第52話 another world

誰かに聞いてもらいたかったのか、ストーリーを

彼女は語る。



「遠いところで、わたしは野の花だったの。」



ふうん、とも、そうなんだ、とも言えず

僕は黙って次の言葉を待った。


「ときどき、野原を訪れる人が、どうしてか

とても気になったの。週末になると、お散歩するみたいに来てくれるの。

風みたいに自然な人。

彼の足音は遠くからでもよくわかったわ。

わたしのそばに来てくれると、それだけでしあわせ。

でも、彼はふつうの人。あなたみたいに

わたしに気づいてはくれなかった。」




それはそうだなぁ、と僕は思う。



ふつうの青年が、花などにあまり関心を持ったりはしないだろうし

彼は、たぶん、バードウオッチとか

植物研究、とか

そんな理由で野原を訪れたのだろう。



クロッカスさんは、言葉を継いだ。

「雨の日だったかしら。彼が傘をさして野原に来たの。

....でも。」




彼女は、回想するように。視線は宙に逸れ...



「もうひとつ、白い傘が。...彼に寄り添って。

たおやかな感じの、かわいい声の女の子だったの。

...ふたり、楽しそうにおしゃべりしたりしてた。」



その、唐突な言葉の途切れかたを僕は

彼女の心の衝撃、と、捉えた。


思い出していたのだろう、その光景を。


恋を失った、瞬間を。



「ああ、彼はわたしには気づかずに、その子を選んだのね....そう、元々住む世界が違うんだもの。でも

いつか気づいてくれる、信じてた。」





それで、クロッカスさんは

ここに移ってきた、時空を超えて。



そういう事。



僕は、なんとかならないのかなぁ、と思い

「でも、それだけじゃ分からないんじゃないかなぁ、その白い傘の子が彼の恋人って決まったわけじゃ....」



と、僕がそこまで言うと


「いいえ...たぶん。」



と、彼女は言葉を止めた。


そういう風に思いたいのかな、と

僕は思った。


そういう事もあるし。



僕は、クロッカスさんが黙ってしまったので

お店を片付けて、シャッターを下ろした。



いつのまにか、彼女は

霧散したように消えていた。



そういうところは不思議に思えるけれど

僕には、普通のひとのように見えている。



それが、時空間の歪み、と言うもので

アルバート・アインシュタインの言うように

空間にはいくつも、そうした次元の違う世界がある、らしい。


向こうから来た彼女たちはだから唐突に現れたり、消えたりする、らしい。



僕もそうなれれば、通勤なんてしなくていいのにな、なんて(笑)僕はRZ350のエンジンを押して掛けて、飛び乗った。

青白い排気煙が渦巻いて、現在を過去に。加速する度に。


とても、楽しい瞬間。



やっぱり、瞬間移動でなくて良かったかな、なんて

僕は、この世界もそんなに悪くないかな、なんて思ったりもした。

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