魔法を使う者2

 食事を終える頃には、雨は勢いをさらに増し、先ほどまで空が見えていた窓から見える外は、すっかり黒雲に覆われ、滝のように降る黒い雨によって、一寸先も見渡せないほどになっていた。


「すごい雨……」


 リシテアはわずかにおびえた声で言った。その声は雨音によって、かろうじて聞こえるくらいであった。


「年々ひどくなっていくな」


「このままだと、どうなってしまうの?」


「俺に聞くなよ」


 カナタは肩をすくめてみせた。


「まあ、これのせいで滅びた村も見てきたし、そのうち人が住める場所は王都みたいな巨大都市に限られるようになっていくんじゃないか」


「でも、そういう都市ほど雨はひどいじゃない」


「そうらしいな……」


 地方の村でさえこの大雨なのだったら、よりひどい王都はどれほどのものなのだろう、と不安になる。


 カナタは人の多い都市に近づくことは滅多にない。

 魔法使いがどういう扱いをされているか、痛いほど知っているからだ。

 機械化が進んでいる都市ほど、魔法が入りこむ余地はなく、排泄気質は上昇していく。機械を作るためには大量の人員と施設が必要となることから、大きな都市から遠い村ほど、機械化の波は遠ざかっていくこととなる。そのためまだ魔法が介在できるのだ。


 カナタは立ち上がると、そそくさと準備をはじめた。これほどのひどさだと、村からすれば文字通り死活問題だ。

 カナタは厳重に服を重ね着して、最後に上から耐水性のローブを羽織ると、その重さにふうふう言いながら玄関に立った。リシテアはそれを助けるわけでもなく、食器を洗う傍ら、横目で見ている。


「よく見てろよ」


 カナタが念のためいうと、リシテアはあいまいにうなずいた。


「はいはい」


 カナタは玄関から出ると、雨の中に立った。


 どしゃぶりの雨は瞬く間にカナタの全身をずぶ濡れにしていく。手を胸元まであげてみると、開いた手のひらにすぐ黒い水たまりができた。それをしばらく手のひらの上でころがしてみてから、ささやくように呪文を唱え始めた。


「水よ。我が命じる。汝、遮るものなり。汝、村を守る盾なり。水よ。我が命じる。今こそその力を示せ!」


 手のひらの水が震えたかと思うと、泡が広がるように薄い膜が形成される。それは瞬時に広がり、大量の雨粒を押し出して、衝撃が通りすぎるような、遠雷のようなこだまを響かせた。その音が消え去る頃には、すっかり雨はあがっていた。


「じゃあ次はお前の番だ」


 リシテアがやってきて、玄関先に立つカナタのふくらはぎを蹴飛ばした。


「いっ……!」


 カナタが痛みで飛びあがる。


「お前はやめてって、何度言えばわかるの?」


 カナタは苦笑いをした。


「手袋を忘れるなよ」


「わかってる」


「はじけたときのために、念のためちゃんと全身着たほうが……」


「あのねえ! もう何回もちゃんとできてるでしょ? この程度の魔法なんて、もう失敗なんてしないって!」


「馬鹿野郎!」


 カナタが突然大声をあげて、リシテアは全身を硬直させた。


「慢心してるときが一番危険なんだ! いいからさっさと着てこい!」


 リシテアは顔を真っ赤にして頬を膨らませると、なにも言わずに室内に引き返し、ゴソゴソしはじめた。それを背後に聞きながら、カナタはため息をついて空を見上げた。

 雨は止んだわけではない。ドーム状に広がった黒い水のカーテンで遮っているにすぎない。


 ――どう教えればいいんですかね、師匠……。


 カナタは再度ため息をついていると、リシテアが戻ってきた。


「これでいいでしょ」


 振り返ると、着ぶくれして雪だるまのようになったリシテアが、お披露目するように両手を拡げたまま立っていた。実際のところ、彼女はお披露目したくて両手を上げているわけではなく、重ね着しすぎて腕をおろすことができないのであった。


 カナタは懸命に笑いを押し殺しながら、リシテアが魔法を使う様子を注意深く見守った。

 それからしばらく経ち、彼女が五回目となる呪文でようやく家全体を包めるほどまで大きくできるようになったとき、小道の先から人影が急ぎ足でむかって来るのが見えた。掲げたランタンであろう光が、ゆらゆら揺れている。


「カナタ、誰か来た」


「ああ」


 相手はまだだいぶ距離があるというのに、叫ぶような大声を出した。


「魔法使い!」


 地響きを立てそうな勢いで、こちらに向かってくる。


「すごく怒ってるみたい」


「……そうだな」


 相手の男は、地面を踏みならすようにやってくる。段々その顔がはっきりわかるまでに近づいてきた。


「……村長の息子か」


 カナタは諦めたように息をついた。


「リシテア、修行は終わりだ」


「どうするの?」


「どうもしない。ただ……もうここにはいられないかもな。丁度いい頃合いだ。出発の準備をしてくれ」


「わかった」

 リシテアが引っこみ、カナタは玄関先で村長の息子を出迎えた。

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