第二話 鉱物文明(上)

 ナマケモノの力、というのにだいぶ慣れて、体の違和感が消えてきた。ナマケモノとして世界を認知し、ナマケモノとして行動できる……というレベルではないが、とりあえず「人間と違いすぎて落ち着かない」というのはもうない。俺は今朝も、新しい日課である浜辺の散歩に繰り出した。


 イツキシティは浜辺に降りていくことができる。重層構造になったイツキシティの最下層から外に出ると、白い砂のきれいな浜辺が広がっている。そこは一見すると美しいが、人類を滅ぼした疫病の根源であるウイルスがまだ漂っており、どうぶつの力に目覚めていない人間には危険地帯だ。


 浜辺をてくてく歩いて、きれいな貝殻を見つけるも、しかしそれはイツキシティに持ち込むことはできない。きれいだなあ。そうおもって浜辺に戻す――なんか漂着してるな。昆布かなにかだろうか。恐る恐る近づいてみると、それは人間の子供に思われた。


(なんでこんなところに、小さい子供が……?)


 金属質な光沢を放つ髪に、体のラインをかろうじて隠す程度の衣服。その衣服はイツキシティの人間が着ているそれとちがって、どこにも継ぎ目や縫い目がない。


 体の節々からは水晶のようなものが飛び出している。なんだこの子は……? 近づいて、そっと顔に触れてみる。思ったより柔らかくて温かい。一応生きているようだ。


 なんにせよウイルスの漂う浜辺に、こんな小さな子供を置いておくわけにはいかない。俺はその少女を担ぎ上げた。意外と重い。漬物石みたいだ。貝殻を持ち帰れないのに人間を連れて帰るというのもおかしな話だが、しかし死なれても寝覚めが悪い。


 えーと。どうすればいいのかな。とりあえず師匠んとこにつれてくか。エアシャワーでウイルスを払い落し、俺は師匠の店に向かった。


「なんだぁー。いまは朝の五時だ。酒場は閉店ガラガラだぞ」


 師匠は眠そうな顔で、店の角に置かれた椅子に座っていた。うつらうつらしながら、朝ごはん代わりにお通しの余りのイワシの煮物をつついている。


「変な子拾ったんです。浜辺に流れ着いてました」


 俺は少女を適当に椅子の上に降ろした。師匠は眠そうな顔であることを隠そうともせず、

「……浜辺に、こんな小さい子が? ウイルス吸ってるんじゃないのか?」

 と、そう言ってイワシを飲み込み、少女の顔を覗き込んだ。眠っている。表情はおだやかだ。小さい子供だと思ったが、案外ローティーンなのではないかという印象もあった。


「――ふむ。こいつぁー噂に聞いた『非どうぶつ文明』の人間かもしれん」


 師匠がよくわからんことをのたまう。非どうぶつ文明? なんですかそれ。そう訊ねると、師匠はちょっと考える顔をして、


「リク兄さんに教えてもらったことがある。このどうぶつ文明圏の外に、どうぶつの力に頼らず、別の力でウイルスを克服した文明があると」

 と、真面目な口調でそう答えた。


 どうぶつ文明圏の外。想像したこともなかった。俺たちの暮らす世界の外に、そんなものがあるのか。


「まあリク兄さんもあたし並みにハッタリが得意な人だ。嘘かもしれん。しかし普通の人間がいたら確実に死ぬ場所にこの子はいたわけじゃろ。我々とは違う文明の、我々とは違う力で、ウイルスに対抗しているのかもしれない」


 なるほど……。


「とりあえず寝かしてやろう。あたしも眠いんだよ、きのうの夜から今朝の三時までカラオケで歌いっぱなしでヘトヘトだ」


 というわけで、酒場「十斗」の二階に上がる。十斗の二階は師匠が家として使っていて、適当に脱ぎ散らした服やら乾き物の袋やら、とにかくひどくとっ散らかっている。師匠は適当にせんべい布団をしいて、俺はそこにその少女を横たえた。


「稽古はお前らで適当にやってろ。ふああ……」


 師匠のこの上なく雑なセリフを聞きながら、稽古のために道場に向かおうとしたそのとき、少女がむくりと体を起こした。目をぱちぱちしている。閉じられていた瞳は、驚くほど透き通り、そして煌めく金属質の色をしていた。


「おー! 気が付いたかー! 体に痛いところはないか? 怪我とかしてないか? うん、名前は?」


 師匠は矢継ぎ早に少女にそう質問した。少女は困った顔で、師匠と俺を見比べている。


「話通じてないっすね」


「……そのようだな。えーと……ほら、リク兄さんと話したときみたいに、知覚の奥に踏み込むことはできないか?」


「それならハチのほうが上手いと思いますけど……」


「そんなら道場にこの子連れてけ。ハチに見せてみろ。あたしは寝るっ」


 なんなんだ師匠よ。俺はその少女を不安がらせないように、ちゃんと顔を見て、自分を指さし「レイジ」と言った。少女は何の話か理解したようで、自分を指さして「フロゥリィト」と答えた。その名前を聴いた瞬間、ああこの子は俺たちと何かが完全に違う、と俺は理解した。


 フロゥリィトの手を引いて、道場に向かう。フロゥリィトは街の様子が面白いらしく、きょときょとと辺りを見渡している。フロゥリィトを連れて道場に入ると、ハチとマリーがハイギョの骨せんべいをかじっていた。このハイギョの骨せんべいは師匠の大好物で、いつもストックしてあるのだ。ナッツはまだ来ていないらしい。


「誰だぁそれ。なんか普通の人間じゃないな?」


 ハチは察するのが早い。マリーは目を細めて、

「へえー。レイジってロリコンだったのね」とあらぬことを言う。


「この子はフロゥリィトって言って、言葉が通じないんだ。かろうじて名前が分かった感じだな」


 そう言ってフロゥリィトを道場のたたみの上に入れる。フロゥリィトは興味ぶかげにハイギョの骨せんべいを見ていて、マリーが笑顔で「食べる?」と、渡す。フロゥリィトはそれをひと口齧っておいしくない顔をした。おいしくない顔をした直後、べっと吐き出した。


「そんなにまずかった? ……この服、必要最小限って感じね。スースーしそう。ちょっと待ってて、なにか着るもの持ってくるから」


 マリーはそう言って道場を出ていく。しばらくして、スーツケースにぎっしりと服を詰めて戻ってきた。フロゥリィトに好きなものを選ばせると、シンプルな白いワンピースを選んだ。


「おー似合う似合う」ハチが褒める。フロゥリィトは褒められているのは分かるらしい。


「なあハチ、リクさんのときみたいに、匂いからこの子とやり取りできないか?」


「やってみる」ハチは鼻をスンスンさせた。しばらくスンスンして、

「……この子は、俺らには理解できない五感を持ってるんだと思う」と、そう言って、ハチはため息をひとつついた。


「理解できない五感?」マリーが訊ねる。ハチは、

「たとえばここにハイギョの骨せんべいがあるよな。これを俺らはハイギョの骨せんべいと認識してるわけだ。しかしながらこの子は、俺らの観ているハイギョの骨せんべいとは違うハイギョの骨せんべいを見ている。うーん、俺バカだからうまく説明できんなあ」

 と、しみじみと、またため息をついた。


 しばらくしてナッツがやってきて、フロゥリィトを眺めて、

「なんていうか、お人形さんみたいな子だな」と、そう言った。その日、結局師匠は道場にこなかったので、簡単に型の練習をして解散した。俺はフロゥリィトを家に連れ帰ることにした。師匠に預けてもよかったのだが、師匠のことだ、「面倒を押し付けんな」とか言うだろう。


 家につくと、フロゥリィトはキラキラの目でテーブルに投げだされていたゼム硬貨を見た。無事に下りた特殊どうぶつ年金だ。イツキシティでは大きな額のお金も硬貨で流通している。フロゥリィトは六角形の一万ゼム硬貨に手を伸ばし、それをかじろうとした。


「おっとそれは齧っちゃだめだ、お金だからな」


 と、俺がとめると、フロゥリィトは残念そうな顔をした。それからお腹が盛大に鳴った。どうやらフロゥリィトには金属がおいしそうに見えるらしい。アルミ箔を与えると、フロゥリィトはそれをムシャムシャと食べた。


 これって病気なんだろうか。変なものを食べたくなる病気があるというのは聞いたことがある。俺はアルミ箔を食べるフロゥリィトを眺めながら、医者に連れていくべきだろうか、と考えた。


 うーん。フロゥリィト、金属を食べたがる以外は健康そうなんだよな。


 フロゥリィトを病院に連れていって、フロゥリィトがふつうの人間じゃないと分かったとき、俺はどうするんだろうか。ちょっと分からない。それにフロゥリィトが俺たちと違う文明からやってきたとして、もといた場所に帰すことはできるのだろうか。


 考えていたってしょうがない。俺は別に腹が減ったとかそういうことはないので、とりあえずテレビをつけた。なにやらデカいニュースをやっている。国籍不明の飛行船が難破して、浜辺に流れ着いたらしい。


 テレビに流れているのはドローンの空撮映像で、俺らの知っている飛行船とはずいぶん形の違う、言ってしまえば奇妙な形の乗り物が、浜辺に打ち上げられていた。


 それを見て、フロゥリィトは大きく目を見開いた。


「内部を確認したところによると乗組員は全員死亡している模様……」


 ニュースはそう伝えた。フロゥリィトは画面を何度もつついている。それをつついても中には入れないというのをどう説明すればいいのだろうか。フロゥリィトは、この違う文明の船で、ここにやってきて、たまたま助かったのだ。


 やはりフロゥリィトは、違う文明の土地からやってきたんだ。それを理解したとき、俺は震えた。この世界の外に、別の世界があるということが、証明されたのだ。


「フロゥリィト」そう声をかける。フロゥリィトは半泣きの顔だ。


「この乗り物で、きたのか?」テレビに映る船を指さし、それから部屋の床を指さす。通じたらしくフロゥリィトはうなずいた。フロゥリィトの目から、光り輝くしずくが落ちて、それは床で「かつん」と音を立てた。


「フロゥリィト、その乗り物の人たちは、もう死んでしまっている」


 うまく通じるかは分からないが、フロゥリィトにそう説明する。死ぬ、のジェスチャーで迷って、首の前で手をすっと切るように動かすと、またフロゥリィトは宝石の涙をこぼした。


 フロゥリィトはぽろぽろと宝石をこぼして、それを必死で拾っている。こんなに幼い女の子が、独りぼっちでぜんぜん知らない土地にいるのだ。そりゃあ泣くだろう。


 可哀想だ。


 そう思ったとき、玄関のチャイムが鳴った。出ていくと、なにやら物々しいいで立ちの、治安当局、要するに警察よりヤバい武装を持った権力が、家の前に五~六人、難しい顔で立っていた。俺はフロゥリィトのことだと察して、やはりフロゥリィトはただの人間じゃなかった、そう思ってドアを開ける。


「治安当局だ。ここに、異文明の土地からやってきた飛行船の乗組員がいるはずだ」


「なんで分かったんです?」


「通報があった。髪や目が金属のように輝く、しかしクワガタ拳法やカブトムシ拳法とは縁のなさそうな子供を、ナマケモノ拳法の男が連れ帰っていた、と」


 どういうバレ方なんだろう。俺は正直に、フロゥリィトがここにいる、と答えた。

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