応援コメント

第52話 使徒ヨハネ 弟子訓練 教えから学ぶ」への応援コメント

  • この辺りのエピソードは私でも知ってるくらい有名ですね!

    「罪のない者が最初に石を投げなさい」
    現代でも、大勢に投げかけたい言葉です。
    自分のことを棚に上げて他人を叩く人、たくさんいますね……

    作者からの返信

    イエスの教えは有名ですね。

    罪のない者なんていませんから、自分の胸に手を当てて考えたら、誰も叩いたり裁いたり出来ないですね。

    コメントありがとうございます😊


  • イエス様は、大変に賢い方だと、これを読んで思いました。

    作者からの返信

    お久しぶりです。
    お元気ですか?

    イエス様は完璧な人ですね。
    教え方も分かりやすくて、イエス様の言うことならば、聞けると思います。

  • 大岡裁き!(昭和のころ、平日の4時からは大岡越前カ水戸黄門の再放送だった)
    今日は我の強いのはダメだよねという話をして帰ったところだったので沁みました。

    作者からの返信

    スミレちゃん、私も見てました。
    両親も水戸黄門が好きです。
    日本の時代劇はわかりやすいですよね。
    善か悪かがはっきりしていますもの。

    あと権威に弱いですよね。葵の御紋や桜吹雪を見せられて平伏しちゃいますね。

    今、この絶対権威がないので、いいのか悪いのかぐちゃぐちゃになっていると思います。

    唯一神がいる国は、そこに基準を合わせてくるので、裁きがスマートだと思います。
    コメントありがとうございます。ペコリ

  • イエスと言う人は不思議な人ですね。
    皆に崇められる存在なのに、高圧的でも無いし、居丈高に振る舞う事もない。
    人の中の良心を目覚めるように促すだけ。でもそれが何よりも深く心に残ったりする。そこに静かなカリスマ性を感じます。

    作者からの返信

    そうですね。尊敬する人物は誰ですか?の問いに、今でもイエスと答える学生さんがいるのも頷けます。

    「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい!」これがベースの方ですから、カリスマ性につながるんですね。

    「やられたらやり返す! 倍返し」の精神の多い世の中で、良心だけが頼りになります。

  • 「あなた方のうちで罪のない者が最初に彼女に石を投げなさい」
    この言葉はSNSの発達した今の時代にとても響きますね。
    事件の本質には何の興味も示さず、石を投げたいだけの人間があまりに多いように感じます。
    でも、イエスのこの言葉自体もどこか攻撃的な響きを持っているように個人的には思います。「右の頬を打たれたならば左の頬を差し出しなさい」という言葉にも通じるような感覚です。ニーチェ的に言うならば、新たな価値空間を捏造してその中で優位に立とうとする行為、という感じでしょうか。
    いずれにしてもとても深く多様な解釈の出来る言葉だな、と思いました。

    作者からの返信

    実はこの記述、私が持っている聖書にはないんです。ヨハネが書いた物かどうか怪しいらしいですね。

    けど、私は密かに協会が裁かれないようにわざと省いたと思っています。

    そう、おっしゃる通り、今の時代にも通じるからです。
    SNSで叩くのは簡単。けれど、意見したり批判する自分には罪はないのか?!って聞かれると……石を投げる事など出来ません。行動にしなくても心の中で罪を犯してきた事があるからです。
    イエスも少し攻撃的ですね。やれる物ならやってみろ!みたいです。笑

    日本人は良心や道徳心を盾にして、人を叩きますが、それが偽善にも感じます。(自分を含めて)

    ニーチェ的にはそういう感じなんですね。
    優位に立とうとする為に捏造ですか。
    やはり深いですね。

    コロナ禍は人間の本質を曝け出すものだと日々実感します。

    コメントありがとうございます。ペコリ

  • あ~~、ほんとに感動的ですね(涙)

    姦淫の罪の女性のエピソードも有名ですが、誰も石を投げる人はなく、全員立ち去ったというところも印象的でした。皆が、自分の罪を棚に上げて・・・とやらないところが笑

    弟子の足を洗うイエス様も素晴らしいですよね。新しいおきても・・・✨素直に学んでいるヨハネも素敵です!

    作者からの返信

    そうなんです。まさかみんなその場を離れるとは思いませんでした。
    ある資料は、『この場に子ども達もいたに違いないってありました』

    ここで石を投げると、子どもの手前良くありませんもの。
    「お父さんだって、浮気した事あるじゃん!」って突っ込まれたら恥ずかしいですものね。

    このエピソードは有名らしいですね。
    正直、私は聖書からではなく、北野武の本で知ったんです。笑

    日本人は「神」の前で行動するのではなく、良心や道徳心を意識して行動する国民性だってありました。

    目上の人の足を洗う事は容易なんですが、仲間うちはなかなか難しいですね。

    遊さん、更新楽しみにしております。
    なんか催促してしまったようで、ごめんなさい。ここだけの話、柊さんも待ってるよ
    うですが。(´∀`)
    お疲れ出ませんように。

    こちらこそ、いつもありがとうございます。

  • さて、余計な解釈を(笑)
    日本人から見るとこの淫行を犯した女性の話はとんちのように聞こえるかもしれません。

    でも、イスラエルが滅び、神がローマに(上位の権限)権限を委ねた歴史的事実とその前になされていた預言とを考え合わせると単なるとんちではなく神の法的に見ても正しい判断なんですよね。

    イエスが考慮されたのは律法を破った女性を許すかどうかだと思いますが、その点もきちんと後々の説明がされています。
    単に情緒的に許すのではなく、罪のない者が石を投げよと指摘したのはこれまた神の言葉の深い理解が関わっています。

    このあたりの理解が加わると単なるいい話とは違う何とも深淵な考えを感じます。
    (なお、これは多少聖書を読んだ個人の感想なので疑わずに真に受けないでくださいネ)


    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    おっしゃる通り、イエスが淫行を犯した女に何を言ったかの方が大事な教訓だと思います。「義」か「憐れみ」のどちらかで裁きたくなりますもの。
    日本人は人格神を崇拝する民ではないので、「義」が勝り、無罪放免を嫌うんだと思います。

    イエスだからこそ「義」と「憐れみ」を同時に示せたのかなって思います。

    この記述はヨハネ八章一節から十三節くらいまでですが、聖書研究者の間では、ヨハネが書いたものではない、つまり聖書の中にいれるべきではないと議論されています。

    実際、私の聖書の中にはありませんでした。

    世界の、特に大国のキリスト教信者にとったら都合が悪い聖句だと勘繰ってしまいますね。
    経済、政治、軍事において影響するから、やはり深淵な真理だと思います。

    日本人にとったら、道徳の方が受け入れやすいのだと思いました。
    いつもありがとうございます。🤗🌻🌈

  • 最初のエピソードはとても有名です。
    『粗にして野だが卑ではない』で、石田礼助が海外の大物に絡まれました。
    日本が戦争に参加したことをなじられたのです。すかさず石田はこのエピソードを話し「あんたの国もやってるのに人のこと言えるのかい」とやり返しました。大物は何も言えず。
    後にその大物と再開した際、石田を周りの人に「彼は偉大な説教師だ」と紹介したそうです。

    2つ目のエピソードもあのデスノートで使われていて、日本人よりも海外の人に反響があったとか。

    個人的には口論を始める弟子たち、面白くて人間臭くて親近感が持てます。

    今回も面白かったです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そして石田礼助のエピソードを教えて頂きありがとうございます。
    初めて知りました。
    「粗にして野だが卑ではない」も。

    石打ちの教訓は日本人より、海外の方が説得力ありそうですね。日本人はどちらかというとお天道様を意識しますもの。
    自分自身の内にある「罪」「原罪」を意識した方が、人を裁かず罪を犯さないように出来るのかもしれません。

    戦争だけでなく、「核ミサイル」にも応用できそうで怖いですが。

    イエスが足を洗ったエピソードですが、今日「洗足式」という儀式になり、ローマ法皇が受刑者12名の足を洗ったとニュースになってました。
    まさかのデスノートであったんですね。
    裏切り者のユダの足でさえ洗う……これから自分を売ろうとするって分かっていても洗ったんですからすごいなぁと思います。

    ダークファンタジーに使えそうなネタですね。

    人間臭い使徒たち、その中で使徒ヨハネの成長は輝くものがあります。
    ケンの成長と同じですね。(^^)
    いつも応援ありがとうございます。

  • イエス様の教えは、まさに愛ですよね。

    作者からの返信

    キリスト教イコール愛
    イエスの教えの基本ですね。

    コメントありがとうございます。ペコリ