第4話 2020年2月17日(月)
朝起きるとすぐに樹とさくらは話を再開した。楽しかったが話してばかりでいつまでたっても朝食を食べ終わらず、最後は看護師に怒られた。
食事が終わると樹は車椅子で診療室へ連れて行かれた。包帯が取られると、血と内出血で痛々しい姿になった左足が現れた。一通りチェックを終えると、医者は傷口にテープを貼る。それで終わりだった。巨大なギプスを想像していたのだが、そういう物は使わないらしい。テープを貼っただけの足は何とも心もとない。
続いてのリハビリで樹は松葉杖を渡された。安楽な車椅子生活は終わりのようだ。早速歩行練習が始まる。始めて使う松葉杖は扱いにくかったが、送迎の車椅子はもう無かった。自力で病室までたどり着けという事のようだ。壁の張り紙が目に入った。『Pain is just weakness leaving your body(痛みとは体から去り行く弱さにすぎない)』。諦めてリハビリ室を出ると、松葉杖に苦労しつつ303号室に戻った。丁度昼食の時間だった。入るなり一斉に視線が集まった。
「樹が歩いてる……」
「何で?」
「二日でなおってる。どんなポーション使った?」
彼等は車椅子姿の樹しか見た事がなかった。二日で立って歩くまで回復するとは思っていなかった。
「樹、明日には退院じゃない?」
「まぁ、退院は嬉しいけど。それは早く出てけって事か?」
「だって退院だよ!」
興奮した声で分かった。彼等にとって退院は希望の持てる明るい出来事なのだ。祝福と共に仲間を送り出し、いつの日にか自分もと思う。そういうイベントなのだ。
「おう、最短記録で退院してみせてやる!」
樹は力強く宣言した。
「お帰り」
昼食中のさくらはベッドに戻った樹に目もくれずに言った。言い方が冷たかった。何かをした記憶は全くなかったが、明らかに不機嫌だ。戸惑いながら樹が食事するさくらの横顔を見ていると、さらに追い討ちが来た。
「何?」
棘々しい口調だった。樹は何故そんなに当たり散らされるのか分からなかった。一生懸命記憶を探る。診療とリハビリに行くまでは上機嫌だった、多分。その後は全く会っていないので、機嫌の損ねようがなかった。さらに気まずい事に今日は月曜日で昨日と比べて面会者が少なかった。かといって逃げ場も無いので、さくらを刺激しないようおとなしくスマホを眺めて過ごす事にした。ニュースによるとコロナとか言うウィルスの感染が拡大しているらしかった。
「樹!」
さくらの視線は樹の方を向いていなかった。
「はい?」
「つまんない。何か面白い話して」
「え?」
入院初日の夜は神に見えたさくらが今は鬼に見えた。樹はおずおずと聞いた。
「何の話がいい?」
暫くの沈黙の後、さくらが答えた。
「シー以外のプラン」
「へ?」
「どこかへ行く話」
樹はどうすれば機嫌が直るか頭をフル回転させて考えたが、何も思い浮かばなかった。せめてヒントが欲しかった。
「どんな所へ行きたい?」
「どこでもいい」
一番困る回答が返ってきた。ノーヒントのままだ。適当な案で試してみるしかない。窓の外に目を走らせると桜の木が見えた。もうしばらくすれば桜の季節だった。
「花見……とか?」
「じゃあ、それ」
まさか一発で通るとは思っていなかった。しかし樹は花見の事など何も知らない。隅田公園の桜は毎年通りすがりに見ていたが、開花を心待ちにした事などなかった。しかし知っている花見スポットはそこしかなかった。
「隅田公園とか?」
「綺麗なの?」
「行った事無い? 桜が綺麗だよ」
少し機嫌が回復した様だった。
「近くだよね」
口調が和らいでいた。
「ここからなら十分もあれば行けるよ」
「見たいな、桜。もう何年も見てない」
「いつも通りだと来月辺りかな」
「混むかな」
「毎年ゲロ混みだけど、歩いて見るだけなら場所取りしなくても大丈夫だよ」
「じゃあ迎えに来て」
「ここへ?」
「誰と行くつもりだったの?」
また少し棘々しくなった。
「樹はその頃にはとっくに退院してるでしょ」
「そうだった。ここから一緒に行こう」
樹は機嫌が回復したという確信が持てなかった。その日は寝るまで隣からの刺々しい空気に肌をチクチクと刺されながら過ごした。
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