告白

 ミルゼーヌ将軍との話が終わると、既に日は傾いていた。

「お疲れさまでした」

 騎士隊本部にあるアレックスの部屋に戻ると、ケストナーがお茶を入れてくれた。

 執務机の他には、来客用のソファが置かれている。西向きの窓なのだろう。傾いた日の光が差し込んできていた。

「ああ、だいぶ疲れたな」

 アレックスは大きく伸びをしながら自分のデスクに座った。

 エルザも高貴なひとと話をするだけでも緊張するというのに、嘘がバレたらと思うとハラハラしたこともあり、思った以上に疲れを感じる。

「あの、リンに連絡をしたいのですが」

 きっと心配しているだろう。もっと早くそのことに気づくべきだった。自分の迂闊さに今さらながらに気が付いた。

「大丈夫ですよ。マーティンさん。こちらに到着した時に、ご連絡は入れましたからごゆっくりなさってください」

 ケストナーは笑って、座るようにソファを示した。エルザはケストナーにすすめられるがまま腰かける。

「ありがとうございます」

 自分のことで精いっぱいになりすぎていて、周囲に気を配れていなかったことに、エルザは申し訳ない気分になった。

 エルザが野盗につかまったことをリンは気にしているだろう。ロゼッタの具合はどうだろうか。

 リンのおかげで、エルザは無事だったけれど、二人はどうしているだろうか。

 カーナルがしっかり保護してくれているだろうけれど、馬車での移動はロゼッタの身体には負担だったはずだ。医者には見てもらっただろうか。

 いくらリンがしっかりしているからといっても、まだ少女だ。血のつながりがあるといっても、カーナル男爵家でうまくやっていけるのだろうか。

 考えれば心配は尽きない。

「お帰りは馬車をご準備させていただきましょうか?」

「ああ、そうだな。とりあえず俺の家まで頼む。その後は俺がなんとかするから」

「では手配してまいります」

 ケストナーは一礼して部屋を出て行った。

「あの?」

 どうしてアレックスの家に行く必要があるのだろうと、エルザは首をかしげる。

「今から家に帰っても、飯を作るのは大変だろう? うちで食べていくといい。それに、いろいろと話をしないといけない」

「……それは、そうですね」

 エルザは頷く。一人暮らしのエルザを心配してくれているのだ。

 それに、リンのついた嘘のせいで、アレックスとエルザはしばらくは婚約したかのようにふるまわないといけない。

 いろいろ辻褄を合わせておくべきだろうし、この『嘘』の婚約を解消するときはいつにするかとか、細かなことは先に決めないといけない。

──嘘の、辻褄か。

 ケストナーの入れてくれたティーカップに手をのばしながら、エルザはこっそりため息をつく。

 アレックスの演技は容赦がない。本当に愛されているかのような錯覚を覚えてしまう。想いを自覚したエルザにとって、それは甘美なひとときではあるけれど、同時に手に入らない偽りの幸せだと思えば胸がキリリと痛む。

「どうかしたのか?」

 いつの間に移動したのか気づかなかったが、アレックスがエルザの肩に手をのせた。

 優しい大きな手だ。

「いえ。いろんなことがありすぎまして」

 エルザは苦笑する。リンのこと。ロゼッタのこと。そして、エルザ自身のこと。

 説明することが多すぎて、何から話すべきか迷ってしまう。

「そうだな。何故、ハナザ村に?」

 アレックスはさりげなくエルザの隣に腰かけた。距離が近さにエルザは戸惑う。

 今、この部屋にはエルザとアレックスしかいない。演技の必要はどこにもないはずだ。

「リンの母親を、帝都の医者に診せるためにです。カーナル男爵のご意向で」

 エルザは将軍に話さなかったことを話し始めた。

 アレックスはリンが父親を捜していたことを知っているし、協力もしてもらっている。リンの出生について説明しておくべきだろう。

「つまり、リンは、カーナル男爵の亡きお兄さまの子どもなのです」

「なるほど」

 アレックスはようやく理解した、という顔をした。エルザとリンが、カーナル家の馬車でハナザ村に向かった理由も納得できたのだろう。

「それで、リンと母親はこれからどうするのだ?」

「さあ。そこまでは。ただ、カーナル男爵は未だ独り身のかたですから、ひょっとしたらリンを引き取るおつもりではないのかと思います」

 リンやロゼッタの気持ちにもよると思うけれど。

「男爵は非常に思いやりのある立派な方と見受けられましたので、悪いようにはしないのではないかと思います」

 少なくとも病気のロゼッタを帝都の医者に診せようと手配してくれたのは、カーナル自身である。

「信用できるのか?」

「ええ。信頼に足る方だと思います」

「まあ、エルザがそう言うのなら、間違いはないんだろうけれど」

 アレックスは大きく息を吐いた。

「どうかしたのですか?」

 アレックスの様子が少しおかしい気がして、エルザは首をかしげる。

「どうもしない。ただ、俺の心が狭いだけだ」

 どういう意味なのかとエルザが問おうとした時、ケストナーが馬車の準備ができたと告げにやってきたのだった。




 アレックスの屋敷についたエルザは、風呂を使わせてもらった。

 着がえが困ると思ったのだが、女性ものの服が用意されていた。サイズフリーな、ゆったりとしたワンピースである。

 通いの侍女の話では、エルザが騎士隊の本部にいる間に、屋敷に連絡が来て慌てて用意したものらしい。

 アレックスの言うとおり、一人暮らしのエルザは家に帰ったら、食事も風呂も自分で用意しなければならず、今の疲れた状態ではとても億劫だったのは事実だ。

 特に風呂の用意はそれなりに重労働である。近所の湯屋に行くのも面倒だ。

「ごめんなさい。いろいろお言葉に甘えてしまいまして」

 食堂に案内されたエルザは、先に座っていたアレックスに頭をさげた。

 食堂には魔道灯が灯されていて、外はすっかり暗くなっている。厨房からは、芳しい香りが流れて来ていて、エルザは思わず空腹感を覚えた。

「気にしなくていい。エルザはもっと俺に甘えていい」

「十分甘えています」

 エルザとアレックスとの関係は、店主と顧客の関係であり、あえて言うならば長年の友人といったところだ。

 エルザはアレックスがまだ無名の頃も知っているし、アレックスもエルザが見習い錬金術師だったころを知っている。

 アレックスはずっとエルザの店を利用してくれた上お得意さまであるが、逆に言えばそれだけの関係だ。

 エルザは、アレックスが『龍殺し』の称号を得て、街に帰ってきた日のことを思い出す。

 こっそり見に行った祝賀会の主賓席にいたアレックスは、エルザからはとても遠い人になっていた。それから、アレックスは騎士となり、どんどん遠くなっていったのだ。

「エルザは、一人で頑張りすぎだ。親父さんが亡くなってから、ずっと、誰にも頼らずに頑張っていた。こういう時くらい、人を頼っていい」

「ありがとうございます」

 食事が運ばれてきたので、エルザは遠慮なくいただく。

 食事は優しい味のシチューに温かなパンに、甘い果物が添えられていた。疲れた体に染みてくるような味だ。

 さすがにほぼ丸一日、ろくな食事をしていなかったこともあって、エルザは自分でも驚くほどの食欲だった。もちろんメニューがどれもとても美味しかったこともあるのだろうけれど。

「なあ、エルザ」

 食後のハーブティを飲みながら、アレックスが話を切り出す。

 エルザは姿勢を正した。

「俺がなぜ、騎士になったのか、わかる?」

「それは……英雄だから、ですよね」

 唐突な質問にエルザは戸惑う。

「英雄とか龍殺しってのは、騎士になった理由じゃなくて、騎士になれた理由には違いないが」

 アレックスはふっと口元に笑みを浮かべた。

「冒険者なんて家業は長いことやれるものじゃないし、家族を持って養うなんてことは無理だ。収入は一定じゃないし、生活に保障もない」

「それはそうですね」

 森のモンスターを狩って生きていけるのは、若いうちだけだ。仕事のある場所を転々とすることを余儀なくされることも多い。家族を、ましてやゆっくり子供を育てていけるような仕事ではない。

「俺は剣の腕しかなくて、人に認めてもらうには、剣を使うしかなかった。お前の親父さんも、なかなか俺を認めてくれなかった」

 アレックスの言う『親父』というのは、エルザの義父のことだろう。

 駆け出しのころから、アレックスは店に訪れていた。

「結局、親父さんが認めてくれる前に、親父さんは亡くなってしまったけどな」

「……そんなことは。義父は、あなたのことをいつも褒めていました」

「そうかな」

 アレックスは首をかしげる。

「ええ。間違いないですよ」

 エルザは微笑む。義父は厳しいことをアレックスの前では言っていたようだが、いつもアレックスは見どころがあると言って、アレックスが必要な薬剤を無理をしてでも調達していたのを覚えている。

「親父さんはともかく、龍を倒しても、エルザは俺を見てくれなかった」

「え?」

 アレックスは何を言っているのだろうか。思わず目を丸くしたエルザに、アレックスは苦笑いを浮かべた。

「騎士になったら。その日暮らしではなく、地に足をつけた仕事に就いたら、お前に相応しくなれるかもしれないと思った」

「何を──」

 アレックスは何を言おうとしているのか。

「俺はずっと、エルザが好きだった。俺と結婚してくれないか?」

 エルザの胸がドキンと大きな音を立てる。

 アレックスの目は、嘘を言っているようには見えなかった。

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