第四話 旅と大師匠(下)

 検問でエアシャワーを浴びてウイルスを払い落し、ライセンスを見せて街に入る。


 現代の「どうぶつ文明圏」の街には、どんな田舎でもかならずバリアが張られている。どうぶつの力に目覚める――基本的に一般人は武術としてではなく、ただのどうぶつ人間の能力として目覚める――までは、外の世界に漂う人類滅亡ウイルスの影響を受けてしまうからだ。どうぶつ人間の能力として目覚めた段階ではなんのどうぶつの力かは分からないし、それを武術に使うにはさらに具体的などうぶつの力に覚醒することが必要だ。


 人間が安全に暮らすために、バリアという旧時代の文明が役に立っている。しかしバリアの理屈はよく分かっていない。


 アオイタウンは、小ぢんまりとしたきれいな街だった。イツキシティみたいに雑然としておらず、シンプルな通りに沿って街が広がっている。しばらく歩くと墓地に出た。


 イツキシティの墓地は基本的にみな同じデザインの墓石に統一されているが、アオイタウンの墓地はいろいろな宗教がごったになった不思議なつくりだった。師匠はキョロキョロして、


「おかしいな。この辺だったと思うんだが、アオイタウンは爺さん婆さんしか住んでないからすげえ勢いで墓石増えるんだよな」と縁起でもないことをぼやいた。


「これじゃないですか。『どうぶつ拳法師範ナモの墓』ってやつ」俺がそれっぽい墓石を見つける。


「おー! よく分かったなー! お前御師様の名前知らないだろ? なんで分かった?」


 師匠は嬉しそうな顔をして、持っていた桶からひしゃくで墓石に水を注いだ。


「いやだってどうぶつ拳法師範の墓ってこれしかないじゃないですか」


「あ、ほんとだ。やー……御師様。これが孫弟子たちです。みんな優秀です」


 師匠は寂しげに、墓石に俺たちを紹介した。


 師匠は線香を供える教派のようなので、俺たちもそれに倣う。


 どんな人かは知らないが、師匠やリクさんを育てた人だ。偉大な人だろう。そう思って、墓地の脇に生えている大きな桜の木を見上げた。ちょうど花ざかりを少し過ぎたところで、風が吹くと少しずつほどけるように花びらが散る。


 きれいだ。墓地をみていう感想じゃないのは分かっている。俺はその木をみて、なにかに気づいた。ナマケモノだ。ナマケモノが木にぶら下がっている。それも生きたナマケモノだ。


「あ、あの、師匠。あれ」と、ナマケモノを指さす。師匠は目を大きく見開いて、

「ナマケモノ……この辺にいる生き物じゃないと思うんだが」

 と、そうつぶやいた、刹那。


 あたりがまばゆい光に照らされた。夕暮れの墓地はまぶしい光に満ち溢れ、その光のむこうに、さっきのナマケモノが、直立二足歩行でずーんと突っ立っていた。


「シズカ。久しいな」


「……まさか、御師様……ですか?」


 ナマケモノはのんびりと口を開いて、「そうだ。私だ」と答えた。


 え、師匠の御師様は亡くなってるんじゃなかったか。俺は師匠に、

「どういう?」と、すごく短く訊ねた。


「――御師様。魂魄だけで動かれているのですか」俺に答える代わりに、師匠はナマケモノに訊ねた。ナマケモノはうむ、と頷き、

「私は肉体を捨てて真の自由を得た。私が死んだとき、お前は私が旧い肉体から出ていっただけだと思ったと記憶しているが」と、師匠に訊ね返した。


「え、ええ。そりゃあもう、御師様だったらそれくらいできると、そう言ってずっと泣いてるリク兄さんを励ましたりはしましたが」


「お前の想像したとおり、私は旧い器を捨て、魂魄だけで自由に世界を飛び回っている」


「魂魄だけで活動するなんて、人間にできるんですか」ナッツが師匠に訊ねた。師匠は、


「いやわからん。御師様はあらゆる意味で人間を超越した人間だったわけだからできるのかもしれない。少なくとも常人の技じゃない」と、難しい顔で答えた。


「――まあ私が魂魄だけで動き回るなんてここではどうだっていいことだ。なぜいま、こうして墓参りをしに来た? なにか報告したいことでもあるのか?」


「いえ、その、……弟子と、遠くまで歩いてみたいと思って」


「力の内側を磨きたいということか?」と、ナマケモノ――大師匠はそう言った。なんで俺らの考えていることまで見抜いてくるのか。驚きしかない。


「その通りです」マリーが答える。大師匠はナマケモノの顔をやわらかな笑顔にして、その笑顔のまま、

「かーっ!」

 と、俺らを一喝した。よく分からないが俺たちは身分不相応なことをしたのだということが分かった。大師匠は続ける。


「外側の力もままならんうちから内側を磨きたいとはおこがましい。自分の力を見定められぬものはえてして身の丈に合わぬ力を得たがるものだ。お前たちはまさにそれだ。シズカ、お前も含めてな。外側の力が半端なうちから力を磨こうとして、トバらは力の操り方を見失った。リクはなにも感じたくないと絶望した。外側を磨き切ってから、内側を磨くべきだと、私は考える。早くイツキシティに帰って型の稽古をしろ」


「い、いや、御師様、そりゃああんまりってもんじゃないですか。弟子が何年振りかで墓参りに来たのに、塩対応が過ぎませんか」


「ふむ。言われてみればたしかにそれもそうだ」いや意見をひるがえすのが早すぎる。師匠そっくりだ。


「一つ、言葉を授けようと思う」大師匠はそう言うと、ゆっくり近づいてきた。


「力のつなぎ目を探せ。力の内側と外側をつなぐ、家で言うところの玄関を」


 ――つなぎ目。それを探してどうなるのだろう。それを訊ねると、

「かーっ!」と、また一喝されてしまった。


「それくらい自分で考えろ。どうぶつの力を行使する者なら、それくらい考えられるはずだ。私はちょっと眠たいから地上を離れる」


 大師匠は流星のごとく天に向けて飛翔し、いなくなってしまった。気がついたら、俺らは墓地にへたりこんでいた。


「……なんだったんだ」と、師匠。


「師匠の師匠もああいうふうに雑な性格してんすね」と、ナッツ。そういう軽薄な喋り方をするからお前は学歴にリアリティが出ないんだぞ。


「ああ。あたしの雑さは御師様譲りだ。御師様はあれでもすごい人なんだからな」


 師匠は、やはり物悲しい調子で答えると、桶とひしゃくをもって歩き出した。追いかける。墓地の入り口に桶とひしゃくを返却し、墓地を出る。


 俺たちの師匠にとって、あの御師様というのはなにものなのだろうか。ただの師弟関係とは思えないが、しかしやりとりを見ると師弟関係としか言いようがない。


 なんにせよ、魂魄をどうぶつの姿にして死後も自由に行動するなんて、俺たちの知っているどうぶつ拳法ではなかった。ぐるぐる考えながら、坂道を下っていく。


 師匠と墓参りのあとに訪れた大師匠の道場跡には、銅像が建てられていた。もう、門下生のいない道場は取り壊され、銅像しか残っていなかった。


 随分と穏やかな顔をした銅像だった。かーっ! とすぐ叫んだり怒鳴る人には見えない。


 そのあとみんなで民宿に向かった。二年ぶりの客だという。客が来ない間は裏の畑で穫れた野菜や、ニワトリの卵を商ったり、温泉を公衆浴場として営業し暮らしていたとか。さっそく温泉に入ることにした。歩いてきたくたびれを全回復するような温まり方の温泉だった。


 豪華な夕飯が出た。正直に言って俺はあんまり腹が減っていないのだが、食欲が出るかと米を醸造した酒を飲んでみる。スパークリングだ。ほのかに甘い。


 マリーはずっと黙ったまま、もっくもっくと鶏肉の鍋料理を食べている。


「どうしたマリー」師匠がマリーに声をかける。


「いえ。なんでもないです――っていうか、……なんていうか。馬鹿みたいだなあって」


「なにがだ~?」すっかり酔っぱらったナッツがデカい声で訊ねる。


「馬鹿みたいだ、とは。そこをきちんと説明してくれ」師匠が酒を飲みながら言う。


「気まぐれでした。旅に出たい、っていうの。本当に気まぐれでした」

 マリーの気まぐれはみんな知っていることだ。俺がそう言うと、

「そうだけど。わたしの気まぐれに、みんなを付き合わせちゃって、申し訳ないなって。やるなら不言実行で一人でやるべきでした」と、難しい顔をする。


「疲れたか? それとも気分の悪くなるものでも見たか? それとも御師様が嫌だったか?」


「いえ。内側を磨くとかそういう次元に達していないって、大師匠の墓参りをして思いました」


「ほほーう。もっと詳しく話してみ」


「……外側を磨くことも不十分なのに、内側を磨くことはできない、って大師匠がおっしゃったとおりだ、って思ったんです。内側を磨くには、覚悟と決意がいる。ただ都合よく、内側だけ磨いて、心の強い人間になれるわけがないと思って。力のつなぎ目、なんて概念が存在することも知らない程度の人間ですよ、わたしたちは。そうよね?」


 俺らは一同、頷いた。師匠は考え込んでから答えた。


「マリー、御師様は御師様だ。マリーがやりたいようにやればいい。旅に出たければ旅に出たっていいんだぞ。ここまで歩けりゃただの気まぐれじゃないだろうし。力のつなぎ目だって、御師様が勝手に思いついてハッタリで言ったのかもしれん。なんせあたしの師匠だぞ?」


「でも。なんていうか、みんなと一緒だったから歩けたんだ、って思って。一人で『内側を磨く』という目標だけで、いろいろなところに行くのは無理な気がします」


「なるほど。具体的な目標が必要ということだな。よし……帰ったら、みんなでじっくり、本当にやるべきことを考えてみようか。……レイジ、さっきから酒しか飲んでないが、空酒は体に悪いぞ。なんか食え。鶏肉がめちゃめちゃのバチクソにうまいぞ」


「へい」変な返事が出てしまった。鶏肉を口に運ぶ。イツキシティのマーケットで売っているブロイラーとは全然違う、ワイルドな味がした。


 夕飯のあとみんなでぐったりと雑魚寝して、翌朝驚くほど清々しく目が覚めた。師匠とマリーは風呂に入っているらしい。ついでに俺らも男湯に向かい、体を温めた。


 焼いた川魚――イツキシティで食べるような養殖の魚ではなく、本物の沢で獲れたイワナ――を中心にした豪華な朝食のあと、イツキシティに帰る支度をした。


「じゃあね、おっちゃん」師匠は民宿のおっちゃんに笑顔でそう声を掛けた。


「おう。気を付けて帰れよ、シズカ」どうやら民宿のおっちゃんは師匠と顔なじみらしい。


 帰り道を歩き始める。


「結局、旅してみてどうだった?」と、師匠は俺たちに声を掛けた。


「足腰はしんどいっすけど、いろんなこと思いついていいっすね」と、ナッツ。


「メシがうまかった。あと酒もうまかった。温泉も最高だった」と、ハチ。


「俺は……道中たくさんヘンテコなものが見れて、それが楽しかったっす」と、俺。


「で、肝心のマリーはどうだ」


「……民宿って、ヘアアイロンないのね」マリーはみんなずっこけそうなことを言ったあと、少し照れて恥ずかしいような顔をして、


「でも、楽しかった。もっと外側を磨いてから、改めて旅に出ようと思う。そうね、旅をすると住んでいるところが恋しくなるのね……あのごみごみしたイツキシティが懐かしいんだから、間違いなく、旅は現状の確認に必要なのね」と言った。


 イツキシティの、シンボルツリーが遠くに見えてきた。まだまだ遠い。

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