第四話 旅と大師匠(上)

 マリーが、旅に出たいと突然言い出した。道場で道着をたたみながら、

「気分は野良猫ってとこね」と、そう言って笑ったのだ。


 俺とハチとナッツはマリーの突然のセリフに驚いたが、師匠はそうでもないというか、前から知っていた、という表情。師匠はマリーに訊ねた。


「マリー、お前を旅に駆り立てるのはなんだ? 失恋でもしたか?」


「違います」マリーは答えて、髪につけたリボンをいじりつつ、

「この世界は広い。このイツキシティにとどまっていては見えないものがたくさんある」

 と、にこりと笑った。師匠は難しい顔をして、

「それだけが理由なら、あたしはお前に行くなとしか言えない。やめておけ」と、マリーをいさめた。マリーは口をとがらせて、

「もう、師匠ならノッてくれると思ったのに」とつまらなそうに言う。


「あのな、未熟な弟子が無謀なことをしようとしたら止めるのが師匠っつうもんの仕事だ。まあいい、昼飯食いながら話を聞いてやるよ。たまには師匠がおごってやろう」


「師匠、そういっていっつも俺らにいろいろ食い物奢ってくれたり酒場の料理食べさしてくれますけど、それで生活成り立ってるんです?」ナッツがぶしつけな質問をぶつけて、師匠は困った顔ではっはっはーと笑うと、「なんとかな」と答えた。


 というわけで屋台村にやってきた。いつも通りハイギョラーメンの屋台に入るのかと思いきや、珍しく串焼きの屋台に入った。焼かれているのは川魚や肉で、香ばしい脂の香りがする。


 マリーは目をばちばちに開いて鼻をすんすんしている。師匠が「魚5串」と注文すると、屋台のおやっさんは手際よく串焼きの魚を渡してきた。


 みんなでそれを一人一匹かじりながら、

「で、マリー。野良猫気分で旅に出るのは勝手だが、しかしそこには何らかの理由があるわけだろう。ちゃんとわかるように説明してみろ」

 と、師匠がマリーを見る。


「なんていうか、このあいだの手足がもげる呪いと戦ったときに思ったんですけど、力には『内側』と『外側』があるわけですよね」


「ウム。それはその通りだ。あれは素晴らしい気付きだった」


「わたしは、『内側』の力を磨いてみようと思ったわけです。わたしのねこねこ拳法は戦うのには向いていない。だったら、内面から美しくなるべきじゃないかなと」


 マリーは唇についた魚の脂をぺろっと舐めて、屈託なく笑った。


「要するに力の新しい使い道を、外の世界で知ってこようと思ったわけです」


「ふーむなるほど。内側を磨くために外に出ていくという発想はとても素晴らしいと思う。だが、外は危険地帯だ。人知を超えてわけのわからないものが跋扈している」

 師匠はぼりぼりと魚の頭を嚙みながら、髪を耳にかけた。


「その、人知を超えてわけのわからないものと出会うことを通じて、内面を磨けたらなと思ったんです」

 マリーは塩のまぶしてある魚のひれをカリカリと食べながら言う。


「なるほど。うーん、ド正論だ。確かに安全な街のなかの道場じゃ学べないことはたくさんある。人知を超えてわけのわからないものと出会う……ううむ。それは確かに、このどうぶつ文明の成り立ちや、己の力の限界を理解するのに重要かもしれない」


「いや師匠論破されちゃダメでしょう」ハチがツッコむ。


「参ったな。あたしもそうやっていろんなもんを見て、いまこうやってお前らの師匠をやってるんだよ。あのころはリク兄さんも五感をもっていたし、トバやツボやアケチやホンゴーもまっとうな人間だった。それが、外の世界を知って、ああいうふうにそれぞれの思想にハマっていったわけだが」


「それマズいじゃないですか。マリーがホームレスになってしまう」またハチがツッコむ。


「まあ外の世界を見てどう影響されるかは個人個人で大きな差がある。マリーがホームレスになったり、あるいは兄弟弟子を傷めつけたいみたいな思想にかぶれたりする可能性がないわけじゃないということだ」


 師匠はのどかぁに穏やかじゃないことを言うと、魚の骨をボリボリ食べた。


「師匠の言う外の世界って、具体的にどれくらい外なんです? 海岸なんかは外のうちに入りませんよね」俺が師匠に訊ねると、師匠はうむ、と頷いて、

「イツキシティを出て、他の都市に向かうということだな。そこに向かう街道は、わけのわからないものがたくさん棲んでいて――人類滅亡ウイルスの影響で変異した、プリニウスの博物誌に出てくるような生き物がわらわら棲んでるわけなんだが。……他の都市圏、か」

 師匠はガサツな性格に似合わないアンニュイな顔から一転笑顔になった。


「よし。今週末は一門で旅行にいこう。となりのアオイタウンまで出かけてみるか」


「あ、アオイタウンって、あのアホみたいに遠いアオイタウンですか」ナッツが驚く。


「そうだ。温泉も湧いてるし飯もうまいし空気もきれいだ。ついでに言えば酒もうまい。よし。あ、おっちゃんおあいそ」


 師匠は魚の串焼きの代金を支払い、立ち上がって伸びをした。


「久々に御師様の墓参りだ。孫弟子がこんなにいるって知ったら御師様喜ぶだろうな」


 師匠が「御師様」というとき、その呼び方には淡い悲しみが詰まっている。


「あ、あの、結局わたしが旅に出る話はどうなったんです?」


「とりあえず週末にアオイタウンに行って、それまでの道中で考えたらよかろ。それからそんな可愛い靴履いてっと脚傷めるぞ」


「ええ?! 徒歩なんです?!」と、マリー。


「あたぼうよ。そもそも遠足っつうもんは遠い足と書く。歩いて行くもんだ」


「いや遠足じゃないでしょう。一門の旅行ですよ」またまたハチがツッコむ。


「遠足……というか社会科見学だな。どのみち徒歩だ」

 というわけで、シズカ一門は週末に徒歩で旅行に出かけることになった。場所は内陸のアオイタウン。有名な米どころで、養鶏もさかんだ。距離としては歩いて半日。


 問題の週末がやってきた。リュックサックに荷物をつめて背負い、履きなれて歩きやすい靴を履き、道場に集合した。ナッツは面倒な顔で、一方のハチは超ニコニコである。マリーはなかなか来ない。師匠はハイギョの骨せんべいをぽりぽりとかじりながら、

「あいつなにやってんだ。遅いなあ」とあくびをした。


 少し約束の時間から遅れてマリーがやってきた。履いているのはかわいい靴ではあるが、ガチで長距離を歩く靴だった。着ているものも「アウトドア女子」といった風情。


「遅くなりました。髪がまとまらなくて」


 そういうマリーは、ふだんより高い位置できっちりと髪を結わえていた。トレードマークのでかいリボンはつけていない。


「よしじゃあいこうか。ライセンスはとったな?」


 街を出て旅をするにはライセンスをとる必要がある。まあ役場で所定の金額をちゃりんちゃりーんと払うだけでいいのだが。みな首からライセンスカードを紐でぶらさげ、歩き出した。


 最下層まで降りて、主に流通のために使われている道路に出る。きょうも、トラックが無数に行ったり来たりしていて、道路のすみの歩道を歩いている人はいない。


「師匠、なんで内側を磨くために外に出ていくのが正しい理屈なんですか?」

 俺は師匠にそう訊ねた。師匠はハハッと笑うと、

「そりゃああれだ。あれだよ――いかんな、運動不足でうまいこと言葉が出てこない。えーとだな、人間はいろいろな体験をすることで、いろいろなことを覚えるだろ」

 と、青い空を見上げて喋り始めた。


「外側、つまり武力としてのどうぶつの力は、正拳突きとか、型とか、そういうことで磨かれるわけだが、それはつまり己との勝負なわけだ。どれだけ熱心に、強くなろうと考えられるか。どれだけ熱心に、自分を鍛えられるか」


 師匠は雲間から現れた太陽のまぶしさに顔をしかめる。


「それに大して、内側はなにか新しい体験をして、新しい気付きや新しい知識でアップデートするほかない。どんなに正拳突きをしても、内側は成長させられない。そりゃあ、外側を鍛えればそれに付随する新しい体験で内側をアップデートすることができるかもしれないが、しかしそうやってずっと正拳突きをしていても、そういうチャンスがあるかどうかは不確定だ」


 道を、得体のしれないものが這いずっていった。脚が紐のような、人間に近い見た目の生き物だ。


「ほれ、こういうのを見れば、嫌でも新しい体験になるだろ?」


 師匠は脚紐人間をつまんで俺たちに見せた。


「人類滅亡ウイルスの影響でこうなった、人類に近い種族だ。もっとも知性らしい知性はないようだが」


「うへえ……きもちわる」ナッツがげんなりした顔をした。


「気持ち悪いかもしれんがこいつらにはこいつらの暮らしがある。ほればいばい」

 師匠は脚紐人間を逃がした。脚紐人間は慌てて逃げていった。


 林がごそりと盛り上がって動き出したり、頭がなくて体に顔のある種族が槍をもって追いかけてきたり、なかなか刺激的な道を三時間ほど歩いたところで昼になった。太陽は南の高いところに輝いていて、俺たちは弁当を食べることにした。


「よぉし、シズカ師匠の作った豪華弁当だぞ」


 師匠はピクニックマットの上に、豪華弁当という名前に似つかわしくないビジュアルの、古くなったタッパーウェアをほいほいと並べた。開けてみると、なにやらとてつもなくいい匂いがして、間違いなく師匠の手料理であると分かった。


 玉子焼きにピーマンの肉詰め。ニガウリと豆腐の炒め物。鶏の唐揚げ。ほうれん草のクルミ和え。それからご飯はわかめご飯で、すごくおいしそうなのだが、……いかんせん、俺はナマケモノの力に目覚めてしまった人間なので、ほんのちょっと食べただけでしばらく腹が減らない。とりあえずほうれん草のクルミ和えと、ニガウリと豆腐の炒め物を食べるだけにしておいた。


「驚きの低燃費だな。そういうとこまで御師様と同じなのか、ナマケモノ拳法」


「師匠の御師様って、どんなひとだったんです?」豆腐を咀嚼しながら訊ねる。


「うーん。ぼーっと座ってるだけで、すごい威厳があるというか――リクガメ拳法のリク兄さんや、ハシビロ拳法のあたしなんかは、御師様の力に近い力に目覚めたから、わりと理解ができたんだが、しかしながらトバなんかの弟弟子たちは、さっぱり分からない感じだったな。あいつらせわしなく動くもん」


「俺もいつか、座ってるだけで威厳のある人になれますかね」


「わからん。もう時代も違うしな」師匠はやはり悲しげにつぶやいて、玉子焼きを頬張った。


 うまいものを腹いっぱい食べて、行軍を再開した。


 歩いていくと、ひたすら田んぼの広がる区画に出た。自動耕作機が動いて、田んぼの雑草をむしっている。どうぶつ文明以前の時代に開発された全自動農業だ。


「もう近くですかねえ」ナッツがぼんやりとそう言う。


「ああ。ここまで来たらもうそう遠くない。久しぶりだな……アオイタウン」


 師匠は空を見上げた。歩いていくと、断崖にバリアを張った街が見えてきた。これがアオイタウンだ。

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