第16話 イサクを捧げよ!

 アブラハムは、ハガル母子を追放後、愛する妻サラと息子イサクと家族水入らずで仲良く暮らしていた事でしょう。嫌味あり。


 あれから三十年、笑いの絶えない家だったよね、きっと。イサクも三十代半ばです。そろそろ嫁貰う年です。アブラハム、孫の顔が見たいでしょ? 


 しかし、世の中そんなに甘くない。いや聖書の神は甘くない。アブラハムにある信仰の試み、いわゆるテストをします。試験にパスしないといけないんです。


「あなたの子、あなたが深く愛する一人息子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい! 私が示す山の上で、全焼の犠牲として、イサクを私に捧げなさい!」二十二:二


 全焼の犠牲ですって。覚えておられますか? どう捧げるか? ほふって台の上(祭壇)で焼くって事です。牛や羊なら聞いた事がありますね? 


 神様は、アブラハムにイサクを捧げよ! と命じておられます。アブラハムはどうするでしょう? 断った方がいいと思います。せっかく出来た子どもです。


「それで、アブラハムは朝早く起き、ロバにくらを置いて、従者二人と息子イサクを呼んだ。全焼の捧げ物に用いる薪を割り、それから出発して、神の告げた場所へ向かった」二十二:三


 行くんかーい! そうなんです、アブラハムの心は決まっていました。モリヤまでは百キロあります。もちろんサラにもイサクにも目的は内緒だったでしょう。


 目的地までは三日かかります。アブラハムはこの時、何を考えていたんでしょう。私の子孫は天の星のようになると、神様は言った。しかもイサクを通してだと約束して下さった。必ず神は約束を果たして下さる! と独り言を言っていたのかもしれません。


 もう昔のアブラハムではないのです。恐れからエジプトのファラオに妻を差し出したアブラハムではないのです。サラの言いなりになって、イシュマエルを追い出したアブラハムではないのです。信仰があります。


 モリヤの地に入ると、従者二人を残して、イサクと山を登ります。イサクには薪を背負わせ、自分は火種と短刀を手に持って。殺す気満々。


 途中でイサクは、アブラハムに尋ねます。


「お父さん、火種と薪はありますが、全焼の捧げ物にする羊はどこですか?」


「神が捧げ物にする羊を与えて下さるだろう」 怖い、怖い、怖いんですけど。


 ここでアブラハムが、ニタリと笑って「捧げ物は!」と言ったらホラーになります。イサクは薪を捨てて逃げちゃうでしょう。


 イサクは、そうなんだとだけ思ったのか、もう何も言いませんでした。


 しばらく歩いて、神様の指定場所に到着。アブラハムはそこに祭壇を作り、その上に薪を並べて───羊を探した。残念ながらそんな事は書いていません。


「それから息子のイサクの手足を、祭壇の薪の上に寝かせた」


 イサクを何で縛ってるんですか? てか、どうしてイサクは大人しく縛られてるんですか? イサクは幼児じゃありません。いざとなったら百三十才のヨボヨボな父親を殴り倒して逃げる事ができたはずです。いや、アブラハムを縛って焼いちゃう事もできたはずです。


 イサクは、父親をアブラハムを信じたのでしょう。神様の命令に従順な父親の信仰を信じきっていたのだと思います。アブラハムはこのとき、イサクが死んでも、必ず神が復活させると本気で考えていたと資料にありました。


 百才と、九十才の老父婦に子どもが出来たと、自分自身が奇跡を体験していますからね。けど、焼く前に切り殺さなければいけません。私には無理。


 アブラハムは短刀を手に取り、まさに殺そうとした瞬間、天から声がありました。天使です。「少年を傷つけてはなりません。何もしてはなりません。今、あなたが神を畏れている事がよく分かりました!」アブラハム、殺人未遂。終了。


 アブラハムの本気と書いてマジと読む、そこを確認した神様が、試験に合格した事を伝えました。


「私は、私にかけて誓う。あなたがこのようにして、自分の子、一人息子を与える事を拒まなかったので、私はあなたを必ず祝福して、子孫を必ず天の星のようにする。あなたの子孫は敵の町を攻略する。あなたの子孫によって地上の全ての国民が、祝福を受ける。あなたが私の言葉に従ったからである」


 アブラハム契約が完璧になりました♡ この地上の全ての国民は、私たち日本人も含まれるそうです。祝福を受ける条件はただ一つあるんですが。


 アブラハムはほっとしたでしょうね。イサクの縛りをほどき、代わりに、藪に角が引っかかって動けない雄羊を捧げました。イサクの代わりの贖いです。


 アブラハムはこの地を、「アドナイ・イルエ」と名付けました。「主の山の上には備えがある」という意味です。ソロモン王がこの地に神殿を建設しました。


 そして、この出来事は、イエスが贖いの犠牲になる事の予言だそうです。


イサクが自分で薪を背負って、屠られる場所に向かった事は、自分で杭を運んだイエスが成就させました。贖いの犠牲の死を、神は備えられたんですね。


 

 物語には「予言」がある……聖書の得意とする事ですが、小説にも取り入れると楽しいと思います。


 次回、アブラハムの最終回です。アブラハムの晩年は幸せだったでしょうか?


あと何年生きたかも知りたいですね。アブラハムガンバレー! 

 


 

 

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