友人から始めませんか?

白猫なお

第1話 友人から始めませんか?

「エリザベス・ヴィルクザーム侯爵令嬢、私は君との婚約をここにて破棄させて頂く!」


 名指しされた黒髪の美少女はエリザベス・ヴィルクザーム、この国、小国の筆頭侯爵家の令嬢だ。

 淑女の鏡、令嬢の中のご令嬢と評されるエリザベスは立ち姿でさえ気品が溢れ、紫色の理知的な瞳に今まさに困惑の色が見て取れた。


 自分の婚約者であるアレックス王子の日頃の行いには胸を痛めている毎日だったが、まさか国にとって大事な夜会の席でこの様な珍事件を起すほどの愚か者だったのかと、目の前に立ち、勝ち誇ったような表情を浮かべる婚約者に心底失望していた。


 婚約破棄? 別に構わないわ……それよりも早くこの愚かなアレックス王子から解放されたいと、彼女はそう思っていた。


 そんな彼女の事を不躾にビシッと指さしながら婚約破棄を言い渡したのは、この小国の第一王子であるアレックス・チャーミングだ。金色のふわふわとした髪をして、王妃に似た美しい顔をしている。

 そんな彼の青色に光る瞳には、幼い頃からの婚約者へ侮蔑を込めた熱を持っていた。


 幼いころからの婚約者であるエリザベスは全てにおいて完璧で、婚約者として比べられてきたアレックス王子は厭うしくてしょうがなかった。「彼女が居れば王家は安泰だ」そう耳にするたび、エリザベスの事を嫌いになっていった。


(私の悪い噂も侯爵家が……そう、エリザベスが手を回して流したのだ!)


 馬鹿王子と揶揄されるアレックス王子は、自らを省みずそんな風に逆恨みさえして居たのだ。自分の不甲斐なさを棚に上げての浅はかな考えであった。





 この国では今宵、他国からの使節団を歓迎する夜会が王城で開催されており、アレックス王子の愚行は催し物か何かなのでは無いかと、会場に集まるこの国の貴族や、他国の貴族である外交官達はそんは風に思っていた。


 何故なら貴族の婚約とは ”契約” であり ”誓約” であるからだ。

 気に入らないからと言ってそう簡単に破棄など出来る物ではない、それも言いだしたのはこの国の王子だ。自分の婚約が国にとって如何に重要な契約なのか、王子として学び良く分かっているのなら、こんな恥知らずな行いを貴族が大勢集まる夜会で披露するなど、本気でしでかさないであろうと誰もがそう思っていた。ただし本人並びに関係者以外はだ……


 そもそも貴族の婚約を解消する時は、お互いに傷が残らない様にする為、この様な人が集まる場所では無く、個室にて親である王や王妃立ち合いの元、密かに解消されなければならない物だ。

 なのでこの会場でアレックス王子のセリフを本気だと信じたのは、今の所青ざめているほんの一部の人間だけだった。



「エリザベス、君は私の再三にわたる注意も無視し、私の友人であるアイラ・ボニー男爵令嬢を蔑み、卑しめて居たな、君の愚かで卑劣極まりない行いには殆嫌気がさした。私の妻となり母国となる人間として君は相応しくない! この婚約破棄に大人しく従ってもらおうかっ!」

「アレックスさまぁ、素敵ですわぁ」


 まさか本気の婚約破棄だとは思って居ない他国の貴族からは、これは面白い見せ物だと拍手が上がる、アレックス王子の腕には胸を押し付けながら、しなだれかかり、合の手を入れる女性が居た。魅惑的な肉体美に甘いピンク色の髪、彼女がアレックス王子が言う ”友人” の男爵令嬢だろう。


 友人と呼ぶには些か……いや見るに堪えない行動を起こしている彼女を見て、これは喜劇だとしか会場の貴族たちには思えなかった。貴族の令嬢として余りに品のない所作に、アレックス王子の友人として呼ぶにもそれは酷く憚れるものであった。


 しかしアレックス王子は会場からの拍手を、自分の婚約破棄を応援し、後押ししてくれる物だと勘違いした。

 王や王妃、そしてその側近達が青ざめる中、調子に乗ったアレックス王子の断罪は続いた。


「エリザベス、君は嫉妬に狂いアイラに酷い言葉を浴びせたな!」

「いいえ、アレックス様、私くしはその様な事はしておりません、ただ婚約者の居る異性への態度を諫めただけでございます」

「醜い言い訳はするな! それだけでは無いぞ、君は私の愛がアイラに傾くのを感じ、憎しみに満ちてアイラの持ち物を壊したな! その証拠は今ここにあるぞ、ジェイコブ、ここへ持ってまいれ!」

「ハッ!」


 騎士団長の子息である王子側近のジェイコブ・シャサールはアレックス王子から声が掛かると、壊れたペンや破れた本を高々と掲げ、会場中の参加者に見えるようにしたのち、床へと置いた。

 

 虐めの証拠としては些かお粗末な代物だが、これが茶番劇だと思っている貴族達からは、「いいぞいいぞ」とまたまた拍手が上がる。ついでに笑い声もだ。それは失笑と呼べるものだろう。いくら劇でもあの証拠はあり得ないだろうと、それが周りの反応だった。


 そもそもこんな物が証拠として通用するならば、正義も何も無くなってしまう。


 だがアレックス王子は本気だった。自分が信じた物は間違い無いとそう思っていたのだ。


 そのアレックス王子の愚かな考えが、今のこの状況を作り出していた。


 アレックス王子が悲鳴を聞きつけて駆けつける時、それは常に涙を溜め、華奢な体を自分で抱きしめるアイラがいた。


「エリザベス様が……」


 アイラがそう言えば、それがアレックス王子の真実で正義だった。

 例えその場にエリザベスが居なくても、誰か人を使ってアイラを貶めたのだろうとそう理解した。


 アイラが正義でエリザベスが悪、アレックスの中では既にその思考が出来上がっていたのだ。


「アレックス様、お言葉ですが、私くしはその様な物に手を出した記憶はございません、そもそもボニー男爵令嬢とはクラスも違いますし、彼女のクラスに私くしが行けば目立ってしまいます。ですのに彼女の私物を壊しに行く事が出来ますでしょうか?」


 少し怯え青い顔になりながらも、凛として王子を正面から見つめ返すエリザベスの気品のある美しさに、会場中から感嘆の息が溢れた。この令嬢こそ王妃に相応しい娘ではないかと……


 だか有頂天になっているアレックスにはそれは届かなかった。聞こえて来たのは自分の腕に縋り付くか弱い乙女のか細い怯える声だけだった。


「ううう……酷いですわぁ、エリザベス様はいつもそうやってぇ私を虐めるんですぅ」

「ああ、可愛いアイラ、泣かなくてもいい、君は何も間違っていない、悪いのは罪を認めないあの女だ。私に任せておけ、必ずやあの女を断罪して見せよう!」

「アレックスさまぁ、素敵ですわぁ」


 嘘泣きにしか見えない男爵令嬢の姿に会場中が大根役者だなーと呆れ気味になったが、アレックス王子だけはアイラの事を愛おしそうに見つめていた。

 まだ婚約の破棄が成立していない婚約者が目の前に居るのにも関わらず、アレックス王子とアイラの二人はまるで恋人同士の様だった。


 これは一般的に考えて婚約者がありながら他の女に手を出したアレックス王子が一番の悪者では無いか? と誰もがそう思っていたが、そこは無料の催しもの、役者もこの国の王子、演技は素人だ、三文芝居でも仕方がないなとそう思っていた。


「エリザベス、言い訳はやめろ! 君の愚行はこれだけでは無いのだぞ! 先日君は学園の階段からアイラを突き落としたな! アイラは打ちどころが悪ければ死んでいたかもしれない、そんな事を平気でするなんて、君は何て恐ろしい女なんだ。良く平然としてこの場に居られるな、恥を知れ、この悪女め!」


 アレックス王子の横では、男爵令嬢が下品な程大きな泣き声を上げていた。

 そもそも貴族のご令嬢が人前で涙を流すなど恥ずかしい行為であるのに、この芝居の台本を書いた人物はそれさえも分かってい無い様だと、会場中があまりの現実離れした酷い劇にうんざりとし始めていた。


 これがもし劇では無く本当の婚約破棄事件なのだとしたら、貴族として、王家の者として、そしてこの国の王子として後ろ指を指されるのはアレックス王子であろう。


 まさか自分の無知を会場中に披露しているとは思いもしていないアレックス王子は、エリザベスを追い詰めた事に得意満面な顔をして居た。


 それに男爵令嬢であるアイラの方も、知性のなさと品のなさを披露しているような物だ。もしこれが劇では無いと知られたら、知性のかけらも持ち合わせて居ないアイラが、貴族社会で生きていける場所は残されていない事だろう。


「アレックス王子……先程も申しましたが、私くしはボニー男爵令嬢とはクラスが違います、彼女を階段から突き落とすなど無理がありますわ」

「はんっ、またその言い訳か! 君は余程自分が可愛いと見えるな、王子である私が何の証拠も持たず断罪をするわけがなかろう、その証拠は今ここにある、ジェイコブ、ここへ持ってまいれ!」

「ハッ!」


 ジェイコブ、またお前か……セリフは「ハッ!」しかないんだな……と会場中が、ジェイコブにもっとセリフを! と思っている中、ジェイコブの父親であるシャサール騎士団長は怒りに震えていた。会場の警備の仕事についていなければ、今すぐバカ息子の側に行って殴り倒したい気持ちだった。王子の側近でありながらこの馬鹿げた婚約破棄に手を貸すなど、自分の息子ながら情けなさに首を絞め上げたい気持ちになっていた。


 ある意味セリフが「ハッ!」しか無いのは、ジェイコブにとっては救いだったかもしれない……


 ジェイコブがアレックス王子に指示されて出した証拠品はハンカチだった。

 背の高いジェイコブが高々と掲げた白いハンカチには ”A・V” の刺繡文字が入っていた。

 アレックス王子はドヤ顔をして居るが、会場中の皆がこてんと首を傾げた。これが何の証拠になるのだ? と、疑問に感じていたからだ。しかしアレックス王子は得意気に説明を始めた。


「このハンカチは、アイラが落とされた階段の踊り場に落ちていた。これはエリザベス、お前のハンカチだ! どうだこれが動かぬ証拠だ! いい加減全ての罪を認め、アイラに謝り、婚約破棄を受け入れろ! 今ならまだ国外追放はせず、慰謝料だけで許してやる、さあ、犯した罪を認めるんだ!」

「アレックスさまぁ、素敵ですわぁ」

「……アレックス様……大変申し訳ございませんが、そのハンカチは私の物ではございません……」

「なっ! 何を言う! こうしてお前のイニシャルがここに入っているだろうが、それが何よりの証拠じゃないか!」

「そうですわぁ、エリザベスさま、こわーい、ぐっすん」


 ハンカチが落ちていただけで犯人扱いとは……この芝居、本当に大丈夫か? 流石に痛すぎて見て居られないぞ……と会場中の貴族が、そろそろ馬鹿げたお芝居は終わりにしてくれないかなーっと呆れて居るにも気が付かず、アレックス王子とアイラは自分たちこそが正義だと疑いもして居なかった。


 壇上から見守っていたこの国の王や王妃はもう真っ白な顔色になり、これが本当の婚約破棄事件だと気付かれないようにと祈るばかりだった。


 そしてエリザベスの両親でヴィルクザーム侯爵夫妻は、アレックス王子からの娘への断罪を目の当たりにして、王家へどう落とし前を付けさせようかと怒りに燃えていた。


 今出て行けば本当の婚約破棄だと思われ娘に傷がつくかもしれない……


 ここは仕方なく見守り、後から王家に多額の慰謝料を吹っかけてやろうと怒りを露にしていた。アレックス王子の事は決して許さないと、周りの目など気にせず殺せるほどの怒気を含み睨みつけるほどだった。


「アレックス様……そもそも私のイニシャルは ”A” では無く ”E” でございます……婚約者でしたのにそんな事もご存じなかったのですか?」

「なっ! そ、そ、そんなものはちょっとした間違いだろう、このハンカチだってお前がこうなることを見越してわざと落としていったのだろう、言い逃れは出来ないぞ!」

「……さようでございますか……でしたらもう何も言う事はございません、婚約破棄は受け入れさせていただきます」

「ハハハッ、エリザベス、遂に罪を認めたな! お前は国外追放にし、ヴィルクザーム侯爵家は御家取り潰しにしてやる! そしてヴィルクザーム侯爵家のすべての財産は被害を受けたアイラの、そうボニー男爵家の物とし、アイラは心優しい聖女として私の新たな婚約者とする、どうだ、エリザベス思い知ったか!」


 アーハッハッハッハ! と会場中に響く大きな笑い声を上げ、アレックス王子のどう見ても言いがかりとしか思えない断罪劇に、流石に無理があるだろうと会場中の皆がシラケ切っていた。

 断罪されたエリザベスさえ、もうこの馬鹿らしい婚約破棄から逃れられるならば、どうにでも言ってくれと投げやりな気分になっていた。



 そのエリザベスは8歳の時からアレックス王子の婚約者だった。

 エリザベスは遊びたい盛りである幼いころから、王妃になる為の厳しい教育を受けて来ていた。

 反対にアレックス王子はエリザベスが優秀だから大丈夫だろうと、甘やかされ、最低限の知識しか持ち合わせて居なかった。だからこそエリザベスを妬みこの様な愚行をしでかしたのだが、アレックス王子はその事に全く気が付かない程愚かだったのである。きっと教育を怠った家庭教師たちは今頃荷物をまとめ、逃げる準備をして居る事だろう……それ位の恥をアレックス王子はさらけ出していたのだ。


「エリザベス! お前をこの国の王子と、その愛する女性に危害を加えた罪で投獄させてもらう、ジェイコブ、この女を引っ立てい!」

「ハッ!」


 見るからに筋肉モリモリのジェイコブがエリザベスのか細い腕を掴もうとしたその瞬間――


 澄み渡る力強い声が会場中に響いた――


「その断罪、ちょーっと待ったーーー!!」と


☆☆☆


 時間は遡る程数分前。


 アレックス王子の婚約破棄が始まると、歓喜に打ち震える人物がこの会場に一人いた。


(やっと……やっと……この時が来た……)


 心の中で感動の涙を流しているのは、大国の王子であるオリオン・エレティックだ。


 オリオン王子には前世の記憶があり、この世界が ”乙女ゲーム” の中だと知っていた。

 そうオリオン王子こそこの断罪劇を待ちに待っていた人物なのであった。


 オリオン王子が前世の記憶を思い出したのは10歳の時、馬術の訓練中に馬から落ちた瞬間だった。

 オリオン王子は前世を全て思い出したわけでは無いが、大国の王子として、中国、小国の国々を勉強して行く中で、ある王子の噂が耳に入ってきたのだ。


 とある小国に美しい王子が居る事、名前はアレックス・チャーミングと言う事、そしてその婚約者が小国の筆頭公爵家令嬢でエリザベス・ヴィルクザームだと言う事。


 そこまで聞いてオリオン王子は、前世で大好きだった『胸キュンキュン。恋ラブ愛ラブ♡プリンセス ~私の瞳はあなたの為に~』の世界の中だと気が付いた。


 大好きなキャラだったエリザベスが小国にいる。


 何で自分は小国に生まれなかったのかと、酷く嘆いては、項垂れる日々が続いた。


 せめてもう二年早く記憶が戻っていたら、父親である大国の王にお願いをして、エリザベスに婚約を申し込んだのにと、(バカバカ俺のバカー!) と何度も自分の頭を殴った。


 その落ち込み具合は酷く、両親や兄弟に心配されたオリオン王子だったが、ある日ふとこのゲームには隠しキャラが居た事を思い出したのだ。


 主人公の一番の攻略相手でもあるアレックス王子とは正反対のサラサラと流れる銀色の髪、そしてルビーの様な輝く赤い瞳、オリオン王子は兄弟の中でも一番優れた容姿だった、それにどんな事でも簡単にこなしてしまうチート能力も持ち合わせていた。


(あ、コレって俺が隠しキャラだよね?! 絶対そじゃね?)


 そう気付いてからのオリオン王子は凄かった。


 憧れの悪役令嬢であるエリザベスに釣り合う男になる為、日々努力し続けた。

 それは勉強だけでなく、剣術、武術、馬術と、完璧にマスターした。

 向かうところ敵なしとなったオリオン王子は、大国の学校をあっという間に飛び級すると、「18歳で迎える成人までの自由な時間を、小国の学校に留学して見物を広げたいのです」と王である父親に話し説得したのだ。


 我が息子ながら素晴らしい心構えだと、涙を流し喜ぶ王から許可を貰い、この小国に留学生としてやって来たのが、丁度一週間前。

 やっとやっとやーっと憧れのエリザベスに会えた今、オリオン王子の気分は天にも昇れそうなほど晴れやかだった。


(エリたんマジかわ! ちゅきめろ! 最高やんけ!)


 心の声が出そうになる所をグッと堪え、オリオン王子は向かい合うアレックス王子とエリザベスの間に割って入り、今にもエリザベスの手を取ろうとしたジェイコブの手を取り、止めた。


「この断罪に異議申し立てます!」


 月の精霊かと見紛う程の美しい王子の登場に、会場中の誰もが息を呑んだ。長い銀色の髪を後ろで一つに束ね、魅力的な赤い瞳でアレックス王子を睨み付けるその様は、正に本物の王子その物だった。


 オリオン王子の噂は、勿論この小国まで知れ渡っていて、この留学が決まると、貴族の子息やご令嬢が浮足だっていた物だ。

 是非とも息子を側近に、娘を婚約者に、とオリオン王子と懇意になりたいと望む者は溢れる程いた。

 自国の王子が残念過ぎるのも、大国の王子であるオリオン王子に皆が執着するその一因でもあるのだが……その事にはまったく気が付かないアレックス王子であった。


「なっ! お前は誰だ! この私が王子と知っての狼藉か! ジェイコブ今すぐこいつを切り捨てろ!」


 大国の王子に向かって「お前は誰だ」と問いかける自国の王子の残念さに、会場中の貴族から落胆のため息が漏れた。

 この世界は大国、中国、小国、と分かれていて、大国と呼ばれる国はこの世界には二国しかない、たかだか小国の王子が大国の王子に向かってのこの物言いだ。貴族の子供ならば誰でも大国の王子の事は知っている、今まさにアレックス王子の勉強不足が露見された瞬間だった。


「私の名はオリオン・エレティック、大国から留学の為にやって来た王子だ。この断罪に異議申し立てる!」

「な、な、な、なんだ、留学生の分際で、私に意見するのか! ジェイコブ、何をして居る、すぐにこの生意気な男を切り捨てろ!」



 この国の王も、王妃もそしてその側近やこの国の貴族の全てが、大国の王子に無礼を働く自国の王子の行いに青い顔をして居た。自分が正しいと疑わず、本当に婚約破棄を、そして断罪をして居るアレックス王子はもはやこの国の害虫にしか見えなかった。


 そしてアレックス王子の行いを、催しものの劇か何かだと思っていた他国の貴族たちも、大国の王子であるオリオンの出現に流石に気付き始めていた……アレックス王子はアホでは無いか? と……そしてこの催しものも、そのアホ王子の真剣な本物の婚約破棄なのでは無いかと……


 オリオン王子はアレックス王子の喚き声など気にもくれず、やっと会えた愛しのエリたん事、エリザベスの手をそっと取った。この日の為にチート能力を磨き上げ、エリたんを守るため、鍛え上げてきたのだ。やっと会えたエリたんにしょっぱなから気持ち悪がられないためにも、出会いの場を何度もシュミレーションして来た。オリオン王子は王子らしい笑顔を顔に張り付け、優しい声でエリたんに話しかけた。


「エリた……ゴホンッ、エリザベス・ヴィルクザーム侯爵令嬢、助けに入るのが遅くなって申し訳ない、私が貴女の無実を証明させて頂くので、どうか安心して下さい」

「……殿下……大国の王子である殿下にその様な事は……」


(エリたん、健気じゃんかー! 何処が悪役令嬢なんだよー! ムチャキュンッ! ヤバキュンッ! 可愛すぎるー! もはや死んでもいい!)


「ヴィルクザーム侯爵令嬢、貴女の優秀なお噂は我が国にも届いておりました、貴女にお会いしたら ”友人” としてお付き合いして頂きたいと兼ねがね思っておりました。どうか私の事はオリオンと気軽にお呼び下さい、そして友人の私にどうかこの場はお任せください」

「……オリオン様……」


(グハッ! エリたんに名前呼ばれた……もう俺死んでもいい……)


 少し頬を染め、自分を見上げるエリザベス。

 オリオン王子にチート能力がなければ、この場で鼻血を吹き出し、倒れて居ただろう。それぐらい近くで見るエリザベスは美しかった。


 夜会の為に整えたドレスはエリザベスの品のある美しさに拍車をかけ、側によれば花の香りの様な魅惑的な匂いがした。オリオン王子はこの場で深呼吸をしたかったが、今日まで鍛え上げてきた精神力でその欲求に打ち勝った。


 エリたんに嫌われたら死ぬ! オリオン王子はそれだけで自分の欲望に打ち勝ったのだ。流石チート王子。


「お、おい! 俺を、いや、お前達、私を無視するな! ジェイコブも何をやって居る、早くそいつらを切り捨ててしまえ!」


 三度もアレックス王子に命令を下されたが、ジェイコブは動かない。

 五月蠅い蠅の音を聞いて、オリオン王子は仕方なくエリザベスの手を離すと(そう言えばコイツ居たな)とアレックス王子を思い出し、渋々向かい合った。本当はエリたんをずっと見て居たかったのに……


「ジェイコブ、もう大丈夫だ。私の側に来てくれ」

「オリオン様、畏まりました」


 ジェイコブはオリオン王子の指示を受けると、サッとオリオン王子の後ろへと立った。それに驚いたのはアレックス王子だけで無く、この会場中に集まった全員だった。


 ジェイコブ喋れたんだ……では無く、当然の様にジェイコブがオリオン王子の護衛の様に動いたからだ。父親であるシャサール騎士団長まで唖然としていた。


「お、おい、ジェイコブ、お前何をやっている、お前は私の側近であり、護衛だろ? 何を当たり前の様に其奴の後ろに居るんだ! 目を覚ませ馬鹿者!」

「そうですわぁ、ジェイコブさまぁ、私の目をみてー、エリザベスさまに騙されちゃダメですぅー」

「アレックス王子、悪いが君は一年も前にジェイコブを側近から外して居るだろう? 覚えて無いのかい?」


 オリオン王子の言葉を聞いてアレックス王子はハッとした。

 一年前、アイラと仲良くなり始めた頃から急にジェイコブが口煩くなり「お前の顔など見たくない、側近から外れろ!」と怒鳴った事が有ったのだ。


 それでもジェイコブはアレックス王子が呼び出せば、普通に王城へと出向いていた。だからまさか側近から外れて居るとは思いもしなかったのだ。アイラの事に口出さなくなったのも二人の仲を認めたからでは無く、もう部下では無くなったからだった。呼び出されたら自国の王子の申し出だからこそ、仕方なく出向いて居ただけで、何の敬意も無いのだった。


「そ、それがどうした、ジェイコブは我が国の貴族だ。王子である私の言う事を聞くのが当たり前だろう!」

「残念ながら、私とジェイコブは剣術大会の決勝戦で度々当たるライバルであり友人なんだよ、その縁有って一年前から私の従者の職に就いてもらっている、例えこの国の王子で有ろうとも私の従者に命令を出すことは出来ない、アレックス王子、残念だったね」

「な、な、そ、そんな奴はもう要らない、私には他にも信頼できる側近は居る、フィンレー、ディラン、ここに来てこの馬鹿者達を引っ捕らえろ!」


 フィンレーは宰相の子、そしてディランは近衛隊長の子であり。呼ばれた二人はアレックス王子の横を通り過ぎると、ジェイコブと同じ様にオリオンの後ろへと着いた。


 それを見たアレックス王子の顔色は悪くなる。そう言えばこの二人にもアイラとの関係を注意されて、側近失格だと罵倒した事を思い出した。この様子を見れば彼らもオリオン王子の従者に成り下がって居る事は、お馬鹿なアレックス王子でも想像出来たのだった。


「な、な、お前達……裏切ったな!」

「アレックス王子、裏切るも何も私の友人である彼らを切り捨てたのは貴方では有りませんか、フィンレーとは馬術大会で知り合い、ディランとは武術大会で知り合いましたよ。二人とも私の友人であり、心から信頼できる従者です、お前などと言わないで貰いたい」


 分が悪くなったアレックス王子は、話をエリザベスの事に戻そうと思い付いた。そもそもこれは婚約破棄をしてエリザベスの悪事を暴こうとしていた場所だ。

 馬鹿な元側近の事など後でどうとでもなる、それよりも今は自分とアイラの未来の事、そう婚約破棄の方が大事なのだ。


「と、兎に角、今はその女だ! その女が悪い! 関係ない他国の者は黙っていて貰うか!」


 オリオン王子はフッと微かな笑みを浮かべた。


(エリたんを貶めようとする馬鹿は、憤死しろ!)


 と心の中では思って居るが、チート能力で鍛え抜かれた表情筋ではそんな事は微塵も感じさせない。オリオン王子の美しい微笑みに彼方此方から悲鳴が上がる。多くの御令嬢が気を失いかけたのだろう。正にチート爆破だった。


「ジェイコブ、エリザベス嬢がボニー男爵令嬢を虐めたと言う話は本当か?」

「いいえ、エリザベス様は沢山の貴族子息に声を掛けて回るボニー男爵令嬢に『はしたない真似は品位を落とすのでやめた方が宜しいですよ』と優しく声を掛けていただけです。これは私だけでなく、教養の担当教師も聞いておりました。何せボニー男爵令嬢が勝手に他クラスに潜り込んでの行いでしたので」

「な、何だと?! アイラそれは本当なのか?」

「そ、そんなのウソにきまってますわぁ、エリザベスさまが脅して言わせているんですぅ、グッスン、ジェイコブさまぁ、私の目を見て、ウソはいけない事よー」


 ジェイコブに涙目を向け、可愛らしさをアピールするアイラだが、ジェイコブは見向きもしなかった。


 アレックス王子は少し心配になって来た。教師が聞いて居たと言うからだ。だがアイラは可愛らしい、やはりこれもエリザベスの罠なのかも知れない、しかし微かな迷いが出始めたアレックス王子だった。


「次に、あの破れた教科書や壊れたペンだが、フィンレー、本当にエリザベス嬢がアレを壊したのか?」

「いいえ、あのペンと教科書の事件があった日は、成績優秀者であるエリザベス様は私と生徒会室におりました。その日は生徒会の会議があった日ですので、間違い有りません」

「……アイラ? どう言う事だ? まさか私に嘘を?」

「アレックスさまぁ、違いますぅ、ぜ、前日に壊されて居たのですわぁ、エリザベスさまがこわくってー、言い出せなかったんですぅ」

「残念ながら、その週はずっと会議です。学園祭の前でしたので」

「フィンレーさまぁ、ウソをつく様にエリザベスさまに強要されているんですねぇ、大丈夫ですぅ、アレックスさまは優しいので、心配要らないですよぅ。私の目を見て、信じてください」


 アイラは手を組み潤んだ瞳をフィンレーに向けたが、フィンレーがそれを見る事は無かった。

 アレックス王子はアイラから少し離れて居た。もしや自分は騙されたのでは無いか? と今更ながら思いはじめていた。


「さて、最後に階段の件ですが、ディラン、ボニー男爵令嬢がエリザベス嬢に階段から突き落とされたと言うのは本当か?」

「いえ、ボニー男爵令嬢は悲鳴を上げ、自ら階段落ちを実演しておりました。あのハンカチもボニー男爵令嬢が自ら刺繍した物です。荒れた縫い目を見ればエリザベス様の物では無いと直ぐに分かります。それにその日エリザベス様は学校代表者として孤児院を訪問されておりました。どう考えても無理がございます」

「ア、アイラ……其方……」

「もう、プンプンだぞぉう、アイラだってウソばっかり言われたら怒っちゃうんだからね、エリザベスさまは影武者を孤児院へ送ったんですよぅ、ディランさまぁ、アイラの目を見てー、エリザベスさまに騙されないでぇー」


 ボニー男爵令嬢はエリザベスが嘘をついて居ると言うがそれは無理が有った。そもそも先に出した証拠自体が、証拠品にもならないガラクタだ。


 その上、エリザベスの無実を述べる令息達には、確かな証人とも言える人物が居るのだろう、呼び出して話を聞けばエリザベスが関与して居ない事は直ぐに分かるはずだ。


 アレだけ息巻いていたアレックス王子は既にアイラから3歩分ぐらいは離れ、青い顔で俯いている。それに引き換え男爵令嬢であるアイラは自信気で、自分の意見が通ると疑いもして居ないようだった。


「オリオン王子さまぁ、私の目を見てくださーい。私がウソを付いているか、目を見ればすぐに分かるはずですわぁ」


 アイラにそう言われ、オリオン王子はアイラと視線を合わせた。その瞬間アイラの口元は酷く歪み、勝ち誇った顔になっていた。


 勿論そんな事は人に見られ無い様にと、慣れたぶりっ子演技で口元を隠して見せた。アイラもまた、この世界がゲームの中だと知る一人だったのだ。コレで隠れキャラも攻略ねと、内心ほくそ笑んでいた。


「ボニー男爵令嬢、悪いが君の魅了の魔法は私には効かないよ」

「えっ? な、なんですって?!」

「君の瞳には人を魅了する力があるね。だからこそ男爵令嬢でありながら、その上礼儀もなって居ない君が、この場に居る事が出来ているんだ。君に魅了された愚か者達の手配だろう? 今夜のパーティーには伯爵家以上の高位貴族しか呼ばれて居ないはずだからね」

「はあ?! ちょっとどーゆー事よー! 私はヒロインなのよ! アンタ黙って攻略されなさいよー! 私の目をちゃんと見なさいってば!」

「悪いけど、私は君より遥かにレベルが高い、君如きの魅了など弾き返せるよ。それに攻略対象の筈のジェイコブ達も君を見る事は無かっただろう? 君が魅了の魔法使いである事は大国で調べ上げていたのさ、だからこそこの小さな国に私の留学が許可されたんだけどね」


 魅了の魔法は数少ない希少な魔法だ。大国の王や魔法管理局が興味を持つことは不思議では無かった。人心を操ろうとしたアイラは危険人物として大国からも目をつけられていた。犯罪の証拠を掴んだ今、オリオン王子はアイラを監獄へと強制連行出来る。


 衛兵を呼び出したオリオン王子は逃げようとするアイラを捕縛させ、連れて行かせた。「私はヒロインなのにー! 誰かリセットしてよー、最初からやり直すからー!」と大騒ぎしていたが、彼女の言葉に耳を傾ける者はもうどこにも居なかった。アレックス王子さえもだ……


 そしてそのアレックス王子も事情聴取の為、衛兵達に連れて行かれた。アイラの魅了の魔法に掛かっての愚かな行いなのか、それとも自ら望んでの行動だったのかは取り調べて見なければならないが、一国の王子であるアレックスが、男爵令嬢に誑かされて居た事自体に問題がある。

 キチンと鍛えていたオリオン王子はアイラの魔法を目の前で弾き返したのだから、アレックス王子の愚かさが露見した夜会となっただろう。


 このままアレックス王子が望んだ通り、エリザベスとの婚約は解消される事になることは間違いないだろう、ただし王家が支払う賠償金はかなりの金額になる事も間違いないが……


 アレックス王子とアイラが連行される姿を見送ったオリオン王子は、ホッとするとエリザベスの方へと向きを変えた。

 

(エリたん、可愛い! 眼福! マジちゅき!)


 と心の声は仕舞い込み、顔面チート爆発のオリオン王子はエリザベスに笑顔を向け、そっと手を取った。


「エリザベス嬢、私と友人から始めませんか?」

「……はい……喜んで」


 彼らの友情は始まったばかり、未来はきっと明るい物となるだろう。


(エリたんと友人とか、幸せ過ぎて死ねる! 転生最高だ!)



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