ミーナ

 アレックスと会わぬまま、数日が過ぎた。

 エルザも日常の仕事が忙しいし、アレックスも忙しいのだろう。

 考えてみれば、基本的にアレックスとの関係は受け身だった。エルザの店に、アレックスが訪れて、話す。

 たまに外の食堂で偶然に会うこともあったけれど、エルザ自身が仕事以外でめったに外に出ないのだから当然と言えば当然だろう。

 長年一人で暮らしていたというのに、リンがいなくなったせいもあるのだろう。

 仕事の手がすくと、寂しさが募る。

 会いたい、とは思うが、騎士隊の仕事がハードなことも知っているから、用事もないのに会いにいくようなことはできない。

──私って面倒くさいのね。

 エルザはため息をついた。

 結婚は難しいと思いながらも、想いが通じたことで、心に歯止めがかからなくなっている。

 飛び込む勇気はないのに、そばにいたいという欲求は消えることがない。

 ふと窓の外を見ると既に日が傾いて、沈もうとしていた。

「今日はもう終りね」

 エルザは独り言つ。

 作業机から立ち上がって店を閉めようかとした時、カランと音がして扉が開いた。

「こんにちは」

「あら」

 見知った若い女性、魔術師のミーナだった。

 キラービー退治以来であるが、知らない間ではない。

「何かご入用ですか?」

 エルザの質問にミーナは首を振った。

「結婚なさるって本当ですか?」

「え?」

 ミーナは真っすぐにエルザの顔を見つめている。

 どうやら、人づてに話を聞いて確認をしに来たのかもしれない。

「……結婚はまだです。婚約はしました」

 婚約したというのは、すでにミルゼーヌ将軍に話してしまったことだ。あの段階では完全なる『嘘』であったけれど、そのあとからプロポーズはされたわけで、もはやどこまでが『嘘』なのかは、エルザにもわからなくなっている。

「本当に?」

「疑われるなら、アレックスに確認してください」

 気持ちを確かめ合った今でも、エルザ自身にも迷いがある。

「そうですか」

 ミーナはムッとしたような顔をした。

「あなたと隊長では住んでいる世界が違うのですよ? 隊長には、貴族の家からも縁談があるって話です」

「そう」

 エルザは頷いた。

「だから、まだ結婚は不透明なのですよ」

 住む世界が違うことはわかっている。彼女に指摘されるまでもない。そして、貴族の令嬢を娶る方が、アレックスのためになることくらいエルザにはわかる。

「私もそれなりに分別のある年ですから、『好き』ならすべてが優先されるとは思っていません」

「でも婚約したのですよね?」

「それは……」

 ミーナから見れば、『婚約』した時点で、『結婚』が見えているのは当然だ。

 婚約とは結婚の約束なのだから。

「私、少し前に隊長に告白して、断られたんです」

 ミーナはエルザを睨みつける。

「隊長は、ずっと好きな人がいるとは言ったけれど、恋人がいるとは言っていませんでした。そんなに前の話ではありません」

 つまり、彼女は、『婚約』の話を疑っているのだろう。

「ところが、ケストナーさんたちに聞いても、婚約は成立しているみたいで、そんなに一足飛びに話が進むとは思えないんですけれど」

「あなたの疑いはもっともです。急なお話だったから」

 野盗にさらわれてからまだ十日も立っていない。

 エルザにとっても急展開すぎて、頭が追い付いていないのだ。

「でも、もしそうなら、一息に結婚まで行くものではありませんか? 少なくとも日程くらい決まっていても不思議はないと思います」

「それは……」

「なぜ、そんなに中途半端なのですか? 本当に婚約しているのですか?」

「本当でなかったら、どうするのですか?」

 エルザは質問に質問で返す。

「彼に振られた腹いせに、アレックスの婚約が嘘だと皆に言いふらし、彼の信用を落としたいということですか?」

 少々質問が意地悪だが、ミーナが何を求めているのかわからない。エルザとしても、アレックスの不利になるようなことはしたくないのだ。

「酷いわ。私はただ……」

 ミーナは悔しそうに唇を噛んでいる。

 エルザより彼女の方がずっと若いし、彼女は魔術師として優秀だ。

 アレックスがミーナよりエルザを選んだことが信じられないのかもしれない。エルザとしても、その気持ちはわからなくもないけれど、退く気は全く起こらなかった。

「違うとおっしゃるならば、私に身を引くように忠告に来てくださったのでしょうか」

 エルザは大きくため息をつく。

「私がアレックスに相応しくないというのは、言われなくてもわかっております。だからこそ、結婚は不透明だと申し上げました」

「わかっているなら!」

 ミーナが声を荒げる。

「わかっていても、私は彼が好きなのです」

 エルザは苦く笑う。自分は相応しくないと思っていても、好きな気持ちは止められないのだ。

「二十年間の付き合いは、伊達ではありません。気持ちに気づいたのこそ最近ですけれど、そう簡単に気持ちを捨てられるものではないのです」

 そう。

 エルザとアレックスの付き合いはとても長い。

 時の長さと想いは比例しないかもしれないのかもしれなけれど、積み重なったものは簡単に消えるものではないのだ。

「あなたが想いを捨てられないのに、私にはそれを望むのですか?」

 我ながら容赦がないと、エルザは思う。

 ミーナは、たぶん、優秀で何かを諦めた経験はほぼないのだろう。

 冷静に考えれば、彼女の方がアレックスには相応しいのかもしれない。だが、それを決めるのは、エルザやミーナではなく、アレックスだ。

「私から婚約を解消することはありません。アレックスのことが好きなら、アレックス本人にぶつけるべきです。私が身を引いたとしても、あなたが選ばれるとは限らないのですから」

 きっぱりとエルザが言い切ると、しばらくの間沈黙が降りた。

 ミーナはエルザに目を向けると、大きくため息をつく。

「どうしてそんなに好きなのに、すぐに結婚しないのですか?」

 ミーナは呆れたようだった。

「ですからそれは」

「相応しくないとわかっていると言いながら、別れる気は全然ないのでしょう? だったら、早々につかまえちゃえばいいでしょ」

「え?」

 先ほどまでとは打って変わったようなミーナの態度にエルザは戸惑う。

「もっと単純なお話ではないのですか? マーティンさん。あなたはとても頭のいい方なのに、どうしてそんなふうに難しくしてしまうのですか?」

「あの?」

 話について行けず、エルザは首をかしげた。

 ミーナはコホンと咳払いをする。

「隊長に告白してふられたのは本当です。あのキラービー退治の後すぐだけれど。ええ。ものの見事に、相手にされていませんでした。いっそすがすがしくって、もう、整理はついているんです。今日は、ケストナーさんに頼まれてきました」

 ミーナはぺろりと舌を出した。

「……では、知っていて、わざと?」

「ええ。なかなかの名演技でしたでしょう? ケストナーさんが言うには、誰かが背中を押さなければ、絶対にまとまらないからって」

 ミーナは言いながら、首を振った。

「まさかのまさかですよ。本当にそんなことがあるとは思っていなかったです。正直、あのキラービーの討伐の段階で、二人が付き合っていなかったなんて、どんな冗談なのかと思いますから」

「ミーナさん」

 つまりミーナは、わざとエルザを挑発にきたということなのだろう。

「二十年の付き合いなら、隊長が本気なことくらいわかっているはずです。マーティンさんも、本気で好きなら、ためらうことは何もないのではありませんか?」

「あなたも、ケストナーさんも、お節介ね」

 いい年をした大人同士の恋愛なのに、と、エルザは思う。

 ただ、年齢を重ねすぎて、前にすすめなくなってしまっていたのも事実かもしれない。

「でも、背中、押せましたよね?」

 ミーナがいたずらっぽく笑う。

「……そうね」

 エルザは頷く。

「私から隊長を奪ったのですから、絶対幸せにならないと、怒りますよ?」

 ミーナが口をとがらせる。

 乗り越えなければいけないものはいくつもある。だけれど、踏み出す前に諦めるのは、やめよう……エルザは、そう決意した。

「ありがとうございました」

 エルザは丁寧に頭を下げたのだった。

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