第三話 欠けた月を見上げて(上)

 いつも通りの稽古のあと、俺たちシズカ一門は酒場「十斗」で夕飯をご馳走になっていた。うちの師匠は横着でめんどくさがりでズボラだが料理は上手いのだ。豚スペアリブの煮込みを、一同おいしく食べる。うまい。窓からわずかに欠けた月が見えている。


「どうだー師匠の手料理はうまいだろー」師匠は見事なまでのドヤ顔。でも本当においしいんだから仕方がない。ところでそろそろ酒場の開店の時間だけど弟子に飯食わせといていいんだろうか。そこを訊ねる。


「どーせ開けても常連が一人二人くるくらいだからなー。それも結構遅くなってから。まだ誰もこんから安心して食え」


 ……果たしてこんなんで師匠の酒場は経済的に大丈夫なんだろうか。この間、フロゥリィトが中央都市に行く算段がついて国家の要人として扱われることになり、師匠にかかるゼム硬貨とかアルミ箔の経済的圧迫はなくなった。それで少しは経済状態がよくなってまともな暮らしに近づいただろうかと思ったが、しかし師匠は相変わらず雑な服装で、そもそも酒場の女将さんのくせにきれいな服を着ようという発想がなさそうだ。グレーのシャツにグレーがかったデニム。ハッキリ言って色合いが死んでいる。ほかにも経済的な問題はいろいろありそうな気配。


 とにかくおいしくスペアリブの煮込みを食べていると、焼酎やウイスキーを割るために用意してある炭酸鉱泉水が出てきた。スペアリブの脂気を洗い流すようなシュワシュワ感。酒場の客ならビールやチューハイやハイボールが出てくるところなんだろう。


「――師匠。指、どうされましたか。左手の小指」

 ふいにマリーがそう師匠に訊ねた。スペアリブをゆっくりモグモグしていた俺も顔を上げる。ハチも犬みたいにがっついていたところから顔を上げた。ナッツも同じく。


 師匠の左手の小指を見る。爪がはがれかかっている。ぜったい痛いやつだ。


「……あれ? なんで小指の爪はがれてんだ?」と、師匠はいぶかしんだ。痛くないらしい。どういうことだ? 師匠はぐいぐいと爪を押し付けると、適当に絆創膏を貼り、料理を再開した。ニガウリを炒めている。


「師匠~いくらハシビロ拳法の使い手だからってそこまでのんびりされちゃあ」

 ナッツがそう言うと師匠はあんまり人相のよくない、するどい眼つきで、

「ハシビロ拳法はのんびりしてるんじゃあない。動かないだけで常に危機意識はある」

 と、よく分からないことを言った。それからニガウリの炒め物におろしにんにくを投入し、

「しかしナッツ、まさかお前がイツキシティ研究大賞受賞するたぁ思わんかったよ。お前はどうにも軽薄に見えるけど、中身は意外と知的で真面目なんだな」と、しみじみ言った。


 フロゥリィトを助けたときに知り合いの学者を呼んで周りをびっくりさせたナッツであるが、実はナッツはこのイツキシティの公立大学で外世界の研究をしており、俺らなんかよりよっぽど頭がいいのであった。


 外世界。


 俺はフロゥリィトでその存在を知ったが、しかしナッツはそれ以前から、このどうぶつ文明圏の外にどんな世界があるのか研究していたらしい。だから学者ともコネがあったのだ。


 そしてナッツの外世界の研究は中央都市でも認められ、イツキシティ研究大賞という、すぐれた研究に与えられる権威ある賞をもらったのである。


 ナッツの意外な高学歴の話は、何度聞いてもビックリする。師匠の言う通り軽薄に見えるナッツが、そういう才能を持っていたことには本当におどろくしかない。


「まあ俺ならヨユーっすよ」ナッツよ、そういう喋り方をするから学歴にリアリティがないんだぞ。でもそこにツッコミをいれてもどうにもならんので黙る。スペアリブがうまい。


「さーて、そろそろ客がくるから帰れ。フロゥリィトがいてくれたらカラオケで喉ガラガラにならんで済んだんだけどなあ。あいつ喉が金属だったからいくら歌ってもへこたれなかったんだ」と、師匠が言ったほぼそのタイミングでがらがらーっとドアが開いた。


「よっシズカちゃん。きょうは肉料理かい?」お客はそう言って入ってきた。


 振り返って、俺たちはお客のあまりにショッキングな姿に衝撃を受けた。お客は、右腕がひじから先がなくなっていた。なんにも気付かずに左手でドアを開けたのだ。着ている服には血が染みて、ぽたぽたと血が落ちている。


「デバさん、右腕どうしたんです?!」

 師匠が絶叫調でそう言う。お客さんは自分の右腕を見て腰を抜かした。


「うわあああーっ」お客はそう叫んで、そのまま気絶してしまった。ナッツが駆け寄る。


「――これだけ大きな傷、気付かないはずがないのに――それに出血が異様に少ない。もし普通に血が流れていたら、死んでいるはずだ」


 ナッツの意外と知的な考えを聞いて、たしかに、と納得する。師匠が救急車を呼び、お客さんは運ばれていった。師匠はモップで床に落ちた血を拭きとり、

「ショッキングなもんを見ちまった」とため息をついた。俺らだってショックだよ。


 食事のあと家に帰ってテレビをつけると、奇妙なニュースが流れていた。イツキシティじゅうで、手足や目などがなくなって、でも本人はぜんぜん気付かない、という奇病が流行っているらしい。手足や目みたいな大きな怪我だけでなく、爪がはがれるとかピアスの穴がちぎれるとか、大怪我ではないけれど聞いただけでぞわっとする症状もあるらしい。俺は寝ようと着替えて靴下を脱ごうとして、足の小指の爪がはがれていることに気付いた。血がすこし染みていた。


 翌日道場にいくと、師匠がなにやらノートを開いていた。古くてボロボロのものだ。


「なにやってんですか」


「昔の他流試合の結果を見てる。あの、血が出ないで手足がちぎれる技、どっかで見た記憶があるんだ」


「では手足がちぎれるのも『どうぶつ』の力ということですか?」


「おそらくは。なんだったかなあ、その力がショッキングすぎてやられた記憶があるんだが」


 師匠がノートを次々出してきてめくっていく。相当古いものもある。


「おはようございまーす」マリーがきた。マリーはどこにもパッと見て怪我はなさそうだが、話を聞くと右足の親指の爪がはがれていて、しかも痛くないらしい。


「もうやんなっちゃう。せっかく可愛いサンダル買ったのに台無し」


「おはよーさんです」ハチがあくびを一発して入ってきた。なんでも夜中にお隣さんの悲鳴で目が覚めたらしい。ハチのお隣さんは若い夫婦で、その夫のほうの左足が、ももの付け根からもげていたのだとか。そういうハチも左手の薬指が一番上の関節からなくなっていた。


「おかしいなあ。ぜんぜん痛くないし、力が鈍った感じもない」


 ハチは左手をぐーぱーした。


 少し遅れてナッツがやってきた。寝不足の顔をしている。共同研究者の耳がもげる騒ぎで、研究室の椅子で寝たらしい。


「これもどうぶつの力だとしたら――相手はおそらく、再生術が使えるタイプの使い手なんじゃないですか」と、ナッツが真面目な顔で言った。


 再生術。


 プラナリア拳法やトカゲ拳法なんかがそれにあたる。怪我をしたところからまたおなじパーツが生えてくるタイプの術だ。プラナリア拳法は体をちぎられても復活できるし、トカゲ拳法は自ら腕や足をちょん切って相手をおどろかせたうえで回復できるというもの。


「うーん……待てよ。再生術ったらトカゲ拳法だよな。思い出したぞ!」


 師匠は古いノートを引っ張り出した。もう十年近く前のもの。めくっていくと、トカゲ拳法の使い手・ザドというのを相手に、師匠が戦った記録がある。ザドというのは別の道場で鍛えていた人間で、要するに他流試合だ。


「こいつだ! いきなり腕ちょん切って飛ばしてくるからビビッてこけたところを詰められたんだ。ぜったいこいつだ! 行くぞ!」


 一同ぞろぞろとそのザドの所属していた道場に向かった。


 道すがら、怪我をしていることに気付いていない人がたくさんいた。いちいち通報していてもらちが明かないし、師匠が言うには昨日の腕のとれてしまったお客も命に別条はなかったようなので、とりあえず無視して進んだ。


 ザドの所属していた道場はヒノキアベニューにある小さな道場で、師匠が道場破りよろしく、

「たのもーう!」と一言言ってドアを開けると、ヨボヨボのおじいさんが一人で畳の上を掃いていた。道場破りは条例で禁止されているので、話を聞くだけなのだが。


「なんじゃあ~」

 おじいさんはふさふさの眉毛を動かす。師匠がザドのことを訊ねた。


「結婚するって言ってだいぶ前に辞めたぞい」

 と、老人は言った。どうやらこの老人の一門は、もうみな巣立っていき、自分の道場を持ったりあるいは別の道に進んだりしているらしい。ザドの住所を教えてもらい、俺たちはそこを訪ねた。


 クワノキ街道を行ったところに、ザドの家は建っていた。シンプルながら優美な一軒家だ。ザドは賞金稼ぎをしてこの家を建てたらしい。師匠の酒場の二階を思うと圧倒的に儲けている。


 玄関ベルを師匠が鳴らす。

「たのもーう!」

 だから道場破りのていでやるのはやめてほしい。何度も言うが道場破りは禁止なのだ。玄関が開いて、すごいつけまつげを付けた女の人が出てきた。


「なんのご用ですか?」と、女の人はいう。


「ザドさんはいらっしゃるか?」師匠がそう訊ねると、女の人は、

「主人ならいま娘をあやしてますけど」と答えた。どうやらザドというひとは幸せな結婚をして子供にも恵まれているらしい。とりあえず家に入れてもらった。


「ザド、久しいな」

 師匠がそう言う。ザドと呼ばれた男は瞳孔の細い目をこちらに向けて、

「おー、シズカじゃないか。弟子まで連れてどうした?」と、嬉しそうに言った。


「知らんとは言わせんぞ。うちの大事な弟子の指ちょん切ったろ」


師匠がハチの手をつかんでザドに見せた。ザドは、

「……またそういう話か。うんざりしてるんだよ。手足がもげる病気が流行ってるのは知ってる。それでトカゲ拳法の使い手の俺のところにたくさん人が来る。警察や治安当局も来たが、本当に俺はなんにもしてない」と、そう答えた。


「本当にお前じゃないのか? 証拠は?」


「証拠……って言われても、俺は自分の手足を切ることはできても、他人の、それも知りもしない人の手足までは切れない。それは知ってるだろ?」


 師匠は難しい顔をした。

「いやまあそうなんだが」


 師匠、ならなぜこの人を疑った。そもそも無関係じゃないか。


「しかしだな、ほかに疑えそうな人がいなくて」


「だからって俺を疑うのはお門違いってもんだろう。帰れ」


「いやしかし……」

 師匠はそう口ごもった。そのときハチが、ザドの抱いている赤ん坊のおくるみを見た。いぬいぬ拳法の使い手は赤ん坊に弱いのだ。


「その子、普通の赤ん坊じゃないですよね」

 ハチがするどくそう訊ねる。ザドはため息をついた。

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