ロマモート攻防戦1

 カナタが気がつくと、ベッドに寝かされていた。目を開く前から、振動でここがまだ蒸気空船の中にいることがわかった。目を開けると、そこは思っていたより広い室内であった。身体を起こそうとして、全身に激痛が走りうめき声を上げる。その声に反応して、ベットに頭を埋めるように座っていたリシテアがパッと顔をあげた。


「気がついた!?」


 リシテアはまるで生まれたばかりの子鹿がはじめて立ち上がったのを見たときのような声をあげた。

 カナタはうなずいて、起き上がる動作を続けた。リシテアが背中に手を当てて、起き上がりやすく手伝ってくれる。


「大丈夫?」


「う……む」


 声を出そうとしたが、喉がはりつくように渇いて声が潰れてしまった。


「み……ず」


 懸命に声を絞り出すと、リシテアは意味を理解して水を持ってきた。それをむさぼるように飲み、さらに数杯おかわりを飲み干して、やっと心地がついた。


「生き返った……」


 心の底からの言葉だった。文字通り死ぬ気の試みだったのだ。九死に一生とは、まさにこのことだった。身体がボロボロであることに変わりはなかった。しかし全身をたびたび襲う激痛すらいとおしかった。


「ほんと、よかったね」


 リシテアはホッとした様子だった。


「……なんか、迷惑かけたみたいだな」


 リシテアのつかれた様子を見て、カナタは罪悪感を感じた。詫びようと彼女をよくよく見ると、なにか違和感があった。なにが違うかと言われるとよくわからないが、どことなく大人びてみえた。


「……んん?」


 いや、実際大人びている。というより、明らかに成長していた。以前は十歳ばかりの子供だったのが、少なく見積もって五歳は成長していた。男なのか女なのかなんとも言えなかった体つきは、出るところが出る身体になっていた。


「お、お前……ど、どうしたんだ」


 リシテアはカナタの反応を見て、ため息をついた。


「これ? 急に成長しちゃったみたいなの」


「はあ?」


 わけがわからない。それともエルフというものは、そういう生き物なのだろうか。


「魔法の副作用なのかな」


 リシテアはわけもない風に言った。落ちこんでいるわけでも、不思議に思っている風でもない。さも当たり前のような話しぶりだった。それが余計にカナタを不思議がらせた。


 五十年前ですら、エルフは謎に満ちた種族と言われていた。エルフたちはそのほとんどが時忘れの森——通称エルフの森——に閉じこもっており、エルフの研究もほとんど行われていなかった。


 それが時忘れの森の焼失によって、エルフは実質的に絶滅してしまった。ただでさえ見ることの稀だったエルフは、その存在すら知られることのない神話の存在になってしまったのである。


「どういう原理なんだ」


「さあ……?」


 リシテアは首をかしげた。

 周囲には気を配る割に、自身の変化に対しては頓着しないようであった。


「なんの魔法を使ったんだ?」


 記憶を失っていたカナタはなんの悪意もなく訊ねたのだったが、リシテアは急に顔を赤くして顔をうつむかせた。今までの彼女であれば、小さな子供がモジモジしているだけに見えたが、大人びた今となっては、その動作になんともいえぬ色香が漂っていた。

 それはもちろん意識しての行動ではなかったが、それゆえにかえって初々しさが強調される格好となり、カナタはドキリとした。


「……なんでもいいでしょ」


 リシテアはそういうと、ふいと顔を背けて立ち上がった。


「目が覚めたら呼べって言われてるから、ゴトさんを呼んでくるね」


 彼女はそう言って部屋を出て行った。


 一人残されたカナタは、自分の身体に触れて、調子のおかしなところがないか確かめた。命をすべて捧げたにしては、身体に不調はなかった。むしろ若返った気すらする。


(これも副作用なのか……?)


 記憶がないことが気持ち悪くて仕方がない。カナタはなんとか思い出そうとうなってみたりしたが、なにも思い浮かばない。


 そうするうちにドアの外で気配があり、リシテアがゴトを連れて戻ってきた。


「ずいぶん元気そうですね」


 ゴトは開口一番そういうなり微笑んだ。


「状況は? ロマモートにはもう到着してるものと思っていたが」


「ええ……予定が変わりましてね」


「なに?」


 カナタは怪訝な顔でゴトを見た。


「詳しく話してくれるか?」


「ええ、もちろん」


 ゴトは話しはじめた。巨大な嵐の発生は、ロマモートでも見ることができた。しかしその発生直前、ロマモートはすべての動力を消失し、大混乱に陥っていたのだ。


「動力を……消失?」


「発生の直前に、です」


 ゴトは通信文と思われる紙片を取り出すと、それを読み上げた。


「上空をロマモート方向へと伸びる光あり。注意されたし。これは王都からロマモートに発信された電文です。発信記録によると、ちょうどロマモートで動力が消失したタイミングとほぼ一致します。そしてこの現象の直後に嵐が突如発生した……。なにか関連性があると思いませんか?」


 ——塔によるエネルギーの供給?

 カナタは首をふった。


「いや……しかし、俺の塔は確かに停止させたんだぞ」


「これはあくまで私の推測ですが……」


 ゴトはそう言って指を二本立てた。


「塔には二つの役割があったのではないかと考えられます」


「ほう」


「ひとつは、なにかにエネルギーを供給するための機能。もうひとつは、なにかを封印するための機能、です」


 カナタは手のひらに汗が浮かび出るのを感じた。


 ——封印し続けなければならない。


 それは起動させられても停止すればよいという性質のものとは、違ったベクトルの話なのではないか、と気がついたからであった。


「北方の塔、ロマモートの塔、そしてあなたの塔。三個所の塔が起動したことによって、なにかの封印が解かれ、嵐として現れた。そう考えると、この突然の現象のつじつまがあうとは思いませんか?」


 カナタは頭痛がしてきた。忘れていた記憶の扉を、なにかが猛烈に叩いているような痛みが響く。


「……ロマモートの近くまで来ていた魔物たちはどうなった? 無防備になったロマモートは無事だったのか?」


 ゴトは眉をさげ、その瞳が曇った気がした。


「……目下戦闘中ですよ」


「なんだと……」


「動力の消失とタイミングを合わせた強襲。これはもはや、狙ってやったとしか思えません。これが、予定変更の理由です」


「変更って……どういう変更だ?」


「王都への帰還命令です」


 カナタは耳を疑った。


「おいおい……王国第二の都市を見捨てるってのか?」


「それが上の判断です」


「そんな馬鹿なことがあるか!」


 カナタは叫んで、全身に激痛が走りうめいた。


「お前ら軍隊は、こういうときのためにいるんだろうが!」


 ゴトはため込んだ息をゆっくりと吐き出した。


「……北方に動きがありましてね。国境に、大規模な魔物の集結がはじまっているようなのです」


「なに?」


「つまり、王都が狙われていると言うことです。北方には魔物からの侵入を防ぐため数多くの砦はありますが、いずれも小規模戦闘を想定したものです。今回のように魔物が組織だって動くことは考えになかった。一度攻勢がはじまれば、さほど時間も経たずに王都まで侵攻してくるでしょう。上層部は、王都に戦力を集中させることを決めたのです」


「それで、ロマモートの住民は? 全員見捨てるというのか」


「ロマモートにも軍は駐留しています。……彼らが時間を稼いでくれるでしょう」


「ふざけるな。俺は降りる」


 ゴトはため息をついた。


「止めはしませんよ。ただ、だいぶ高いところにいますから、飛び降りたら死ぬんじゃないでしょうか」


 カナタは言葉につまった。


「な、なんか小型艇のひとつを貸してくれれば……」


 その言葉に、ゴトは吹き出した。カナタは恥ずかしくなって真っ赤になる。ゴトはこらえるようにクックッと笑いながら、「冗談ですよ」と言った。


「は?」


 カナタは目をぱちくりさせた。


「冗談? 冗談ってなんだ? なにが? いや、どこから?」


「ちゃんと降ろしてあげる、という意味ですよ」


「あ、そこ? ロマモートは、冗談?」


「それは本当です」


「王都への帰還命令は?」


「それも本当」


「……なら、この船は王都に向かってるってことなんだろ。ロマモートに行くにも——」


「それは違います」


「ん? 違う? どれが?」


 カナタは混乱してきた。


「船は今、ロマモートの上空にいます」


「え? なんで? 帰還命令は?」


「この船は、先ほどの嵐で受けた致命的な損傷によって飛行不能になってしまったので、残りの船だけを帰還させました」


「飛行不能って……飛んでるみたいだが……」


「そうですね」


「致命的な損傷を受けて……って、これも嘘?」


 ゴトはニコリと笑った。


「嘘というのは心外ですね。言うなれば……私の判断ミスでしょうか。どこも壊れていなかったなんて、思いもよりませんでした」


 カナタはようやく状況を理解した。ゴトは彼なりの方法で一芝居打ったのだ。


「お、お前ってやつは……俺をからかったのか?」


「いいえ? ただ試しただけです。あなたがもし私の言うことに従って王都に戻ろうとするなら、船から蹴り落としてやろうと思っていましたから」


 そう言って微笑むゴトに、カナタは苦笑を浮かべるしかなかった。


「リ、リシテアも知ってたのか?」


 話をふられて、リシテアは慌てた様子で首を大きくふった。


「全然! そんなことになってることも知らなかったわ!」


「彼女の名誉のために言うと、彼女はあなたを心底心配して昼夜問わずずっと付き添っていたので、なにも知りませんよ」


 リシテアは弁解してくれたゴトにそうそうと言って勝ち誇ったような顔をしたが、すぐに余計なことを言われたことに気がつき、顔を赤くして小さくなった。


「では、話がまとまったところで、カナタさん、あなたに頼みたいことがあります」


「……お、おう」


「これよりロマモートに突入し、塔を再起動してください」

「……」


 カナタは喉を鳴らした。


「ロマモートの戦況は、有り体に言って不利です。動力が消失したことで、対魔物用の機械がほぼすべて動かなくなっています。それを動かすことができれば、反撃の余地はまだあります。かなりお疲れのところ申し訳ありませんが、あなたにしか頼めない」


「……わかった」


 カナタは痛みをこらえながら立ち上がった。痛みも痛み続けると徐々に鈍化してくるものらしい。痛いという感覚は痛烈に痛覚を刺激していたが、その感覚は一枚板を通したかのように遠いものと感じられるようになってきていた。


「……だ、大丈夫なの?」


 リシテアは不安そうだった。カナタは脂汗を浮かべながら口の端を上げた。


「お前の助けがいる。一緒に来てくれるか?」


「そんなかっこつけたって、私がいないとどうしようもないくせに」


 むしろ重要なのはリシテアのほうだった。塔の文字を読めるのは彼女しかいない——。


「準備はいいですか?」


 ゴトが遮るように言った。


「時間がないので、急いでもらいますよ」

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おっさん魔法使い、美少女奴隷を弟子にし世界を救うため奔走す 九重遼影 @kokonoe8057

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