終章

 ミーナを見送ったエルザは、意を決した。

 身支度を整え、袋に薬品を入れて、戸締りをして辻馬車を拾う。

 向かう先は、騎士隊の詰め所だ。

 物わかりの良い『大人の女』のふりをしても仕方がない。

 エルザは、恋愛に関しては初心者も同然で、駆け引きなど欠片もできないのだから。

 迷いがないと言えば、嘘になる。頭では相応しくないと思っている。

 だが、エルザはどうしようもなくアレックスのことが好きなのだ。

 ゆえにミーナから何を言われても、自分から別れる気にはなれなかった。

 それならば。

 アレックスにエルザがふさわしいかを決めるのはエルザではない。

 アレックスだ。

 アレックスの気持ちはアレックスにしかわからないのだから。

 あれこれエルザ一人で考えていても、意味がない。

 職場に顔を出すのはあまり褒められたことではないとは理解している。だが、このままずっと会えなければ、どんどん悪い方に考えてしまうだろう。せめて二人で話し合うため会う約束だけでも取り付けなければと、エルザは思うのだ。

 それに、エルザとアレックスの二人は既に『婚約』していることになっているのだから、職場の人間に見られること自体に問題はない。

──我ながら苦しい言い訳だわ。

 エルザの唇から笑みが漏れる。

 実際にエルザを突き動かしているのは、そんな複雑な思いではなく、もっと単純な想いだ。

──会いたい。

 本当は、ただ、それだけ。

 もっとも素直にそれを告げるのは、羞恥心を感じてしまう。

 その照れが、面倒だと言われる原因だともわかってはいるけれど。

 辻馬車を下りると、エルザはそのまま騎士隊の詰め所を訪問した。

 日は既に落ちて、入り口には明かりが灯っている。

 エルザは入り口で、アレックスを呼んでもらうと、慌てた様子でケストナーが姿を現した。

 急用だと思ったのだろう。エルザはやはり申し訳ない気分になった。

 ケストナーはエルザを部屋に案内すると、いそいそとお茶を差し出してくれる。魔道灯が灯された机とソファがあるだけの簡素な部屋だ。普段、簡単な聞き取り調査に使う部屋らしい。

「マーティンさん、今日はどのようなご用件で?」

「お忙しいのに申し訳ございません。別に大した用ではないのだけれど」

 エルザは大事ではない、ということを伝えてから、ふとミーナのことを思い出す。

「そういえばケストナーさん。ミーナさんに何をやらせているんです?」

「は? なんのことでしょうか?」

 ケストナーは明らかに動揺したように目を泳がせる。

「少しいたずらが過ぎますよ?」

 エルザが怒ったふりをすると、ケストナーはすみません、と頭を下げた。

 やめてくださいね、とエルザは念を押すと、ケストナーはさらに恐縮した。

「それはともかくお世話になったお礼に、疲労回復薬と傷薬をお持ちしたので、みなさまで使ってください。ミーナさまには、魔力回復薬をお渡しいただけますように」

 エルザは持ってきた袋をそのままケストナーに差し出した。

「おおっ。これはどうもありがとうございます」

 ケストナーは袋を受け取り、中を覗き込んだ。

「我が隊でも、マーティンさんの傷薬はよく効くと評判です。広めたのはもちろん隊長ですけれど、皆が愛用しております」

「ありがとうございます」

 そういえばアレックスは傷薬を本当によく買っていく。怪我の多い職場ということもあるだろうけれど、ひょっとしたら自分の分だけではなかったのかもしれない。

「隊長はもうすぐ参ります。休日前なので、少しやることが多いのですよ」

 ケストナーはにやりと笑う。

「休日?」

「そうですよ。三日間の休日です。隊長、死に物狂いで取得してました。まあ、でも。もともと四六時中、仕事をしているひとなので、たまにはそれくらいの方がいいのです。上が休まないと、下はもっと休めませんから」

「それはそうですね」

 ケストナーの言うことは理解できた。

 アレックスは、なんだかんだと言っても仕事人間なのだろう。下につく部下にとっては、ちょっと煙たいところもあるかもしれない。

「エルザ?」

 ノックと共に入ってきたアレックスはエルザの顔を見ると驚いた顔をした。

 客人と聞いただけで、エルザの名は聞いていなかったのかもしれない。

「どうした?」

「すみません。あの、その……差し入れを」

 さすがに、ただ会いに来たとは素直に言えず、エルザはケストナーに渡した袋を指さした。

「やあ、隊長、思ったより早かったですね」

「とりあえず一区切りつけてきただけだ。相手が誰かわからなかったから」

 アレックスは肩をすくめながら、エルザの横に座る。

 その距離の近さに、エルザの胸はどきりとした。恥ずかしさのあまりにエルザは思わず、ケストナーの顔色をうかがう。

 もっとも、ケストナーの方は何事もないというような顔をしていた。

「お仕事中に邪魔をしてしまって、申し訳なかったです」

「いや。エルザなら大歓迎だけど。その、仕事の相手だったら、早いところ会って適当に済ませてしまおうって思っただけだから」

「仕事を適当にされては困りますが」

 ケストナーが苦笑したが、アレックスは聞こえないふりをしている。

「それで、エルザ、他には?」

「いえ。えっと。特には」

「そうか。じゃあ、少しだけ待っていてくれ。すぐに帰れるから」

 アレックスはすっと立ち上がった。

「本当に大丈夫ですか? 隊長」

「大丈夫さ。優秀な副隊長がいるし」

「こういう時だけ、信頼されても困りますけれどね」

 ケストナーは呆れたように首を振る。

「さあ、早く仕事を済ませて来てください。マーティンさんのお相手は私がしておりますから」

「それはそれで、なんか嫌だな」

 アレックスが拗ねたように呟く。

「エルザが他の男と話していると思うと、腹が立ってくる」

「ケストナーさんに失礼ですから、そういうのはやめてください」

 だだをこねるようなアレックスはまるで子供のようだ。エルザとしても、気持ちは嬉しいけれど、少し当惑してしまう。

「エルザは美人だから、俺はいつだって気が気ではないんだ」

「はいはい。ご馳走様です。さっさとお仕事済ませてくださいね」

 ケストナーはアレックスを追い出す。

「まったく。公認になったと思ったらアレですからね。困ったものです」

「……なんかすみません」

 謝ることではないと思うけれど。

 なんだか申し訳なくて、エルザはケストナーに謝罪した。



 仕事を終わらせたアレックスとエルザは、魔術で出した光の玉をたよりに馬に乗り、ゆっくりと夜の町を進む。

 向かう先はエルザの家ではなく、アレックスの屋敷の方角だ。

「なあ、エルザ。明日から三日の内、どこかで仕事を休めるか?」

「え、ええ。二日くらいなら」

 ここのところ、大きな仕事を請け負っていない。最近、休んでばかりだが、忙しいアレックスに合わせたいとエルザは思う。さすがに三日はきついけれど。

「嬉しいな」

 ゆっくりとはいえ、やはり馬上は揺れる。ほぼ抱き着くようにしがみついているエルザの耳に、アレックスの息がかかった。

「仕事人間のエルザが、俺のために休んでくれる」

「……馬鹿」

 こんなに甘い言葉ばかり吐く人だったとは知らなかったと、エルザは思う。

 二十年もそばにいたのに、知らない顔がまだたくさんある。

「だって……会いたかったから」

 エルザはアレックスの胸に顔をうずめながら呟く。

「俺もだ」

 低くて甘い呟きに、エルザは満ち足りた喜びを感じる。胸が熱い。

「本当は明日の朝、一番に会いに行こうと思っていたのだけれど、エルザが会いに来てくれた」

「……ごめんなさい。待てなくて」

「いや。待てないのは俺の方だ」

 アレックスが馬の歩みを止め、エルザの頬にキスをおとしてから馬を下りた。

 アレックスに手を貸されて、馬を下りると、いつの間にか、アレックスの屋敷にたどり着いていた。

「エルザ、うちの屋敷って、無駄に庭が広いだろう?」

「無駄とは思いませんけれど……」

 貴族の屋敷に庭はつきものだ。

 言われてみればアレックスの屋敷は屋敷の規模としては小さい方なのに、庭はかなり広い。多少アンバランスではあるけれど、不思議というほどではない。

「ずっと考えていたんだ。この庭に、お前の店を建てたいって」

 アレックスは馬をひきながら、今は花壇になっている場所を指さした

「え?」

 エルザは思わずアレックスの顔を見る。

「むろん。今のエルザの家は親父さんの思い入れもあるだろう。それに場所を代われば客も減ってしまうかもしれない。でも、ここなら俺と一緒に暮らせるだろう? もちろん、エルザは仕事をするのだから、屋敷の方も使用人の数を増やして、君に負担はかけないようにする。俺は、もともと貴族なんて形だけで、小難しい社交をやっているわけじゃない」

「アレックス……」

 エルザはアレックスの言葉をかみしめる。

 絵空事ではなく、現実的なことをしっかりと見つめた言葉だとエルザは思う。

「俺もお前も忙しい。かといって、お互い仕事に責任も自信もやりがいもある。だったら、せめて、一緒に暮らせる道を探したいんだ」

「でも、錬金術の店を建てるとなると、普通の家を建てるのとは違ってお金もかかります」

「心配するな。貯蓄もあるし、こう見えて、俺は高給取りだ」

 くすりと、アレックスが笑う。

「足りなかったら、エルザと二人で、龍退治でもすればいいし」

「無茶を言いますね」

 茶化した言葉に、エルザも思わず笑ってしまう。

 出来ないと決めつけるより、どうしたら出来るのか考える方が建設的だ。

 そして、そんな考え方をするアレックスのことをエルザは好きなのだ。

「エルザ、結婚しよう」

「はい」

 エルザは頷き、アレックスの胸に飛び込む。

 この前は、素直に飛び込めなかった──でも。

 エルザの気持ちは間違いなくアレックスと共にあることを望んでいて、アレックスがそれを望んでくれているのなら。

 周囲の雑音など、気にして止まることは、らしくない。

 エルザの背にアレックスの腕が回される。きつく、苦しいくらいに。

「明日はお前の親父さんの墓参りに行って報告して、あと、大工に頼みに行かないとな」

「え? 早速なのですか?」

 さすがに展開が早すぎるとエルザは思う、けど。

「当たり前だ。店が建つまでどれだけかかると思っている? 俺は今すぐにでもエルザと暮らしたいし、そもそもエルザの気が変わるかもしれないじゃないか」

「……変わりませんよ」

 少なくともエルザの方は変わらない。

「もっとも、逃がさないけどな」

 アレックスの唇がエルザの唇に重なる。

 甘くて長い夜が始まろうとしていた。

 


《了》




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今さら「恋愛」とか、もう面倒。錬金術師は、仕事一筋 秋月忍 @kotatumuri-akituki

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