翌朝、エルザはアレックスと一緒の馬に乗って、帝都へと向かうことになった。

 警備隊の隊長がすぐそばを並走しているので、アレックスはエルザを婚約者として扱っている。ゆえに、距離が近い。

 無論、同じ馬に乗っているのだから距離が近いのは当たり前だが、それだけではなくて、雰囲気に甘さが漂っている。

 もともとアレックスは、時々エルザをからかうことがあったけれど、それは全然、本気ではなかったのだと、エルザはしみじみ思う。

 まず、抱き寄せる手に遠慮がない。

 心配なのかもしれないけれど、必要以上に抱き寄せられている気がしてしまう。

 とはいえ、揺れて怖いのも事実で、エルザ自身もアレックスにしがみついている。

 街道に戻ると、馬の速度が上がり、揺れはさらにひどくなった。

 野盗の護送中でもあるので、特に会話もない。ただ、距離の近いせいで、時々アレックスの呼気を感じてしまう。

 言葉もないせいで、余計に自分が本当の婚約者になってしまったかのような錯覚を抱いてしまう。たとえ嘘でもアレックスの腕に抱かれている状態は幸せで。

 エルザは、そんな自分がとても怖かった。

 これは芝居で、失われてしまうものなのだ。そう何度も心に言い聞かせる。

「今回はライアスさまのおかげで助かりました」

 警備隊の詰め所にたどりつくと、警備隊長がにこやかに挨拶をした。

「いや。おかげで大切なエルザを失わずにすんだ。礼を言う」

「いえ。聡い婚約者さまのおかげで、野盗を捕らえることが出来ました」

──聡いのは私ではなく、リンの方ね。

 エルザは内心、そっと呟く。

 リンが咄嗟についた嘘のおかげで、迅速な対応をしてもらえた。その嘘にしばらく振り回されるかもしれないけれど。

「皆様のおかげで、こうして無事に帰ることができます。大変お世話になりました」

 エルザは、頭を下げる。馬上でアレックスに抱かれたままなので、どうにも不義理な気がしなくもないが、アレックスがエルザを離す気はなさそうなので、仕方がない。

「それにしても、実に美しい婚約者さまですね」

 ここで、婚約者ではないというわけにはいかないけれど、にこりと笑う警備隊長に、エルザはなんだか申し訳がなかった。



 応接室に案内されたエルザは、アレックスと隣り合って座った。あとから部屋にはいってきたアレックスの上司、ミルゼーヌ将軍が前に座る。事情徴収もかねてだから、拒否しようもない。しかもアレックスは婚約者のエルザを助けるという名目で、出動したのだから、報告は当然だろう。

 ミルゼーヌ将軍は五十代。鍛え上げた身体は、若者とかわらないが、髪は幾分白いものが混じっている。眼光はとても鋭く、エルザは全てを見抜かれてしまいそうだと思った。

「ほほう。彼女が、お前の婚約者というわけだね」

 アレックスの上司、ミルゼーヌ将軍はちろりとエルザに視線を送る。

 思わずドキリとするが、それを顔に出すわけにはいかない。

「エルザ・マーティンと申します。この度は危ないところを騎士隊のみなさまに助けていただきまして、ありがとうございました」

 エルザは丁寧に頭を下げた。

「それにしても、どうしてカーナル男爵の馬車に乗っていたのだね?」

「それは……」

 どこまで話していいものか悩みながら、エルザは男爵の依頼でハナザ村に付き添ったと話す。リンの身の上については、とりあえず伏せた。カーナルはリンをおそらく引き取るつもりだろうけれど、まだ確定ではない。

 エルザは、事件が起きた時のことや、そのあと、アレックスたちが現れるまでの状況を簡単に説明をした。

 そもそもエルザが賊と対峙したことに何一つ嘘はない。嘘をついたのはリンなのだ。話すことに何のためらいもなかった。

「ふむふむ。随分とやり手だ」

 にやりとミルゼーヌが口の端を上げた。

「キラービーの時、協力した錬金術師というのは、君だったのか」

「ええと、はい」

 エルザはアレックスの方を見ながら、頷く。

「それで、いつ結婚する予定だね?」

「まだ、決まっていません」

 アレックスの答えに、ミルゼーヌは眉根を寄せた。

「アレックス、お前正気か? 失礼ながら、マーティンさんもお前ももう若くない。のんきに婚約期間を楽しむ年でもないだろう。すぐにでも結婚するべきだ」

「将軍、それはいろいろと事情が」

 アレックスは苦笑する。

「そもそもいつ婚約したのだ?」

「えっと。それはつい最近でして」

 アレックスはさすがに対応に苦慮しているようだ。ここに来るまであまり打ち合わせをしてなかったから、エルザが下手に口をはさむとぼろが出てしまう。

「彼女は腕のいい錬金術師で、店も持っています。一緒に住むにしてもいろいろクリアしないといけない問題がありまして」

「ふむ。なるほど。優秀な錬金術師ゆえ、簡単に仕事がやめられぬということか」

 ミルゼーヌは顎に手を当てて、納得したようだった。

「まあ、とりあえず、お前が縁談を断る理由はわかった。こんな綺麗で優秀な女性がそばにいたら、貴族の小娘なんかでは物足りないだろうしな」

「縁談?」

「将軍、余計なことを言わんでください」

 アレックスはムッとしたようにミルゼーヌを睨みつけた。

「ああ、すまんな。マーティンさん、心配することはない。この男はおそらく、あなた一筋だ」

「おそらくは余分です」

「まあ、そうだな。お前を見ていたら、そうだろうなと思ったよ。大方、お前がしつこく通って、口説き落としたんだろう」

 にやにやとミルゼーヌは笑う。

 エルザとしてはなんと返したらいいのかわからない。

 エルザがアレックスに惹かれているのは事実だけれど、特に口説かれたわけでもないし、そもそも婚約自体が嘘なのだ。

「わかっていらっしゃるなら、これ以上何も言わないでください。ここまで来るまで、どれだけ苦労したと思っているんですか」

 アレックスはムッとした口調で言い返す。

 まるで本当に婚約してしまったかのようだと、エルザは思う。

 仕方なくついたリンの嘘は、引き返せないところに来ているのではないだろうか。

 エルザは嫌ではない。でも、アレックスはどうなのだろう。

──縁談か。

 貴族の子女を娶れば、アレックスの将来が安泰する。そんな未来を自分は奪おうとしているのではないだろうか。

 アレックスの横顔を眺めながら、そんなことを思う。

──本当だったら、良かったのに。

 リンの言うとおり、本当の婚約者ならよかった。

 嘘はいつか正さなければいけない。その日はきっとくる。

 にこやかに微笑しながらも、エルザの胸は苦かった。


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