キラービー 3

 エルザは、思わず息を止めた。

 目の前のキラービーは、まだ攻撃態勢には入っていない。

 とはいえ、エルザの存在に気付きどう扱うか決めかねているようだ。

 調合の作業は止めるわけにはいかない。

 じっとキラービーの様子をうかがいながら、作業をゆっくりと続ける。

 慌ててはダメだ。キラービーを刺激してはいけない。

 一匹、攻撃態勢に入れば、ここにいるすべてのキラービーが押し寄せるだろう。そうなれば、もはや眠りの煙どころではない。否応なしの乱戦となる。

「エルザ、無理するな」

 アレックスの低い声。甲冑の音がかちゃりと響く。剣を握ったのかもしれない。

「待って」

 エルザは、囁くような声でアレックスの動きを制する。

 今動くのは賢明ではない。

 キラービーは、ずっと同じ位置にとどまったままだ。エルザを睨みつけているかのようでもある。

 エルザは、自分の背負い袋をアレックスの方へと転がした。

「外ポケットに入っている、緑の瓶を出して」

 視線を動かさず、エルザは囁く。

「わかった」

 アレックスが答える。

 キラービーは動いた背負い袋に一瞬、気をそらしたが、エルザの前から動かない。

「あったぞ」

「ふたを開けて、出来るだけ遠くに投げて」

 キラービーを見つめながら、エルザは指示をする。背筋に冷たい汗が流れた。

 アレックスが瓶を開けている音が静かに響く。

 突然、強烈な甘い匂いが広がった。

 キラービーの羽音が変わる。

 アレックスが瓶を投げた。それは放物線を描いて、入ってきた入り口の方へと飛び、たくさんのキラービーがそれを追いかける。

 目の前の脅威は去った。

 エルザは、大急ぎで調合の作業をすませ、荷物をまとめる。

「撤収するわ」

「ああ」

 背負い袋を再び背負い、エルザは立ち上がる。

 キラービーたちはまだ、投げられた瓶の落ちたあたりに群れていた。

「あれは?」

「キラービーたちが好む花の成分を濃縮したものです。一時的に興味を引くことができます。でも、長い間は持ちません」

 調合を終え、木皿にのせた薬剤からゆっくりと眠りの煙がたちのぼりはじめる。

「いきましょう」

 扉は既にないが、入ってきた入り口と反対側の通路へと向かう。

 ここから先は、神官たちの居住区になり、一つ一つの部屋の区切りが狭くなる。

 数で言えば礼拝堂より少ないが、キラービーがいないわけではない。狭い分、避けにくくなる。

 黙ってついてきてはいるが、ミーナの顔はかなり青い。キラービーの羽音がするたびに、びくりと身体が動く。かなり限界が近そうだ。とはいえ、一人で先に行かせることもできない。

「ここも眠りの煙を使います」

「わかった。急げよ」

 先ほどよりは随分と小さい巣が、小さな部屋の天井にくっついていた。多分、一般的な大きさより小さい。だが、念には念を入れるべきだ。

 アレックスに断って、エルザは、再び調合に入る。

「さっきの、においの瓶は使わないの?」

 ミーナがすがるようにエルザを見る。

「あれは、一つしか持ってきておりません。それに、あれを使うと、やつらが興奮してしまって、眠りの煙の効果が出るのに時間がかかってしまいます」

 エルザは手早く作業をしながら答える。

「それに部屋が狭いと、かえって危険かもな」

 アレックスが呟く。狭い空間だと、遠ざけることがそもそも難しいのだ。

「終わりました。行きましょう」

 エルザはアレックスが指示していた見取り図を思い出しながら、部屋を進む。

 巣があれば、エルザはとどまり調合する。もっとも、量は礼拝堂に比べればぐっと少ないから、作業時間も短い。

「こっちだ」

 ようやくもう一つの出入り口が見えた。

 厨房だったのだろう。かまどの形が残っている。足元に落ち葉や、皿などがちらばっていた。壊れて朽ちた棚などもあって、かなり足場が悪い。

 そして、羽音もする。よく見ると、出入り口のすぐそばに、小さな巣があった。

「先にゆっくりと出てください」

 礼拝堂と違って、もともとあった出口の大きさが違う。人が通れる大きさではあるが、キラービーも出入りしていて、外へ出るのもかなり勇気がいる。何しろ、巣のそばを通らなければいけない。

 エルザは調剤の用意を始めた。

「で、でも」

 ミーナの声が震えている。

「ゆっくり行け。全員一度には無理だ」

「はい」

 アレックスに促され、ミーナがゆっくりと外に向かう。

 エルザはそれを横目に最後の調合作業だ。

 建物内のあちこちに、すでに作業済みだから、量は少しで構わない。

「キャ!」

 小さな叫び声とともに、ガシャンという音がした。

 壁際で傾いだ状態だった戸棚に、ミーナが触れてしまったらしい。

 羽音が変わる。警戒音だ。巣から一斉にキラービーが飛び出してくる。

「外に出ろ、急げ!」

 アレックスが剣を抜いた。

 こうなっては、眠りの煙どころではない。エルザは作業を打ち切る。

 キラービーは三人の人間を敵とみなし、襲い掛かってきた。

「エルザ!」

 アレックスがエルザを庇いながら、キラービーを切り捨てる。

「先に行け!」

「はい!」

 エルザは頷き、出口から転がり出た。

 キラービーの警戒音はどんどん大きくなる。眠りの煙の効果はまだ薄い。違う巣からの援軍も考えられる。

 アレックスもようやく出口にたどりついたが、攻撃の手は緩まない。ぐるりと見まわしたが、ミーナは自分を追ってきたキラービーを相手するので精一杯のようだ。

 エルザは背負い袋から、小さな小瓶を取り出す。

「炎よ」

 小瓶に布をねじ込み、魔術で火をつけた。

「伏せて!」

 エルザはアレックスの脇から、小瓶を部屋の中へ投げ込む。

 ガシャンと瓶が割れると同時に、火が大きく燃え広がり、キラービーの羽音が炎に飲まれていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る