第57話 すずらん

その日も、僕は

アルバイト先のフラワースタンドで


夜、静かになった通りを眺めながら


そろそろお店を仕舞おうか、と

考えていた夜8時。



レンガの舗道は、磨かれたように

光沢があるけれど



それは、人々の靴底と触れた時間。


長い歴史のある古い町並みを思わせる。




通りの中央には、路面電車の線路があり

時々、がたごとと音を立てて

小さな電車が行き交う。




小さなお店が軒を重ねているこのあたり。



路面電車が、坂のあたりでは

ケーブルカーに乗り継いで行けるようになっている


坂のあるこの街は、風が吹き抜けていく

静かなところ。




お店は、花いっぱい。



いろとりどり。

とても綺麗で、いい香り。




花の香りって、どうして興ったのかな、なんて


発生生物学みたいな事を連想したりする。




店長は、今日も夜になると




どこかに、シトロエンで出掛けて行ってしまった。




平和な街だから、別に

放っておいても平気らしい。





それで、アルバイトの僕はこうして

のんびりとしていられる、と言う訳で


いつもは、お店をのんびり片付けて



店の前に停めてあるオートバイに乗って

帰るのだけれども。




オートバイの事を想像すると


心がすっきりする。



YAMAHAのRZ350。


白いボディに、青いラインの


夜に似合いそうなすっきりした風。



スムーズなエンジンの音。




煙のオイルの匂い。



素晴らしい加速。



スピードは正義。




夢想するだけで楽しい。




夜風に心を遊ばせていると


爽やかな香りに気づく。




花の香りの中でも、清楚な。



振り返ると、僕には

長身で、すっきりとした黒髪の

静かな瞳のお嬢さん。



どことなく寂しげな俯き加減。



「あ、あの....わたしが見えるのですか」



その人は、かすみよりは少し年上に見える。



僕はうなづき、「かすみとふたばで慣れてるから。もう驚かないです」と、笑顔で言うと



その人も柔和になる。



白い、ふわふわとした服だから

空中に浮いているところを見たら

幽霊と思うかもしれない(笑)が




誰にも見えないらしい。



店長や、かすみとふたばは

花の世界の人だから見えるが


僕も、なぜか見えるようになった。




あの、不思議な出来事からだ。





「すずらんさん、なのですね」と

語りかけると




静かにうなづく。


その様子はぎこちなくて

かすみより年上かと思っていたけれど



年下にも見える。




それは、僕が人間なので



人間の女の子のつもりで見ているから、

なんだけど。



ホントに見えてるかどうかも

わからないけれど。




舗道に人通りは少ないけど


宙に語りかける僕は、不思議に見えるだろうから(笑)




お店を閉めて、硝子扉を閉じた。



静か。




路面電車のレールの響きが地面から伝わるくらい。



もう夜半。






「店長にご用でしたら、今日は戻ってこないかもしれません」と、言うと




すずらんさんは、頷き「はい。私たちお花は咲いて、愛でてもらえて。枯れていきます。

また、時が経てば新しいお花が咲きます。」



愛らしく可憐な姿と、どこか淋しげな

すずらんさん。



語る言葉は、なんとなく哲学的だ。




音楽が聞こえる。




ついていたラジオからのピアノ曲



ショパンかな、と思った。



さらさらとした優しいメロディーは



すずらんさんの気持ちも和らげたみたい。




「素敵なメロディーですね」 と、微笑むと

とても幼く見えたりもする。



長い髪が、ふわりと風にそよぐ。





すずらんさんは静かに、音楽を聞いている。



「あの人も、音楽が好きでした。」




「ずっと、窓辺に咲いていたかったのです。

でも、いつか、花は季節が来るとお別れの時が

参ります」





そうですね、とも言えずに

黙って僕は聞いていた。




すずらんの花のように、気高い心を

感じる言葉だった。




言葉、なのかも

よくわからないけれど。

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