蒸気空船1

 カナタが気がつくと、激しい吐き気に襲われた。

 手近に桶があったので急いでたぐり寄せると、その中に盛大に吐瀉した。何時間も頭を揺すられ続けたようなめまいと頭痛。平衡感覚が安定せず、へたりこんだまま立ち上がれなかった。


(リシテア……?)


 カナタはハッとした。リシテアの姿がない。ばかりか、ここは塔の中ですらない。部屋の中だった。猫の額ほどもない面積の室内に、壁に折りたためる形式の簡易ベッドに、同じく折りたたみ式の机があった。ベッドを展開するとほとんど足の踏み場もないくらいの間取りであった。


 頭痛が治まってくると、周囲の音が戻ってきた。断続的に鳴り響く振動音、床についた手から振動も伝わってくる。


(……蒸気空船に拾われたのか……)


 そう考えるのが最も妥当だった。塔の崩壊後、破壊した当事者である蒸気空船がカナタたちを見つけたに違いなかった。

 カナタはがなんとか立ちあがろうとうめいていると、ドアがかすかにあいた。その隙間から、兵士と思われる若い男が顔をのぞかせた。


「気がついたか」


 その兵士は、カナタの状態など関係ないといった素振りで言った。兵士が二名断りもなく踏みこんでくると、混乱から覚めきれていないカナタを両脇から抱えるように立ち上がらせ、部屋から引きずり出された。


 カナタは自分の足で歩くこともままならずに引きずり回され、気がつけば艦橋まで連れられてきていた。もう一吐きしたいくらいのむかつき具合を抱えてはいたが、それを恥ずかしいと思う程度には混乱も収まってきていたため、彼は生唾を飲みこんで耐えていた。


 蒸気空船の艦橋は、丸いガラス窓が網の目のようにびっしりと設けられた天蓋に覆われていた。そのおかげで驚くほど広い視界を見わたすことができた。

 艦橋内はありとあらゆるコンソールで埋めつくされており、何人もの兵士姿の人たちが世話しなく各所と連絡を取っていた。


 艦橋に連れてこられたカナタは、艦長席の隣に臨時で設けられた小さなイスに、リシテアがちょこんと座っている姿を認めた。

 カナタが入ってくるのを見つけたリシテアは反射的に立ちあがりかけたが、艦長席から睨まれていることを思い出し、身をこわばらせた。


「無事だったようですね」


 艦長席から立ちあがり、こちらを振り返ったのは、まだ若い男であった。目元が、寝ているのではないかと思われるほどに細い。一瞬笑っているようにも見えたが、隙間からのぞく彼の瞳は真剣だった。


「本来なら倉庫にでも閉じこめておくべきでしょうが、見たところあなたは魔法使いギルドの一員のようだ。となれば我らが王国民と一人ということになる。王国民を護るのは我らの責務です。ただ、王国民であるなら、あなたもまたその責務を果たしてもらわなければならない」


 カナタはため息をついた。


「それは脅しかなんかのつもりか? まどろっこしい言い方はよせ。言いたいことがあるならはっきりわかりやすく言え」


 カナタが青白い顔で言うと、艦長は顔を崩して微笑んだ。


「失礼しました。私はゴト。この艦隊を率いている者です。あなたは?」


「俺はカナタ」


「よろしく、カナタさん。あなたが寝ている間、彼女からいろいろ話は聞かせてもらいました」


 ゴトはおとなしく座っているリシテアを一瞥した。


「……俺はどのくらい意識を失っていたんだ?」


「五日くらいでしょうか。外傷はなかったので、魔法の使いすぎだと思います」


(……そんなにか)


 魔法の制御にはかなり繊細な意識の調整が必要となる。冷静さを欠いた状態で魔法を使うと、想定より魔力を注ぎこみすぎてしまったり、逆に足りなすぎてしまうことがよく起こる。コップのフチまで水をピッタリ入れようとしていると考えるとわかりやすい。焦って一気に入れすぎてしまうと溢れてこぼれ出すし、かといって慎重に入れすぎると時間がかかりすぎてしまう。魔法の使いかたには人それぞれ独自のクセがある。一般的には、最初大きめに注ぎこんで八分目くらいまでしたあと、段々絞ってピッタリにするやり方が常道とされている。


 今回は、落下してくる物がどれだけ強度があるのか推し量る余裕がなかったこともあり、全力で魔法を使ってしまっていた。そうすると、身体が堪えきれずにこうなってしまう。


「さて」


 ゴトは落ち着きはらった声色で言った。


「いろいろと教えてください。返答によっては、あなたがた二人を処罰しなければなりません」


「処罰……ね」


 カナタが皮肉をこめて言うと、ゴトは微笑んだ。


「心配する必要はありません。なにも問題なければ処罰されることはありません。当たり前ですが」


 カナタには大きく二つの選択肢があった。正直に話すか、それとも嘘をつくか。目の前にいるこの青年が、なにを目的として、なにが逆鱗に触れるのか、よくよく観察しなければならない。なぜなら彼がカナタとリシテアの命運をまさに握っている当人であり、彼の指示一つで、二つの命は簡単に消え去ってしまうからである。


「いいぜ。なにを知りたい?」


 カナタは単調直入に切り出した。相手の出方がわからない以上、守りをかためても益はないと考えたのだった。ゴトはこちらの意図を知ってか知らずか、微笑みを浮かべたまま表情を変えていない。


「まず、なにをしていたのかを教えてください」


 ――なるほど。


 どうやらゴトたちはカナタを追ってきたわけではないらしい。そしてあそこに塔があったのも、想定していなかったということだ。だからあれがなにをするものなのかを知りたいというわけだ。


「俺は先代から、塔の管理を任されていた。魔法使いの引き継ぎでね。封印されているかを確認するため、定期的に来ることにしていたのさ」


「封印……ですか?」


「そう」


 カナタはうなずいてみせた。


「それは、どのようなものを封印していたのですか?」


「わからない」


 カナタの言葉に、ゴトの表情がはじめてわずかに動いた。


「わからない? わからないのに封印し続けていたのですか?」


「そう。あの塔は何百年も前に建てられたもので、なんのために作られたのかは不明だった。ただ、建築当時から、あれは封印し続けなければならないということで、それだけは継承されていて、魔法使いが引き継ぎ引き継ぎ封印を守り続けていたんだ」


「では、あの塔の役目がなんだったのかは知らない、ということですか」


「だから、そう言ってるだろ」


 ただ、とカナタは言葉を継いだ。


「ダークエルフが塔を起動させていた」


 そのとき、ゴトがことさら表情を変えず、平静さを装っていたことをカナタは見逃さなかった。


「……ダークエルフ……ですか?」


 ゴトはわずかに身じろぎしながら言った。


「あんたらが追跡していたやつだ」


 カナタの言葉に、ゴトは押し黙った。ゴトの核心に触れた感覚があった。カナタは両手をひろげてみせた。


「お互い、化かし合いはやめようや。そんなことをしても、お互い損をするだけだ。同じ王国民同士、腹の探り合いはやめて、手を取り合おうじゃないか」


「……それをしたとして、こちらのメリットは?」


「ないと思うなら、好きにすればいい。だが、あんたはきっと後悔することになるぜ?」


「この状況で、対等になれるとでも思っているのですか? この子がどうなってもいいと?」


 ゴトは拳銃を取り出すと、リシテアの頭に銃口を向けた。


「……やってみればいい」


 カナタはゴトをにらみつけた。


「その結果どうなるかは、あんたが決めることだ」


 ゴトはカナタの視線を受け止めたまま、しばらく沈黙した。ややあって、彼は銃をしまった。


「わかりました。ここで人間同士が争っても仕方がない。カナタさん、あなたの提案を受け入れましょう」


 彼は後ろに控えていた兵士たちに合図をして下がらせた。


「あなたの推察通り、我々は魔族を追っていました。最近、魔物たちの動きが活発化していることは知ってますね?」


 カナタはうなずいた。


「すでに王国外縁部の町のいくつかは魔物に襲撃され、滅びたところもあります。むろん、護衛として冒険者を常駐させているところがほとんどですが、町周辺に本来はいないような凶悪な魔物が見られるようになり、臨時雇用の冒険者では対処しきれなくなってきています」


「それで王国軍が動いているのか?」


 ゴトは肩をすくめた。


「我々の装備は冒険者より充実していますが、全土を守り切れるほどの数はいません。だから我々の目的は町々を守ることではありません。今回の首謀者を直接叩くことにしたのです」


「それが、あのダークエルフだと?」


「……確証はありません。が、本来単体で活動することが多い魔物たちが組織的に町を襲う裏には、必ず魔物を操る存在がいるはずなのです。そして、大規模な襲撃の場には、必ずと言っていいほどダークエルフの存在がいることがわかったのです」


「なるほど……」


 カナタはあのダークエルフが数匹のフェンリルを使役していたことを思い出してゾッとした。村程度の規模であれば、あの手勢だけでも易々と壊滅させることができてしまうだろう。


「首謀者ではないかもしれません……が、大規模な部隊を操るだけの地位につく存在……我々で言う将軍のような立場にいることは間違いないでしょう。ダークエルフを討ち取ることができれば、少なからず時間を稼ぐことができるはずです」


「やはりあれは、ダークエルフを追っていたのか」


「では次はそちらの番ですよ。知っていることを全文話してくれますよね?」


「ああ……」


 カナタは一呼吸置いてから話しはじめた。


「といっても、塔についてはさっき話したとおり、なにを目的としてしているのか本当にしらない。ただ、俺たちがたどりついたとき、ダークエルフは塔を起動させていた。あれはエルフが作った塔だったんだ」


 ゴトはカナタの言葉をほとんど信じていない様子だった。


「ダークエルフとなにか話しましたか?」


「やつはエルフ語でなにか話していたが、あいにくエルフ語はわからなかった」


 カナタは表情ひとつ変えずに言った。うそはついていない。リシテアがよからぬ反応をしないかだけが気がかりだったが、彼女はそのあたりを心得ているのか、同意するようにうなずいた。


「そのあとは?」


「塔を止めようと内部に入ったが、あんたらが塔ごと破壊しちまったからな。かえって自分たちの身を守るので精一杯……それでこのざまだ。だが、入ったところで止め方も知らなかったからな。破壊されてよかったのかもしれん」


「ふむ……」


 ゴトは今の話を吟味するように腕を組んで考えている様子だった。


「カナタさん、あなたは、他に似た塔があることはご存じですか?」


「話は聞いたことがある。ただあるというだけで、それぞれの塔は別の魔法使いが管理することになってたから、場所まではわからんよ」


「場所は我々が知っています」


「へえ」


 カナタは素直に驚いた。塔の場所は魔法使い同士でさえ絶対秘密だったはずなのだが。ゴトはカナタの様子を見て、はじめて青年らしくクスクスと笑った。


「魔法使いの知識がだいぶ昔で止まっている、という話は本当だったようですね」

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