嵐の中で2

「あなたのためではありませんよ。実に打算的な話です」


 そういうと、ゴトは自分のこめかみあたりを指で小突いた。


「もし散開したまま上手くことが進んで、我が艦だけ生き残ったとしても、艦隊を全滅させた責任は免れません。しかし、密集させたとすれば、生きるか死ぬかは一蓮托生。最悪私も含めて全滅すれば、晴れて私は二階級特進できるというわけです。それに……」


 と言いかけて、ゴトは口をつぐんだ。


「いや、やめておきましょう。それより今は時間がない。カナタさんは、いつでもできるよう準備を整えて待機してください。タイミングはこちらから指示します」


 ゴトがなにを言いかけたのかは気になったものの、時間がないのも事実だった。嵐の中で輝く裂け目は、もはや艦橋の目の前に広がっていた。

 その裂け目は雷撃が何条もの太い糸のようにからまりあって、ひとつの繭のような空間になっていた。まるで生き物のように繭は蠢き、その表面からほど走る雷のひとつだけでも、直撃すれば船は粉々になってしまいそうだった。


 艦橋ではひっきりなしに通信が行われ、暗闇の中から続々と蒸気空船が集結しつつあった。そうなるともはや単艦での柔軟な操艦は不可能となり、黄金色に輝く繭にむかって、一直線に突進するほかなかった。


「リシテアはここにいろ」


 兵士たちがカナタを連れて行こうと集まってきたため、彼は不安そうに、祈るように両手を組んで立ちつくしている彼女に声をかけた。


「やだ」


 リシテアはしかし、はっきりと力強く否定した。


「勘弁してくれ……」


 ため息をつくカナタのところへきたリシテアは、大仰な軍用装甲服にしがみつくように抱きついた。


「……あなたが私を解放したんだから、最後まで責任持ちなさいよ」


「そんなこと言ってる場合か。あぶねぇから安全なところにいろって言ってんだ」


「そんなの知るか。馬鹿」


 カナタは再びため息をついた。リシテアの頭をなでてやる。


「じゃあ……来い。どうなっても知らねぇからな」


「うん」


 カナタは着ぶくれした身体で苦労しながら廊下を歩き、階段を上って、甲板に出るドアの前まで来た。手伝っていた兵士たちはさっさと引きあげてしまい、残されたのはカナタとリシテアの二人だけになった。


「怖くなったらすぐに戻れよ。いいな」


「うん」


 カナタは大きなため息をついた。

 そして息を吐き出した勢いで言った。


「……これから使う魔法は、お前にとっては嫌なことを思い出させるかもしれない」


「……え?」


「五十年間使われなかった禁呪だ。お前の里を滅ぼした魔法だよ」


 リシテアは目を見開いて、カナタのバイザー越しに見える目を見つめた。


「この規模に対抗できる魔法を、これ以外に俺は知らない。俺の知る限り最大最強魔法だ」


 リシテアの脳裏に、五十年前の光景が鮮明に蘇った。忘れたくとも忘れられない記憶。あらゆるものが燃え、崩壊していった。誰かに手を引かれて逃げまどった。景色が目まぐるしく変わり、どこもかしこも燃えていた。炎のサークルの中でクルクルと回っている錯覚すら覚えた。いつの間にか手を引いていた人がいなくなっていて、それでも一人で逃げ続けた。リシテアが生まれてからわずか五年後の体験だ。そのあとの五十年間、ずっと見て見ぬ振りを決めこんでいたが、その鮮明さはまったくなにも色あせてはいなかった。


「いいな。つらかったら艦橋に戻れ」


 カナタの言葉でリシテアははっとした。


「……大丈夫」


 リシテアはカナタをギュッと抱きしめた。


「大丈夫……だよね?」


 カナタはリシテアの両肩に手を置くと、リシテアは大きな瞳で彼を見上げた。


「お前の師匠を信じろ」


 にやりと笑うと、リシテアは大きくうなずいた。

 そのとき、ひときわ大きな音量で艦内に声が響いた。


「総員に告げる。これより作戦行動に移る。衝撃に備えよ。カナタさん、開始してください」


 リシテアはカナタから身を離すと、その腹を軽くこぶしで叩いた。


「ダメだったら承知しないからね」


「おう」


 カナタはリシテアを十分安全なところまで下がらせると、ドアを開けた。とたんに暴風が踊り場に殴りこんでくる。カナタは素早く外にでると、風に負けないよう全力でドアを閉めた。

 そのドアの丸窓から、リシテアが覗いてくるのが見えた。


 カナタは彼女にむかって一度手をふると、腰にあるフックを数本引き出して、周辺に手当たり次第つなげて身体を固定する。


(俺に……使えるのだろうか)


 強力な魔法は、かなりの集中力と、なにより膨大な生命力を必要とする。


 極論、呪文さえ間違わなければ誰でも魔法は使うことができる。ただ、どれだけ力を注げばバランスを取れるのかを調整するには、熟練の技を必要とする。単純な火を出す魔法だったとしても、全生命力を糧にすれば、灼熱の極大魔法にすることもできる。その調整はひどく神経をすり減らす。数ミリ動かしただけで出力が大きく変わる機械を操作しているような感覚だ。しかもその動力源は自分の命なのだ。


 魔法使いは、戦闘などにおける極限の緊張感の中でも適切に自分の命を切り取ることができなければならない。それができてようやく一人前なのだ。

 だから魔法使いは、ある種の冷徹な感情が心の奥底に根を張ることとなる。すなわち、命を使い切るまで、あと何回魔法が使えるのか、という現実的な視点だ。常にそれを計算しながら魔法を使わなければ、気がついたときには生命力を使い果たして死んでしまう。


 今、カナタは自分の命を使うことで、どこまで魔法を強化できるのかを冷徹に考えていた。


 極大魔法とは、ほかの通常魔法とは異なり、生命力を効率的に用いることで、少ない生命力でも数倍の威力を発揮できる魔法のことを指す。その代償として、使用を細かく規定しなければならないため、呪文は長大となる。詠唱の言葉は、歴代の魔法使いたちが長い時間をかけて研究した積み重ねによって、言い回し、順番などが決まっている。それに従うことによって最大限に力を引き出すことができる。

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