? よく担任が調査書いてくれたと思うよ。ウチの中学から行く奴は多くないんだよ。日向ひなたは数年ぶりなんて言われているけど、山田はね」

「そんなに難しいんだ」

「あいつ二年生の終わりまで部活ばっかやってて、本気で勉強始めたの三年になってからだぜ」

「大変じゃない」

「それなりに真面目にはやってたみたいだけど、部活も辞めてないし。相当だろうね」

「それで間に合うものなの?」

日向ひなたを使い倒したんだよ」

「どうやって?」

「家庭教師代わり。他の奴だったらブチ切れてたんじゃね」

「まあまあ、それくらいで怒ったりしないでしょ」

「休み時間、放課後、しまいには自習室まで付きまとって図々し過ぎるだろ。道連れに試験落とそうと自爆テロ狙ってんのかと思うわ」

「樹、日向ひなた君を取られて怒ってるの?」

「何、その腐った発言?」

香澄かすみちゃんが樹をイジりたくなる気持ちも分かるな」

「イジりじゃなくてイジめじゃね?」

「樹の事が嫌いなんじゃないと思うよ。悪意感じないし」

「それは分かってるけどさ」

「嫌いじゃないけど、時々邪魔なんじゃない?」

「何それ?」

「ふふふ……」

 毛布の中で顔は見えなかったがさくらが笑っている事は明らかだった。

「アニマル」

 突然さくらが言った。

「え?」

「言われてたじゃない、樹の隣は危ないって」

「はいはい」

「確かに危なかったね。客観的に見て夜に布団に忍んで来るって相当じゃない?」

「いや修学旅行の定番でしょ」

「バレて捕まったって言ってたけど、誰と捕まったの?」

日向ひなた

「やっぱり。その時布団にいて逃げ切ったのは誰?」

「同じ部屋の奴ら四人。日向だけ逃げ遅れた」

「同じ部屋のなんだよね?」

「そうだよ」

「って事は男子じゃないの?」

「当たり前じゃん」

「……樹って当然のようにとんでもない事するね。お馬鹿ってズルいよね」

「葉月みたいな事言うなよ。あれは悪かったって」

「やっぱりそういう事だったんだ。明日お礼言っとこう」

「知ってたのか」

「お馬鹿なガキんちょが自分で気付くなんておかしいと思ったんだ」

「たいして年変わらないくせにガキ言うな」

「言うよ。もう少し大人になってからかかってきな」

「自分だってガキみたいなクセに」

「あれは樹がズルいからだよ」

「何もした覚えないけど」

「……そういう所がガキなんだよ」

 その夜も深夜まで話し続けた。

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