嵐の中で4

 喉の奥から血があふれ出して、カナタはゴポゴポと音を立てた。


「カナタ!」


「く……るな」


 カナタは必死に言ったつもりだったが、届いているかは疑問だった。リシテアはカナタの言葉を振りはらうようにしてカナタにしがみついた。


「もうやめて!」


(なにを……言ってるんだ)


 カナタはリシテアの言っている意味を理解できるだけの思考力を失っていた。それより、敵の攻撃を防がなければならない。


「にげ……ろ」


 カナタはリシテアを押し返そうとしたが、手足がまったく動かない。視界がどんどん狭窄しはじめ、自分がどこを見ているのかもわからなくなってきていた。


 カナタは最期の一握りとなった自分の根源を握りつぶした。


 視界は閉じ、音もなにも聞こえなくなった。それでも、繭から放たれようとする膨大な魔力は、暗闇の中でもよく見えた。

 そして温かさ――リシテアの温かさを感じることができた。そのぬくもりはカナタの全身を包むようだった。カナタの手のひらと思われるところに光りが灯った。それは急速に広がり、白い光にカナタは目がくらんで目を閉じた。

 そして開くと、リシテアがいた。彼女はカナタに口づけをしていた。


 瞬く間に五感が戻ってくる。


 視界が戻り、嵐の暴風の音が戻り、稲妻が大気をひき裂く悲鳴のような爆音が聞こえた。


 ――魔力が……。

 カナタは気がついた。


 生命力が戻ってきた。いや、むしろ、カナタの持っていたものの数倍もの力が、カナタに満ちあふれてきた。


 大気が一斉に震え、轟き、艦隊よりも巨大な光の柱が繭からほど走った。カナタはあふれ出た力を注ぎ込み、巨大なシールドを形成した。魔法陣の形が視認できるほどの盾に、光の柱が直撃する。光が接触した瞬間、光がはじけ、四散した。それは無数の光の筋となって、慣性に従って放射線を描いた。接触面に展開している魔方陣は目を開けていられないほどまぶしく発光し、未だかつて耳にしたことがないような激しくスパークする破裂音が、雷の起こす爆裂音よりも大きく響き渡る。


 極大魔法のぶつかりあいは周囲を一変させるのに十分な威力を持っていた。はじかれた光は周囲に広がっていた漆黒の暴風を焼き切った。大気に穴がうがたれ、光が爆発するほど嵐を削り取っていく。


 蒸気空船の船団は、嵐に空いた穴へ突進していった。光の柱は消え去り、その消失とともに魔方陣も消え去った。気がつくとなにごともなかったかのように嵐もなくなっており、眼下に見えるようになった大地に無残なまでに刻み込まれたクレーター状の痕が、唯一ここでなにが起こったのかを物語っていた。


 艦隊は嘘のような晴れ間の下を飛行していた。


 カナタはうっすらと目を開けた。意識が飛んでいたのか、途中から記憶がないような、あるような曖昧な感じだった。まるで海の中に溶けこみ、たゆたっていたような感覚。すべては一瞬のうちに終わったようでもあり、長い時間がかかったような気もする。吐き気は収まっていたものの、頭が割れるような痛みはめまいを感じるほどだった。とにかく一刻も早く休みたかった。


 身体を固定するワイヤーを外そうと前かがみになりかけて、足元にリシテアが倒れていることに気がついた。血だまりの中、ピクリとも動かない。


「おい……おい!」


 カナタはうろたえた。慌てて装甲服の上半分を脱いで放り出すと、脱皮するように下半身からも抜け出して、リシテアを抱き起こす。顔面は死んだように白かったが、見たところ外傷はなさそうだった。つまり、別の誰かの血と言うことになる。


(俺のか?)


 自覚したとたん、目の前の視界がグラグラと揺れだした。カナタは構わずリシテアの口元に手をかざした。息吹を感じられない。耳を近づけてみてもなにも聞こえない。首筋に指をあててみても、鼓動がない。


「おいおいおい」


 カナタは朦朧としながら、少ない脳内リソースがパニックを起こしはじめたのを把握した。彼の魔法使いとしての素質が、混乱した脳内の区画を分離して、冷静な診断を下す。


 ――死んだ。


 いや、とカナタは考えた。冒険者たるもの、基本的な処置や蘇生法は一通りマスターしている。時間がまだそれほどでなければ、助けられる可能性はまだ残っている。

 カナタはリシテアを仰向けにすると、心肺蘇生をはじめた。リシテアのみぞおちあたりを強く押しこみ、定期的に人工呼吸を行う。それを数回繰り返すと、唐突にリシテアは自ら息を大きく吸いこみ、次いで激しく咳きこんだ。はじかれるようにカナタは倒れこみ、もう動けなくなってしまった。


「おい」


 カナタはなんとか頭だけ動かして、リシテアに顔を向けると、まだ咳を続けている彼女の苦しそうな背中に声をかけた。リシテアはそれからしばらく咳をしつづけ、落ち着いたあとはゼーゼーと息をしていた。それからややあって、ようやくカナタのほうをむいた。


「……え?」


「大丈夫か?」


 リシテアは苦しそうにしながらも何度もうなずいた。青かった顔が今は赤みが差しており、カナタは内心ホッとした。


「怪我は……ないか?」


「大丈夫みたい。カナタは……ひどそうね」


 カナタは面白くもなかったが、自然と笑いがこみあげてきた。


「死ぬ一歩手前……って感じだな」


 実際、最期の力を使ったはずだった。


「なんで俺……生きてるんだ」


 力を使ったあとは記憶があやふやで、なにがどうなったのかまるで覚えていなかった。今も気を抜くとあっという間に意識を記憶ごと失いそうだった。


「……覚えてないの?」


 リシテアの言葉にカナタはうなずいた。


「記憶がすっかりない」


「ほんとに? 全部? なにもかも?」


 リシテアはしつこく聞いてきたが、うなってみたところでなにも蘇るものはなかった。


「なにも思い出せん」


 リシテアはなにか思案している様子だったが、一人納得したような顔をすると、そんなことよりと言ってカナタの容態を調べはじめた。


「うわ……」


 カナタの容態を見たリシテアの第一声はこれだった。


「ほんとに大丈夫なの?」


 カナタは不安になってきた。


「どんな感じなんだ?」


「なんていうか、ほんと死ぬ寸前というか……」


「……そんなひどいのか」


「見たままを言うと……全身の毛穴から血が噴き出したって感じ」


「えぇ……」


 自分のことながら、カナタはその言葉に引いた。見えなくてかえってよかった、とすら思った。


 リシテアの背後で蒸気空船のドアが開き、兵士たちが数名飛びだしてきた。兵士たちは二人を取り囲むと、手持ちの救急箱を開けてあれこれと処置をはじめた。リシテアは軽症と診断され、早々に兵士たちは彼女を解放したが、カナタはそうもいかなかった。

 彼はタンカーに載せられると大急ぎで医務室に運ばれ、「とにかく血が足りない」ということになり、即座に輸血が行われた。在庫の輸血パックを使い果たすと、ゴトの呼びかけで採血希望者が募集され、血液型の一致する船員全員が志願した。その結果、なんとか一命をとりとめることができたのだった。

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