第7話 2020年2月20日(木)
朝起きるとさくらの機嫌はすっかり元に戻っていた。笑顔で午前中の診療に送り出してくれた。診察で即日退院は言い渡されなかった。樹の賭けは成功だった。それでも数日様子を見て異常がなければ、月曜日には退院すると宣言された。早く出て行って欲しいという空気が伝わって来た。確実に退院させるためだろうか、リハビリは中止となり一日ベッドでおとなしくしているよう命じられた。303号室の自分のベッドに戻ると、さくらが初めて会った日の笑顔で迎えてくれた。退院が延びた事を知って喜んだが、月曜日と聞いて微妙な顔になった。残りの時間を最大限有効に使おうと二人で消灯時間まで話し続けた。
「はい、じゃあ寝るよ!」
定例のルーチンに従ってカーテンが引かれる。二人のベッドの間のカーテンも引かれたが、まだ話し足りなかった。いつもならそのまま寝る所だが、カウントダウンの始まった今となってはこのまま大人しく寝る気にはなれない。樹は丸イスを松葉杖代わりに移動し、ベッドの間のカーテンをくぐった。さくらは起きていた。樹のベッドの方を見ていたのか、カーテンをくぐった瞬間に目が合った。消灯直後でまだ皆起きているはずなので、顔を寄せて出来るだけ小さな声で話した。
「遊びに来た」
「見つかったら怒られるよ」
「大丈夫。初犯だし」
「理由になってない」
「さくらはもう二回やってるじゃん」
「静かに」
声を落としてさくらは続けた。
「あれは樹が痛そうだったから。これとは違うでしょ」
「じゃあ、どこか痛くなって」
「無茶過ぎ」
「ほら痛くなってきた。痛いだろ? 痛いって言え」
「はいはい、痛い痛い」
さくらは渋々付き合った。
「ほら、これで同じ」
「し・ず・か・に」
声を潜めてもあまり効果はなさそうだった。
「こうすれば大丈夫」
樹はさくらの毛布を引き上げ頭からかぶせると、椅子に座ったまま自分の上半身を毛布の中に潜り込ませた。毛布の中は暗くて顔は見えなかったが、呼吸音は聞こえた。すぐ近くに互いの存在をはっきりと感じた。
「これで声は漏れないでしょ」
変わらぬヒソヒソ声で樹が言った。
「そうだね。かなりアウトな感じがするけど」
「何で? 修学旅行の定番じゃん」
「そう。みんなこんな事してるんだ」
さくらには修学旅行の記憶が殆どなかった。
「見つかって怒られたけどね」
「効き目ないじゃない」
「声は漏れないけど、消灯後に先生が部屋を見回るんだよ。引きずり出されて廊下で怒られた」
「部屋全員?」
「いや、俺と友達の二人だけ。他の奴は素早く自分の布団に戻った」
「要するに鈍くさい二人だけ捕まったって事ね」
「場所が俺の布団だったから逃げられなかったんだよ。逃げ遅れた奴の巻き添え被害だよ」
「樹の布団だったって事は主催者だったんでしょ? 一番の犯人じゃない」
「じゃあ今日一番の犯人はさくらね」
「樹がやったんじゃない」
「場所を提供した奴が主催者なんでしょ」
「これ私が主催した事になるの? どう見ても樹が侵入して来ている構図だよ」
「見つかったら廊下で正座だな」
「……心配する所がズレてるよ。もう子供じゃないって自覚しなよ」
毛布の中は息がこもって暑かった。結局樹はそのまま居座り二人で深夜まで話し続けた。
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