嵐の中で1

「大変!」


 リシテアが慎重にベットから降りながら言った。


「甲板に出よう」


 カナタがドアにむかおうとしたとき、床に散らばっている紙資料を踏んで、盛大にずっこけた。


「ほらあ!」


 リシテアはほら見たことかという顔をしていた。カナタはしこたまぶつけた頭をさすりながら、目からにじみでた涙を振りはらった。


「そんなこと言ってる場合か! 行くぞ!」


 部屋から出ると、兵士たちがあちこちで叫びながら、慌ただしく動き回る気配があった。二人は手すりにすがりつくようにしながら階段を昇っていった。

 船は左右に大きく揺すぶられながら、時折激しい衝撃と爆音が鳴り響く中で、必死にコントロールしようとあがいていた。機関部がかつてないほど激しく音を立てて稼働し、兵士たちは通りすぎるカナタたちに目をくれる余裕もなかった。


 甲板への分厚いドアにたどりついたカナタが、把手に手をかけたとき、かつてないほどの爆発音とともに、ドアにある丸窓から閃光が室内を真っ白に染めあげた。カナタは目の前が白一色になり、目をつむっているのか開いているのかもわからなくなった。爆発のため耳鳴りがして、自分がわめいている声すらも聞こえない。


「大丈夫か!?」


 カナタはようやく自分が言っている言葉を聞くことができた。視界もぼやけた輪郭がわかりはじめてくる。


「カナタ!?」


 その間も船は四方八方に揺れ動き、身体の小さなリシテアは転がるボールのように翻弄されていた。カナタはリシテアを捕まえると、はっきりしてきた目で窓の外を見た。


 それはカナタが今まで経験したこともないような激しい嵐だった。


 墨を溶かしたような霧の中で、黒い雨がとぐろを巻くような水の渦を作っていた。その間を縫うようにはしる稲妻が、あるいは水の濁流と合わさって蒸気空船に何度もぶつかってくる。


「おい! 出たら死ぬぞ!」


 階段の下から兵士の一人が叫んだ。カナタたちが振り返ると、兵士は大きな身振りで手招きした。


「魔法使い! 艦橋に来い! 艦長がお呼びだ!」


 二人はよろめきながら来た道を引き返し、何度も壁に身体をぶつけながら艦橋にまでやってきた。


 艦橋は艦橋で、混乱のただ中にあった。

 皆座席から振り落とされないようなにかに捕まりながら、艦を立て直そうとやっきになっていた。


「なにがあった!?」


 カナタの声で振り返ったゴトの表情は憔悴していた。


「嵐に巻きこまれました。原因は不明です」


 ゴトは端的に言った。


「原因……不明? どういうことだ?」


「突然、降って湧いたように嵐が出現したのです。気がついたときには、もう嵐の中でした」


「なんだって……?」


 ありえない、とカナタは言いかけて、考えを切り替えた。


 ――いや、あり得る。


「魔法か」


「……おそらく。……あなたの呼び出した嵐なのであれば、すぐに打ち消して欲しいですね」


 ゴトはそう言うとかすかに微笑んだ。


「俺が使ったなら、ぜひそうさせてもらう」


 艦橋から見える外の景色は地獄のようだった。濃淡のある真っ暗な空間のところどころが白く裂けて見えたが、あれらはすべて雷が縦横に飛び回っている場所だとわかり、ゾッとした。

 蒸気空船はなんとかそこを避けようと旋回しようとしているところだった。しかし光りの裂け目は瞬時に場所を移動し、蒸気空船の進むところへと先回りしてくるようだった。


「消せますか?」


 ゴトは目の前に迫りつつある光りの裂け目をにらみつけながらカナタに言った。


「俺が? どんな極大魔法でもこんな規模は見たことがない」


「でも……やってもらわなければなりません。でなければ我々は全員死にます」


(だろうな)


 カナタはうんざりしながら思った。


「やるしかない……か」


「大丈夫なの? カナタ」


 リシテアがすがりつくようにして言った。カナタはリシテアの頭をなでたあと、ゴトに向きなおった。


「消すのは無理だ。規模が違いすぎる。ただ、守るだけなら……なんとかなるかもしれない」


 ゴトはうなずいた。


「それでも十分です」


 ゴトが手で促すと、兵士たちが外にでるための装備を手早く準備しはじめた。軍用の重装甲服だった。全身をすっぽりと覆う装甲服に加えて、頭にはフルフェイスのヘルメットだった。

 うながされるまま、分割された脚部の装甲服に足を突っこみ、兵士たちが慎重に下ろす胴部に腕を通す。


「これから船は降下します。地面スレスレまで下がれば、直撃はさけられるかもしれません」


(墜落するとなったときも衝撃を減らせる、か)


 言外の意味を察して、カナタはことの重大性を改めて感じた。


「ゴト、頼みがある」


 装甲付の宇宙服のようなものに身を包んだカナタは神妙な顔で言った。


「艦隊をできるだけ集合させてくれ」


「ふむ……? なぜです?」


「船同士が離れていると、魔法の範囲外になっちまう。できるだけ……できることならぶつかる直前くらいまでお互いに近づいてくれるとありがたい」


「馬鹿な!」

 と声を荒げたのは、それを聞いていた、ゴトの横にいた兵士だった。


「この暴風雨の中でこれ以上接近するだけでも危険なのに、そんなに接近したら、一つ接触しただけで艦隊は全滅してしまう!」

 それに、と兵士はカナタをにらみつけた。


「艦長、これはきっと罠です。この魔法使いが全て仕組んだことに違いありませんよ!」


(おいおい……)


 カナタはうんざりしたが、言葉にはしなかった。


「俺の魔法の範囲はそれほど広くできない。今のままなら、ほかの艦を見捨てることになるぞ」


 ゴトは兵士を見て、次にカナタに視線を移してから、


「なるほど」

 とだけつぶやいた。腕を組み、数秒間目をつむって考えこむ風だったあと、目を開いた。


「艦隊を密集隊形にせよ」


「艦長!」


 兵士が声をあげるのを、ゴトは視線で威圧して黙らせた。


「聞こえなかったのか? 時間がない。急げ」


「は……はっ」


 兵士は尻を叩かれたように、ほかの兵士たちに命令を飛ばしはじめた。


「ありがとう」


 カナタはゴトに礼を言った。

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