第二話 鉱物文明(下)

 部屋の中に戻ると、異様な光景が展開されていた。フロゥリィトは、目からぼろぼろと宝石をこぼしていて、こぼれた宝石で床が埋まっていた。


 治安当局の男は、表情を引きつらせた。まるで宝石を持って帰りたいとかそんな感じの顔。あ、こいつカラス拳法の使い手だ。キラキラ光るものに目がなくなるっていう。


 フロゥリィトは泣き止むと、治安当局の人たちをじっと見て、何か言葉を発した。金属音に近い言葉ののち、――俺の部屋が、ぐにゃりと歪んだ。


 ――なんだ? フロゥリィトが何らかの異能を使ったのか? 異能……どうぶつの力ではない、特殊な力を指す言葉。まあフロゥリィトが俺たちとは違う世界からやってきたのなら、異能を使ってもおかしいことはなにもなかろう。ぐにゃりと歪んだ部屋で、治安当局の男たちはじたばたともがくが、どうあがいてもフロゥリィトに近寄れない。


「くそっ――異能を使われてはなにもできない――引き上げるぞ」


 男たちは逃げだすように帰っていった。歪んでいた部屋が元に戻る。


「フロゥリィト、おまえすごいな!」


 そう声をかけると、フロゥリィトはにこにこの愛らしい笑顔になった。


 しかしこれで、完全にフロゥリィトは追われる身になったな、と俺は思った。その日の深夜のニュースで、イツキシティのお尋ね者一覧に、「金属の少女」が加えられたと報じられた。それを見て、このままかくまっておくのは危険だと判断した俺は、眠たい顔のフロゥリィトをひっぱり、酒場「十斗」に向かった。


「へいらっしゃーい。ってレイジとフロゥリィトか。お前らに飲ます酒はないぞ」


 十斗は絶賛営業中だというのに、お客さんの姿はない。場末感がすごい。師匠一人、おでんなんぞ煮ながら酔っぱらっている。


「師匠テレビ見てなかったんですか。フロゥリィトがお尋ね者にされてしまいました」


「あんだって? この子がお尋ね者? どうしてまた」


 治安当局相手にフロゥリィトがやったことを説明する。師匠は頭痛を催した顔をして、

「……しゃーない。かくまってやるよ。ただし実費だぞ。とりあえず余ってるお通しでも食え。タダでいいぞ」と、そう答えた。


 小鉢に盛られたニガウリの炒め物が出てきた。フロゥリィトが金属を食べることを説明すると、師匠は「ほほー。面白い人種もいるもんだ」と言いながらアルミ箔を渡してきた。フロゥリィトがそれをもしゃもしゃ食べるのを眺めつつ、俺もニガウリをつつく。師匠は意外と料理が上手い。


 そのときガラガラガラと乱暴に酒場のドアが開いた。入ってきたのは、覆面の男三人組。


「そのお嬢ちゃん、生死問わずの扱いだったよなぁ?」


 覆面の男はそう言いフロゥリィトを見た。フロゥリィトは怯えた顔をして、異能を使おうとしたが、なぜか異能は発動しない。


「残念だったな、コンドル拳法には異能キャンセルの力があるんだ」


 コンドル拳法。噂には聞いたことがある。どんな異能でも、はるか上空から見下ろすように無に還すという、すごく強力な力。その使い手と相まみえるのは初めてだ。


 そう思って、ナマケモノ拳法の構えをとる。師匠もハシビロ拳法の構えだ。そのときフロゥリィトの手首からひじにかけて、鋭い刃がびゅんと飛び出した。青い、見たこともない金属で、複雑な波紋が描かれている。


 そのぎらつく刃を、フロゥリィトは賞金稼ぎたちに見せつけた。賞金稼ぎたちは、一瞬気圧された顔をして、しかしコンドル拳法やらアホロートル拳法やらクロコダイル拳法やらの構えをしようとした。しかしそのとき、フロゥリィトはその刃でコンドル拳法の男のかぶっている覆面を、顔の皮までギリギリ紙一重ですぱりと斬り落としてみせた。


「うおっ……?!」


「次は命はないんじゃないか」俺がそういうと、賞金稼ぎたちはあわてて逃げていった。あきれるほど根性がない。


「……で、どうするレイジ。この子がここにいる限り、ああいう輩は続々やってくるぞ? 異能でごまかすっても限度があるし、だれかに通報されて治安当局が一個大隊で攻め込んできたらこんな店一瞬で木っ端みじんだ」


「フロゥリィトにはなんの害もないんですよ、ただちょっと俺たちと違うだけで。それなのにお尋ね者なんておかしいです」


「……そうか。それならば考えるところはある。大至急でハチとマリーとナッツを呼べ」


「師匠が呼べば確実に来ますよ」


「真夜中にたたき起こされた責任を取りたくないっ」


 しょうがないので俺が三人に端末から連絡する。ハチは寝ぼけた声で「わかった。すぐいく」と答えて、実際すぐにきた。マリーは「なによぉこんな夜中に」と文句たらたらながらやってきた。ナッツは外をひたすら走っていたらしく、目がキンキンに覚めた顔で現れた。


「この子異能なんか使えるのか。こんなすごい刃物も持ってるし」


 ハチはしみじみとフロゥリィトを眺める。すんすんと匂いをかいで「でも感覚そのもの、知覚そのものが俺らと違うから、アクセスして同調することができないんだよなあ」と、難しい顔をする。ハチすらできないなら俺らには完全に無理だ。


「せめて言葉が通じればいいんだけど――」と、マリーがつぶやく。


「――ちょっと待て。そういうのに詳しい知り合いに連絡してみる」と、ナッツが端末を取り出してどこかに連絡をとった。しばらく通話してそののち、白いパーマヘアに白衣という、テンプレ的な学者がやってきた。


「初めまして。バンドウと申します」学者はそう名乗った。なんで知り合いなのかナッツに訊ねると、なんでもナッツはこの学者と共同研究をしているらしい。驚きの高学歴だ。


「ほほう、どうぶつ文明圏の外から来た子供ですか。興味深い」学者はフロゥリィトを眺めまわして、口をとがらせて、

「どうぶつ文明圏の外にある、異なる文明圏の人間との遭遇記録は案外いろいろあって、きょう――もう昨日ですか。私は海岸に漂着したほかの文明圏の飛行船の調査にも参加しました。そこで、彼らの用意していた、我々と意思の疎通を図るための機械を、一個ちょろまかしてきたんですよ」


 こいつ学者のくせに手癖が悪いぞ。


「なんでそれが意思の疎通を図るための機械だと分かったんです?」と、師匠が訊ねる。


「だってほら、ここに『どうぶつ文明圏のひとへ 我々は鉱物文明圏のものです ここに触ってください』って書いてあるでしょ。で、だれがいきます?」


 分かりやすいな。とにかくそれを使って、とりあえず俺がフロゥリィトと会話してみることにした。フロゥリィトの触れた機械の、反対の端に触ると、頭の中に吹き出しがぽこりと浮かんだ。


「わたしは鉱物文明圏ミネラル国の全権大使です。フロゥリィトという名前はご存知ですね」


「ぜ、全権大使?!」俺は素っ頓狂な叫びを上げた。ギャラリーが驚く。


「驚きましたか。飛行船が難破したとき、わたしは先に脱出して助かったのです。わたしはこのどうぶつ文明圏の人々と、共存共栄のための議論をするつもりでした」


 フロゥリィトは悲しい顔をして、飛行船が難破したときのことを語り、俺に感謝の言葉を述べた。フロゥリィトは真剣に、「この国のリーダーと話がしたいです」と言った。


 俺はその旨を周りのみんなに伝えた。師匠が難しい顔をして、とりあえず、と治安当局に連絡する。しばらくして治安当局の、夕方のカラス拳法の男がやってきて、フロゥリィトはその男に機械を使っていろいろと話をした。治安当局の男は、

「――指名手配は取り消しておきます。そんな高い身分の人だったんですか。しかし――首相と会談にこぎつけるまでは、相当な時間がかかるでしょうな。こっちには彼女のような高い身分の人をもてなす方法がないのです。しばらく預かってはいただけないですか」

 と、俺の部屋に押し入ったときよりずいぶん丁寧な口調でそう言った。


「コレ」と、フロゥリィトはその白くて小さな手を差し出した。その手のひらには、宝石が一粒載っていた。カラス拳法の男は目をぱちぱちして、「貰っていいんですか?」と訊ねてきた。


 そりゃカラス拳法の使い手からしたら最高のプレゼントだ。キラキラ光るものを貰って、カラス拳法の男はあちこちに連絡し、帰っていった。わいろの使い方まで心得ているとは、フロゥリィトはなかなかズルいことも知っているようだ。


「……しゃーない。首相との会談が決まるまで、あたしが預かろう」


 師匠がそう言って、にかりと笑った。


 ◇◇◇◇


 フロゥリィトがイツキシティにやってきて、しばらく経った。浜辺に漂着した飛行船の乗組員、つまりミネラル国からやってきて亡くなった人々は丁寧に葬られた。


 フロゥリィトは、師匠の酒場を手伝いつつ、語学の勉強を始めたのだが、すさまじい速度で上達している。まさにこれこそ知性の輝きだ。フロゥリィトはあっという間に酒場の看板娘になって、寝てばっかりで働かない師匠をたたき起こして働かせている。そもそもフロゥリィトは俺たちの想像する年齢よりずっと大人で、夜の街的な商売を面白がり、語学をカラオケのムード歌謡で勉強できるような、そういう年ごろだった。


 フロゥリィトは道場にも来るようになった。


 フロゥリィトの両腕から突きだす鋭い刃は、複雑な戦闘を可能にする。俺たちの相手をするときは峰打ちで稽古してくれるのだが、フロゥリィトの持っている戦闘術は俺らの想像する武術と全く違う方向に進化したものだった。


 俺のナマケモノ拳法の基本である爪の攻撃を、フロゥリィトの「蛍石剣」はがしりと受け止め、ばっと振り払った。その戦闘にはよどみがない。可愛く見えて、フロゥリィトは高度に理論化された戦術を持っているのだ。


 そしてなにより、俺たちシズカ一門は、広い世界の一部を知ったのだ。ミネラル王国の話を、フロゥリィトが説明できるようになって、俺たちはその美しい国を想像した。


 ミネラル王国の人々は、みな体から結晶や鉱石が生えていて、金属光沢の髪と瞳を持ち、みな裕福に暮らしているという。格差社会のイツキシティとはえらい違いだ。


 だれでも体に武器を仕込んでいるのか、と訊ねると、フロゥリィトは笑顔で、

「じえーしゅだんとして。だれもまちなかでつかったりはしませんのことよ」

 と答えた。カタコトだが難しい言葉を覚えるのが早すぎませんか。


 フロゥリィトが首相と会談するのはいつになるか分からないが、フロゥリィトは全権大使とかそういうのより酒場の看板娘のほうが似合う気がする。場末の酒場がそれなりに華やかになったじゃないですか。師匠にそう言うと、


「しかしね、フロゥリィトはときどき売り上げごまかしてコインかじってたりすんのよ」

 と、あらぬ方向で嘆かれた。確かにゼム硬貨はおやつにちょうどよさそうだ。アルミ製だし。


 この間のリクさんのときもそうだったが、俺たちには知らない世界がたくさんある。ミネラル王国がどんなところかまだはっきりとは分からないが、少なくとも俺らの想像できる世界は、大きく大きく広がった。


 人類がウイルスから逃れるために選択したのは、どうぶつの力を体に宿すことだけではない。鉱物の力だって、ウイルスから身を守ることができた。では植物は? 菌類は?


 稽古のあと師匠とハイギョラーメンを食べ、隣でフロゥリィトが1ゼム硬貨をがじがじするひととき、俺は遠い世界に思いをはせていた。


 俺らには知らないことがたくさんある。それをフロゥリィトが教えてくれた。


 この、一見すると年端もいかない少女に見える人物は、世界を見据えている。その目に映る世界は、俺らの知る世界とは違うだろう。その景色を、俺も見たいと思った。

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