第一話 ディスコミュニケーションマン(上)

 トバの襲撃から一週間ほど経った。俺は窮地でナマケモノの力に覚醒したわけだが、とにかくこのナマケモノの力というのは生活に支障が多くて困っている。


 まずは動きがスローモーになった気がして落ち着かない。師匠や仲間たちには問題ないと言われているのだが、自分の周りの世界があまりにも速い。それはまだナマケモノの力が全身に行きわたっておらず、まだ人間の部分があるから違和感を覚えるのだと師匠はいう。


 なので俺は、目下ナマケモノの力が全身に行きわたるように、なるべく動かないようにしている。そのせいで日常生活がグダグダというのがもう一つの問題点だ。


 動かないようにしているので家にいる間やることがほぼ寝るの一択。ナマケモノは代謝が鈍いので一日三食食事をしなくてもたまになにか食べるだけで腹は減らない。大変ぐうたらと日常を送っているわけである。


 そういう生活なので掃除も洗濯もたまにしかやらなくなってしまったし、しかし温かくしていないと体温が低下して胃にものが入っているのに餓死しかねないというわけのわからない体質になってしまった。まったくもって笑えない体質だ。


 イツキシティにはこういう、どうぶつの力に目覚めた人間がたくさんいるのだが、ナマケモノのように暮らしに支障の出る力に目覚めてしまった人間はあまりいないそうで、俺はとりあえず役場のどうぶつ係のところで力のせいで暮らしに支障が出ている、という相談をした。役場のおじさんは端末をポチポチいじりながら、


「審査次第で行政から特殊どうぶつ年金を支払うことができないわけじゃないですけど、しかしナマケモノで認められた例はすごく少ないですねえ」と、面倒そうに言うのであった。そもそもナマケモノに目覚めることが珍しいのではないだろうかという気がする。


 とにかく目覚めてしまったものは仕方がない。俺はその力に生きるため日々鍛錬を積むことにした。鍛錬を積むと言っても、基本の形を稽古したあとはひたすら寝るだけなのだが。


 こんなんで鍛錬を積んでいることになるんだろうか。その疑問しかない。


 ナマケモノに性質の似たハシビロコウの力に目覚めた師匠いわく、

「あたしも力に目覚めたてのころは、ひたすらじっとしてたよ。動くと逆になじみが遅くなるんだ」とのことであるが、しかし……こんなボーっと生きていていいんだろうか。


 ある日の道場でのことだった。いつも通り基本の形をこなし、一休みにハイギョの骨せんべいをぱりぱり食べていると、師匠が唐突に不思議な話を始めた。


「ディスコミュニケーションマン、というのを知っているか?」


「……なんですかそれ」と、ハチ。師匠は少し考えて、


「マツノキ通りに、いっぱい……いわゆるホームレスがいるだろ? そのうちの一人が、すごい仙人だという噂がある」

 と、真面目な口調で言う。ナッツが、


「いや、すごい仙人がホームレスなります? 山に庵とか建てて住んでるんじゃないんですか」

 と、確かに、というようなことを言う。


「うーんとなんていうか。案外身近にいるもんなんだ、仙人とか悟りの人とかそういうのは。説明が難しいな……ちょっと行ってみたらいい。マツノキ通りのベジタリアン向け料理店の前で、いつもじっと座っているホームレスがいる。それがディスコミュニケーションマンだ」


「なんでホームレスのところに行かにゃならんのですか」とハチ。


「それがな、そのホームレスというのがちょっと特殊なんだ。盲目でそのうえ耳も聞こえず、体は皮膚病の後遺症で触られてもなにも感じない。そういう人間と、どうすればコミュニケーションがとれるのか、それを学ぶだけでどうぶつの力への理解力が高まるはずだ」


「ええ……喋るのも文字を読むのも指文字も使えない相手と、コミュニケーションをとるって――どういうことですか? 無理じゃないですか」と、マリー。


「とにかくその人物とコミュニケーションを取ってみてほしい。人に害を与える人間じゃないし、なにもコミュニケーションをとれない向こうがわに、どういう世界が広がっているのか、その景色を見てみるだけでも『力』とはなにか分かるきっかけになるはずだ」


「――俺らは、まだ『力』とはなんなのか、それすら分かっていないと――そういうことですか」

 俺がそう言うと、師匠は大きく頷いた。


「あたしもまだ分からんのだ、目覚めたてのお前らに分かるはずもない。力とはなにか、それを理解するのに、ディスコミュニケーションマンとの対話は役立つはずだ」


 というわけで、師匠が酒場の支度に出かけてから、俺たち四人の門下生は師匠の言うことの意味について話し合った。


「そんな悟りの人が病気になるかよ」と、ハチは吐き捨てるように言った。


「それは穿ちすぎじゃないか? 師匠の言うことだ、きっとなにか意味がある」


「なあレイジ……お前さ、一人だけ師匠にかわいがられて図に乗ってないか?」


 ハチはそう言ってきた。ちょっとびっくりする。俺は、

「いや。そういうつもりはない。でも師匠が無意味なことを言うとは思えないんだ」

 と答える。確かに、俺はナマケモノの力に目覚めてから、師匠にとてもよくしてもらっているし、力に目覚める以前から、師匠に期待されていた。


 でもそのことで、仲間たちからずるいと思われているというのは、考えていなかった。


「わたしは行かないわよ。ホームレスなんて気味が悪いわ」マリーが鼻をすんと鳴らす。


「俺もパス。それより最近覚えた技を磨きたい」と、ナッツ。ナッツは最近、「マエバ・ホッチキス」という技を覚えたのであった。


「俺は……どうしようかな。師匠がすごい仙人っていうなら仙人なんだろうけど」


「行こうぜハチ。行ってみないことにはなにも分からないぞ」


「じゃあそうするか。これから行くか?」


 というわけで、俺とハチはマツノキ通りにある大きなベジタリアン食の店の前にきた。俺はそんなにいいものだと思わないが、ベジタリアン食は昔から根強い人気がある。


 でも、ベジタリアンの人のいう、「動物や魚を食べるのは可哀想」という発想は間違っていると俺は思っている。それを言うなら野菜や穀物だって生き物なのだ。野菜だって可愛い花を咲かせるのだ。命に貴賤はない。


 その、ディスコミュニケーションマンというあだ名のホームレスは、店の前にボロボロの服装で座りこんでいて、食事にきたベジタリアンに気味の悪いものを見る目で見られている。確かに顔や腕には皮膚病の痕があり、目は真っ白く濁っていて、大きな車が音を立てて通るのも気にしていない。本当に、コミュニケーションの手段は失われているようだ。


「あれか……どうする、レイジ」


「どうするって……挨拶すらできないしな……」


 そういう話をしていると、向こうから警察車両が現れた。そしていきなり俺らに職質をしてきた。師匠が話していたことを説明すると、

「ディスコミュニケーションマンねえ……あのね、そもそもホームレスという人種は、なにか問題があってふつうの人間社会で生きていかれなくなってしまったひとがほとんどで、例えばごくごく軽い障害があるとかそういう――つまり、もとから普通の人間と違うわけだ。それとなにかコミュニケーションをとっても、なんの解決にもならないよ」


 警察官はとても冷たい口調でそう言うと、俺らに帰るよう言って、去っていった。


 端的に言って差別だと思った。障害があることが悪いこと、というような口ぶりだった。これが、このイツキシティを守る警察官なのか、と思うと、とても納得できなかった。


「あの警察官は間違ってる。差別はあってはならないものだ」


「俺もそう思うよ、思うけど――日陰者になっちまった人間をさ、わざわざ訪れる意味ってあったのかな。師匠も適当に無理難題言ってきただけなんじゃないのか?」


「それは分からんけど……とにかくどうぶつの力でなにかコミュニケーション取れないか試してみる価値はあると思う。もしかしたら師匠の言うとおり、なにか理解に近づけるんじゃないかな」


「……そうか。レイジがそういうならそうなんだろうな。試してみようか」


 ハチと二人、ディスコミュニケーションマンに近寄る。ディスコミュニケーションマンは俺らに気付く気配もなく、なにも見えない目で空を見上げている。


 俺も空を見上げる。夕暮れのイツキシティの空は、きらきらと輝いている。


 美しいと思った。ディスコミュニケーションマンの観ている世界は、すごく美しいのではないだろうか、と思った。


 すんすん、とハチが鼻を鳴らした。


「なんだ……? 匂いから、きれいな世界が見える」

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