男爵家

 男爵が持ってきた魔道映像機に、リンの母親が映っていた。

 母親と一緒に写っている男性が誰かはわからないが、少なくともこれを依頼したカーナル男爵なら知っていると思われる。

 エルザは、興奮するリンに食事をさせ、落ち着かせた。

 すぐにでも男爵に聞きに行きたそうなリンであるが、さすがに相手は貴族だ。

 会って話を聞くにはそれなりの手続きがいる。それに、既にカーナルにはリンのことで力になってほしいと言っており、近日中に返事が来ると思われた。

 とにかく相手が貴族である以上、無茶は出来ない。

 リンには数日待つように頼み、エルザは魔道映像機の最終チェックに入った。

 手紙の返事が来る前でも、依頼の品の引き渡しができるのであれば、会いに行っても非礼にはならない。急ぐなら、仕事を仕上げたほうがいい。

 今日のところはリンも待つことに承知してはくれたけれど、きっとすぐにでも会いに行きたいところだろう。そもそも、リンの母親は病気で、リンだって早く父親を探し当て、村に帰りたいと思っているはずだ。

 今回の仕事はかなり高額の仕事であり、やっつけ仕事で納品できるものでもないが、幸い、元の仕事が良い品だけに思ったより早く納品できそうだ。

――このぶんなら、明日の夕刻には仕上がりそうね。

 エルザはほっと胸をなでおろす。

「エルザさん、もうお仕事終わってくださいねー!」

「わかったわ」

 この仕事が終わればリンの目的にも近づけることは、リンも承知しているだろうに、それでもエルザの身体をいたわってくれる。

――本当に優しい子だわ。

 だからこそ、父親に合わせてあげたい。エルザは魔道映像機を見つめて、そして。仕事場の明かりを落とした。



 翌日の昼頃。男爵家から返信が着た。

 その日の夕方に、男爵家に来てほしいとあった。

 リンには、エルザが若いころに義父に買ってもらったものの、ほぼ着ていなかったドレスを着せる。やや大きめであるが、何とか着れなくはない。淡いピンク色のドレスは、若いリンによく似あった。

 エルザ自身は、冠婚葬祭の時に着る黒のドレスを着る。エルザの髪は短いので、結うことはできないが、黒曜石に金の縁取りをしてある髪かざりをつけた。

 普段のエルザは、動きやすい服が多いので、ドレスは礼服くらいしか持っていない。

 もっともドレスといっても、貴族の令嬢の着るような華美なものではなく、いたってシンプルなものだ。

「き、貴族さまのお屋敷ですか?」

 リンは顔をこわばらせた。リンにとって貴族は遠い遠い人であり、会話をすることすらままならない存在である。緊張は当然であろう。

「だ、大丈夫でしょうか。私、怖いです」

「あら。アレックスは平気だったわよね。確か、彼も同じ男爵だわ」

 エルザは笑う。もちろん、アレックスは騎士隊の隊長で、貴族というより武人のイメージが強いけれど。

「騎士さまは、ほら。エルザさんと仲良しですから」

 リンは笑う。

「最初にお会いした時、あんなに凄い人だと思っていなかったですし」

「そうねえ。アレックスは昔からあんな感じだったから……」

 知り合った頃は売り出し中の冒険者だった。あっという間に凄腕の有名人になり、気が付けば騎士になっていた。

 それなのに、雰囲気は昔から変わっていない。最近、ちょっとエルザとの距離感が近すぎる気がしなくもないが。

「その男爵さまはどんな方なんですか?」

「そうねえ。年齢は四十前後くらいで、紳士なかただわ。人となりはあまり知らないんだけれど、かなりのお金持ちね」

 大金をポンと出せるということだけでなく、そもそも魔道映像機を持っていること自体が、裕福な証である。

「物腰の柔らかい方だったから、そんなに心配することはないと思うわ」

 リンを安心させようと、エルザは微笑む。

 男爵から届いた手紙には、詳しいことは何も書いてなかった。ただ、迎えの馬車をよこすとあっただけだ。

 店が閉まる夕刻を指定してくれたのは、たぶん、エルザの都合を考えてくれたのだろう。

 魔道映像機の最終チェックを終えて、エルザは木箱にしまう。

 準備を終えたところに、呼び鈴が鳴った。


 

 貴族の馬車に乗るという体験はエルザも初めてだった。

 座席は板張りの辻馬車と違って、座面が柔らかい。乗り心地が全然違っている。

「思ったよりは小さいですね」

 リンが小声で話しかける。

「そうね。でも乗り心地は比べ物にならないほどいいわ」

「本当ですね」

 リンが頷く。

「ここに来るまでの馬車は、本当にお尻が痛かったです。あと、もっと揺れましたし」

「そうね。そういうものだと思っていたけれど、高貴な方の乗り物は違うのねえ」

 カーナル男爵家の経済力というものをここでもしみじみと感じる。

「田舎に帰ったら、自慢しちゃうかも」

 リンは嬉しそうだ。

 馬車に乗る前は、相手が貴族ということでかなり緊張していたようだったが、少し和らいだように見える。

 エルザは魔道映像機の入った木箱を抱えながら、車窓に目をやった。日が落ちて辺りはだんだん暗くなってきている。

「そろそろ着いたみたいね」

 前方に屋敷が見えてきた。エルザが思った以上に大きなものだ。

 屋敷の場所のせいもあるだろうが、ワーナー子爵家よりも大きいだろう。

 馬車は立派な門を入って、広い庭園を抜けていく。門から、馬車止めまでもかなり遠かった。

 馬車からおりると、カーナル男爵が待っていた。

 男爵の後ろに控えているのは、おそらく執事であろう。

「この度は、お時間を作っていただきましてありがとうございます」

 エルザが頭を下げると、リンも無言で頭を下げた。

 カーナル男爵の服装は、かなりカジュアルなもので、上着は着ていなかった。自分の屋敷ということもあるだろうけれど、エルザやリンに緊張させないためなのかもしれない。

「いえ。マーティンさんとお会いできるなら、いつでも構いませんよ」

 にこりとカーナルは微笑む。リンがびっくりしたようにエルザを見上げた。

「ご依頼の品もちょうど修理が完了しましたので、一緒にお持ちいたしました」

 エルザは、手にした木箱を見せる。

「そうですか。思ったよりも早い仕上がりで、驚きました」

「足りないと思っていた部品が、思ったよりも早く手に入りましたから」

 入手困難なバンパイアバインを思い切って自分で採取にいったぶん、結果的に日程が縮まった。アレックスのおかげだ。

「外で立ち話も何ですし、良かったらお食事をしながらお話をしませんか? そちらのお嬢さんもいっしょに」

「あ……ありがとうございます」

 緊張しているのだろう。リンの声が震えている。

「お気遣いありがとうございます。よろしいのでしょうか?」

「あなたが遠慮なさる必要は、どこにもありませんよ。あなたならいつでも大歓迎です。どうぞ、こちらへ」

 カーナルは笑んで、屋敷の方へと歩き出す。

 カーナルの言葉の奥にあるものに、エルザは不安を感じる。

 ワーナー夫人が言った言葉が本当であれば、エルザはカーナルの好意に付け込んでいることになる。そう思うと、後ろめたい。

 とはいえ。あの魔道映写機に写っていたのが、リンの母親だとすれば、それを持っていたカーナルは無関係ではないだろう。

「エルザさん、大丈夫ですか?」

 足が止まっているエルザに気づいたリンが、小声で囁く。

「ごめんなさい。大丈夫よ。リンは気にしないで」

 そう言ってエルザは軽く笑んで、カーナルの後を追った。


 





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る