男爵家2

 男爵家の食堂は、かなり広かった。

 テーブルも、リンとエルザ、男爵の三人で座るにはあまりにも広い。

 おそらくこのような場所で食事をしたことのないリンは、緊張で固まっているようだった。

 とはいえ。エルザもこのような場所に慣れているわけではない。

 貴族の館に訪れることはあっても、それは商売人としての訪問だ。このように食事で歓待されることなど、あまりない。

 染みひとつない白いテーブルクロス。その上に置かれた花瓶には美しい赤いバラ。

 魔道灯に照らされていて、昼間のように明るい。

「お嬢さんはお酒は無理でしょうから、アップルジュースを準備させました。エルザさんは、ワインでよろしいですよね?」

「はい」

 エルザが頷くと、給仕の男性がワイングラスにワインを注ぐ。

 形式通り乾杯をすると、料理が運ばれてきた。かなり意趣を凝らした料理だ。

 リンは目をまるくしている。

 エルザはワインを口にした。とても口当たりの良い味わいだ。すっきりとしていて、食事を邪魔しない。家主のこだわりを感じた。

「それで、そちらのお嬢さんの母上がうちの店で働いていたというお話でよろしかったですか?」

 カーナル男爵が口を開く。

「その件なのですが、お預かりしていました魔道映像機に、彼女の母親が映っておりました」

「魔道映像機に?」

「はい。フィリップと名乗る男性と一緒に映っておりました。リンの母親の言う、彼女の父親と名前が一致します」

 エルザは食事の手を止めて、丁寧に話す。

「ナオス商会に勤めていた彼女の母は、周囲に恋人との関係を反対されて、逃げるように田舎に帰ったそうです。リンは現在十五歳ですから、十六年前の話ですけれど」

「……ふむ」

 カーナルの顔が険しくなった。

 そして、リンの顔を見て、小さく首を振る。

「いくつか質問をしても?」

「はい。でも、私、父のことは何も知らなくて。母は昔のことをあまり話したがりませんでしたがそれでわかることであれば」

 リンは不安げに俯く。

「君の母の名前は?」

「ロゼッタです。ロゼッタ・マートン」

 リンははっきりとした声で答える。

「君の母親は、外国語に達者だろうか?」

「……わかりません」

 リンは首を振る。おそらくハナザ村では必要のないものだ。たとえ話せたとしても、使う機会はないだろう。

「でも、母は字が達筆らしく、代筆などの仕事もたまにしております」

「……なるほど」

 カーナルは頷いた。

「おそらく魔道映像機に映っていたのは、フィリップ・カーナル。私の兄だ」

「お兄さま?」

 エルザは首をかしげた。

「残念ながら、兄は、十四年前に事故で亡くなっている」

「そんな」

 エルザはリンを見る。かける言葉が見つからない。

「その魔道映像機は、兄の遺品で何が映っているのか私は知らなかった。そうか。君の母親が映っていたのだね」

 カーナルは申し訳なさそうな顔でリンを見る。リンの顔は青ざめていた。

「私は君の母親のことは知らないが、兄に心から愛した人がいたことは知っている」

 フィリップとリンの母親ロゼッタの恋を、カーナルの両親が許さなかったらしい。貴族との婚姻をさせるつもりだった両親はフィリップに内緒で、勝手に婚約者をみつけ、ロゼッタに慰謝料を押し付けて、ナオス商会から追い出した。

 おそらくロゼッタの方も、叶わぬ恋と思い、身を引いたのであろう。

「母は、父に酷いことを言ってしまったことを今でも後悔しているのです」

「そうか。それは、本当にすまないことをした」

 カーナルは頭を下げた。

「兄は恋人を失って、日ごとに生きる気力を失っていった。両親が自分たちの意に染まぬ兄の恋人に大金を渡して追い出そうとしたことに気づき、恋人を探そうとした。何か手掛かりがあったのだろう。ある日、兄は一人で大雨の中、馬で出かけた。ブルン村の近くで土砂崩れにあって、亡くなったらしい」

「ブルン村ですか」

 エルザはため息をついた。ブルン村といえば、リンの故郷、ハナザ村の近くだ。

 ひょっとしたら。フィリップは、ロゼッタの居場所を突き止めていたのかもしれない。

「兄が亡くなって、両親は気落ちしたのかはやり病で追うように亡くなってね。私は商売の関係で隣国と行ったり来たりで、両親が亡くなるまで、この屋敷にはいなかった。兄がなぜ、ブルン村で亡くなったのか知ったのは、倉庫を整理してた時。つい最近のことなのだ」

「そう……ですか」

 リンの声が震えている。

「母は……もう謝ることはできないのですね」

 ぽたりと、リンの手に涙の雫が落ちた。

「謝る必要はないのだと思う。兄はおそらく最後まで、君の母を愛していたのだろうから」

 カーナルは立ち上がって、リンのそばに行き、彼女の頭をなでた。

「君は、兄の子。私にとっては姪だ」

「……はい」

「私は兄の代わりにはなれないが、それでも、君と、君の母親に私の両親がしたことを謝罪したいと思う」

 カーナルは丁寧に頭を下げた。

「君の母は病気だと聞いたが?」

「はい。ここのところほぼ寝たきりのようになってしまって。お医者さまにも診ていただいているのですが、よくわからないみたいなのです。今日明日の命というわけではないと言われてはいるのですが」

 リンは哀し気に目を伏せる。

「そうか」

 カーナルは頷いて、また自分の席に戻った。

「君の母親を一度帝都に呼び寄せて、医者に診せたほうがいいかもしれない」

「でも」

 リンは不安げに顔をあげる。

「今、君の母親はどうしているのだ?」

「ハナザ村に。叔母が私の留守の間、面倒を見てくれているはずです。母があまりにも父に謝りたいとうなされているので、叔母がすすめてくれたのです」

 金銭的にはそれほど余裕がないリンは、三日間歩いて帝都にやってきた。おそらくその叔母は、帝都の広さと、物価の高さを知らなかったのかもしれない。

 リンはエルザと出会わなければ、何の収穫もないまま村に帰るか、帝都の片隅で倒れてしまっただろう。リンの所持金はそれほど多くはなく、エルザと会った時点で、帝都の宿代を払う余裕はなかった。

「では、とりあえず食事だ。それが終わったら、これからどうするかゆっくり相談していこう」

 カーナルに言われて、リンは頷く。

 リンの表情は落ち着きを取り戻しているように見える。

「それにしても、魔道映像機の修理を頼んだエルザさんのところで預かっていたお嬢さんが、兄の娘とは、縁は異なものですね」

「ええ。本当に」

 エルザも不思議なものを感じる。

 リンがエルザの家に来たのは本当に偶然だったけれど。

「きっと、リンのお父さまが繋いでくれたのでしょうね」

 エルザは、傍らに置いた魔道映像機に目を向ける。フィリップがにっこりと微笑んだような気がした。




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