カーナル男爵

 エルザは持ち込まれた見合い話を、どうやって断ろうかと思っているうちに、数日が過ぎた。

そもそもエルザは、カーナル男爵なる人物がどんな人物なのか、全く記憶にない。

 ひょっとしたら、夫人の勘違いで別の人物なのではないかとも思う。

 貴族が庶民の女性を見初めるというのは、ないわけではない。

 だが、エルザは既に三十五歳だ。若さを武器にできる年ではなく、それなりに整った顔ではあるけれど、絶世の美女とかでもない。商売はそれなりにうまくいっているが、財産をあてにされるほど裕福でもないのだ。

 そのうち、夫人の方から「あれは間違い」と言ってくるのではないかと思ったりもする。

 エルザは、作業台に座り、新しい魔石を作ろうと魔晶石を棚から取り出した。

 午後の日差しが、大きな天窓から差し込む。魔石を作る時は魔道灯を使わない昼間に限る。

 不意に、馬車が止まる音がした。

 エルザの店に馬車で横付けする客は滅多にない。

 エルザは、魔石の作成を中断し、顔を上げた。

 カランという音がして、入ってきたのは、四十前後の身なりの良い紳士だ。やや白いものが混じったダークブラウンの髪。鋭い鳶色の瞳。かなりやりての印象を受ける。

 紳士は、店内の様子を興味深そうに見回した。

「あっ」

 エルザは、思わず大きな声を上げた。

「カーナル男爵?」

「やあ、覚えていてくださいましたか。光栄です」

 紳士、カーナル男爵は嬉しそうに微笑んだ。

 顔を見てやっと思い出した。ワーナー子爵家の玄関先で、子爵家で飼っている猫が可愛いというような話をした気がする。

ーー覚えていないわけだわ

 色気もなければ、仕事の話ですらない。

 あれで恋に落ちるとかありえない、とエルザは思う。

 それにしても、いったい何をしに来たのか。夫人に代わって、お見合いの話を断りに来たのだろうか。

「夫人から、こちらで錬金術のお店をやっておられると聞きまして。ぜひ、お願いしたいものがありまして、参上いたしました」

 カーナル男爵は、懐から小さな金属の箱を取り出した。オルゴールのようだ。

「オルゴールですか?」

 カーナル男爵はカウンターの上に、丁寧に置く。

「これを直していただきたいのです」

「それは……」

 オルゴールなら、それはオルゴールの職人に頼んだ方が良い、とエルザは言いかけて、その箱に刻まれた紋様に気づいた。

「魔道映像機……ですか」

「はい」

 カーナル男爵は頷いた。

 魔道映像機とは、箱を開くとある映像を空中に映し出す装置だ。

 作るのはあまりにも高価なため、庶民が手にすることはないが、貴族がラブレター代わりに恋人に思いを伝える映像を送ったり、家族の想い出を残したりするのに使う。

 エルザも数回しか見たことがない。

 あまりの珍しさに、エルザはつい夢中になって見つめる。

 そして、男爵がエルザに会いたかった理由はこれだったのだとエルザは合点した。見合い云々というのは、やはり夫人の早とちりだったに違いない。

「かなり昔に失くしてしまったと思っていたものが、倉庫の奥から出てきまして」

「拝見しても?」

「どうぞ」

 エルザは、箱に手をのばした。ふたを開いたが、何も起こらない。

「魔石切れということはないですよね?」

 箱の裏側の魔石を入れてあるボックスには、まだ魔力の輝きのある石が入っていた。

 エルザは、箱のネジを外して、中身を確認する。魔道映像機に触れた経験は、数回しかないが、それでも、これはかなり精巧に作られたものだとわかる。実に興味深い。

 ただ保存状態があまり良くなかったのであろう。機構の金属部分は錆つき、魔石は力を失っており、さらには、部品の一部が経年劣化で壊れてしまっていた。

「部品がかなり特殊ですね。すぐには直せそうにありません」

 エルザは首を振った。

「部品の原価だけもかなりになります。一万Gはいただくことになると思います」

「一万Gですか」

 カーナル男爵は少し思案しているようだ。一万Gといえば、貴族でもかなりの金額だ。簡単に払える金額ではない。

「期間も一か月ほどかかります。それでご承知いただけるのでしたら、お受けいたしますが」

「かまいません。よろしくお願いします」

 カーナル男爵は頷いた。

「出来上がりましたら、お宅にお届けすればよろしいですか?」

 エルザは、書類を出して、男爵にサインするように促す。金額の大きい仕事は、間違いが起こってはいけない。最初の決め事が大事だ。

「いえ。ちょくちょく、こちらによらせていただきますので」

 カーナルはサインをしながら、にこやかに微笑む。

「私をあなたによく知ってもらいたいのでね」

「えっと?」

 エルザは首をかしげた。

「それでは、また」

 カーナルは軽く会釈をして、店を出て行った。

ーーどういうこと?

 夫人の言っていたことは、本当だったのだろうか?

 だとしたら、この仕事を受けるべきではなかったのかもしれない。一万Gもの仕事の相手だ。邪険にできるものでもない。

ーーでも、仕事は仕事よね。

 エルザは、魔道映像機を手に取り、気を取り直す。

 魔道映像機の修理なんて、めったにできることではない。

 男爵の意図がどこにあろうとも、ここから一か月先には、気が変わっているだろう。

 エルザは、深く考えるのをやめ、魔道映像機の分解を始めた。

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