第51話 使徒ヨハネ 弟子訓練 愛を学ぶ♡
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は私のところに来なさい! 私があなたを休ませてあげます。私は心優しくへりくだっているからです。私から学びなさい。そうすれば魂に安らぎが来ます。私と共に働く事は心地良く、私の荷は軽いからです」マタイによる書 11:28〜30
イエス・キリストが弟子たちに語った言葉です。弟子たち、特にいつもそばにいた十二使徒はこの言葉が真実である事をイエスの生き方から学びました。
ヨハネはどのように学んだのでしょうか?
ヨハネは聖書以外に宣教旅行のエッセイ集を執筆していました。(大嘘)タイトルは『イエスに恋して♡』です。マタイ、マルコ、ルカには内緒で出版したようです。印税欲しさです。貪欲なヨハネ。知らんけど。
私は宣伝してあげるからと一冊もらいました。タイトルパクリ案件で脅す。
☆*:.。. 私はそう望む .。.:*☆
カペルナウムでの忙しい毎日から解放されたかと思ったが、イエス様は精力的だ。ガリラヤ周辺でも毎日奇跡を行って、病人を癒される。体がいくつあっても足りないだろう。
イエス様は疲れていないのだろうか? 山を下る足取りが軽い。後ろには大群衆がついてくる。みんな癒されたいんだな。
「主よ、あなたはお望みになるだけで、私を癒す事ができます!」
麓で待ち構えていた男が、イエス様にそう言った。よく見ると体中が重い皮膚病だ。おい、イエス様に近づくな! そんな顔でペテロがその男を見る。そうだ、その身体でイエス様に近づいたら感染するだろう。
本来その男は、「汚れている。汚れている」と叫ぶべきだ。隔離しなくていけない。今、気がつかれたら群衆から石を投げつけられるに違いない。私は焦った。
男はイエス様を見つけると、突然イエス様の前に跪いた。
「私を清くして下さい」
「私はそう望みます。良くなりなさい!」
イエス様の言葉と行動に我々は目と耳を疑った。イエス様はその男に手を伸ばして触れていた。そして優しくこう言った。
「誰にも話さないようにしなさい。ただ自分を祭司に見せに行き、モーセが指定した供え物を捧げなさい。癒された証拠としてです」
自分だったら絶対に触れない。イエス様は分かっていたんだ。その男が今までどんなに惨めに生きてきたのかを。誰にも触れらず、心に深い傷を負って生きてきたことを。だから身体だけでなく、精神的にも癒しその男の尊厳を回復した。
イエス様の男への接し方から、私は本当に癒すとはどういう事なのかを学んだ。信仰心を持って近づいた者の魂には必ず安らぎを与えて下さる方なんだと確信した。
イエス様の愛が迫った。
☆*:.。. あなたの信仰があなたを良くならせました.。.:*☆
会堂の役人ヤイロが、イエス様に娘の死を報告した日の出来事である。
イエス様はその娘を生き返らせようと、ヤイロの家に向かっていた。
ヤイロの案内に続き、弟子たちもぞろぞろとついて行く。復活の奇跡を見られるに違いない。私もワクワクした。
「私の外衣に触ったのは誰ですか?」イエス様が振り向いて突然言う。
なぜそんな事を言うのか我々は分からなかった。こんな人混みだ。分かるはずはない。みんな足を止めて群衆を見廻す。誰かが意図的に近づいて外衣を掴んだと言うのだ。
外衣を掴まれた時、ご自分の身体から力が出ていった事を感じたとイエス様は言う。きっと不快に思われている。勝手に触れた事を咎めるに違いない。
女が進み出てきた。とても震えている。恐れている。イエス様の前に跪き緊張しながら話し始めた。触れたのが女だと知ってイエス様は余計に不快に思われたに違いない。私はその女が大衆の前で咎められるのも仕方がないと思った。
女は自分の身の上を語り、外衣に触れた途端、病が癒された事を明かした。
十二年間も出血が続き、治すために全財産を使い果たしたと言った。良くなるどころか悪くなる一方だったと。イエス様に触れるだけで病気が治ると信じて触った事を明かした。そしてスーッと良くなるのを感じたと。
血の流出の身体は汚れている。モーセの律法では汚れている故に、どんな儀式に参加する事も許されないはずだ。群衆に紛れ込んでイエス様に触れる事が最後の望みだったんだろう。私は大勢の前で叱られる女に哀れみの視線を向けた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを良くならせました。安心して暮らしなさい。辛い病気は治りました」
イエス様は意外にも優しくその女に言った。
後日、その出来事について仲間と話をした。医者のルカは血の流出で女はひどい貧血だっただろうと言った。貧血が治れば身体の健康はもちろん、精神的にも癒される。
マルコは健康になれば仕事が出来るだろうと言った。多くの医者にかかって困窮していたが、これからは仕事が出来るだろうと安堵した。
マタイは数字に興味があるらしく、12について説明してくれた。12は完全数を表すので、イエス様の奇跡は全ての面で完全だと言った。
ぺテロはイエス様が女に向かって娘よ!と優しく声をかけた事に感動したと言った。なんて優しい方なんだと涙を流しながら。
イエス様は誰がご自分に触れたかをご存知だったに違いない。あえて女を群衆の前に出させ、信仰を告白させる事で、女を安心させたのだと思う。そうすれば、勝手に触れて癒されたという罪悪感を抱かずに生きていけるのだ。
「あなたの信仰があなたを良くならせた」と信仰心を褒めたイエス様の優しさと愛が胸に迫った出来事だ。
私も感情移入が出来る優しい人間になりたいと思った。
───雷の子と呼ばれたヨハネの言葉とは思えませんね。愛情深い人といると「愛」が育つのでしょうか。
次回はイエスの教え方から何を学んだのか、またエッセイから抜粋します。
乞うご期待。
(注)エッセイ部分は聖書の記述を参考にしたハナスの創作です。
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