魔法を使う者1
雨が降っていた。
リシテアは窓をあけて、そこからのぞきこむようにしばらく外を眺めた。それから室内のほうを見回し、ベッドから片足を出して寝ているカナタの姿を見てため息をついた。
ベッドのまわりは、どこをどうやったらここまでできるのかと思えるほど、物が雑多に散らかっていた。彼女はその中から、一番堅そうな、手のひらに収まるほどの小さな鉄製の球を手に取ると、狙いをすましてカタナに放り投げた。
鉄球は綺麗な放射線を描いて、シーツにくるまれたカタナの腹部に真上から直撃する。
そのときあげたカナタの悲鳴は、まさに母親と生き別れとなった幼い動物のあげるものに近かった。
たっぷり数分腹を抱えて苦しみ続けたカナタが、その投げつけた当人が腕を組んで仁王立ちしているのに気がついたとき、さらに地面には鞄から出したものたちが居心地悪そうに散乱しているのを見て、怒りよりもまず恐怖が去来した。
「カナタさん?」
リシテアはやけに優しそうな声色でいった。
「お、おはようございます……」
カナタは不穏な気配を察して、ベッドの上に座り直した。
「これには訳が……」
「カナタさん?」
「面目申し訳ない! こ、この通りだ!」
カナタは年甲斐もなくベッドの上で土下座した。
その頭上に向かって、少女の冷たい声が突き刺さる。
「昨日、物を広げたら片付けようねって、言ったよね? はい、わかりましたって、あなた、言ったよね? 子供でも理解できるようなことを守れない大人って、価値ないよね。無価値だよね。いや、むしろデメリットしかないよね」
ベッドに押し当てた額から滝のように吹き出た汗が、シーツにシミを作っていく。
「ち、違うんですよ、あのですね……」
カナタが弁明しようと顔をあげると、
「言い訳無用!」
リシテアはぴしゃりと言った。
「まずは手を動かす! 片付け!」
カナタは「はい!」と叫んでベッドから転げ落ちると、地面のものを大急ぎで鞄につめこみはじめた。
ある程度時間が経ち、やっと人並みに片づいた頃になって、窓の外の雨音にカナタはようやく気がついた。
「雨か……」
かがんだカナタが窓の外を見上げると、灰色に黒のまじったどす黒い空が広がっている。そこから降る雨は真っ黒で、あらゆる建物を黒一色で塗りつぶすだけでなく、その水滴をあびるあらゆる動植物、そして地面も黒く染めていく。
「次ははやく着替える! 仕事でしょ!」
リシテアは片付けを終えたカナタに、すばやく次のタスクを割り振ってくる。シャツとパンツ姿の男が目の前で這いずり回っていても、彼女は顔色一つ変えない。むしろその滑稽な様子を楽しんでいる風ですらあった。
リシテアはいつの間にか取り出していた服を、投げ捨てるようにカナタの顔面にぶつけると、立てつけの悪いドアを蹴飛ばすようにして出て行った。
――なんちゅう子だよ、まったく。
リシテアの家事技術には舌を巻くものがあった。
この村にしばらく滞在すると決めたのは、ひとえに住居の提供があったからにほかならない。大抵の村から厄介者扱いされる魔法使いに、条件つきとはいえ、仮住まいの提案をされては、断る理由はなかった。
とはいえ、住むこととなった家は朽ち果てる寸前――むしろ朽ち果ててないのが不思議なほど、無人になってからかなりの年月の経っており、面積こそ広いもののかなりの改修工事が必要となる代物だった。
村に来てから数日間は、家の修繕という、自分の住処を整える作業が必要であった。
リシテアはここで本領を発揮したのだ。
力仕事こそカナタに任せたが、そのほかのほとんどの作業をこなしたのは彼女だった。家中を風のように通り抜け、通り抜けたあとはちゃんとしていた。
人が住めるのか、と不安になるような建物が数日で使い物になるまでになったのは、リシテアなしではなしえなかっただろう。むしろカナタ一人だったら、ボロボロの板敷きの隅で、うずくまりながらでないと生活できないレベルだったはずだ。
彼女がいるところは、家具でさえシャンとしていた。
しかしカナタが直したドアだけは、強情に彼女に抵抗していた。それでゆがんだドアを蹴飛ばさなければとても開かないのだ。
それ以外でも、カナタが修繕を担当したあちこちは見た目はなんとかましにはなっているが、あちこちがゆがんでいて、今も屋根からしみ出した雨粒が、あちこちからしたたり落ちていた。その下にはバケツやらなんやらが置かれていて、雫が落ちるたびに陶器の音や金属の音がして、不規則で不格好な演奏会があちこちで行われいるかのようだった。
カナタは天井の隙間を忌々しく見上げた。
――仕事……かぁ。
村に居座る条件として提示されたのは、雨が降ったとき、それを止ませることであった。
雨は害悪でしかない。
黒い雨は毒なのだ。あらゆるものを腐らせる。土を汚染し、長雨にさらされた作物は死に絶えてしまう。
そしてなにより、生き物たちが凶暴化する。
村の人々は機械を使ってそれを克服していた。
生活に必要な生産物はドームの中で管理し、雨の日は相当なことがない限り外にでることはない。
しかし、今の機械工学に、雨を止ませる方法はない。それはまだ魔法の専売特許だった。
(必要なくなったと思ったらかえって必要になるってのは、なんとも皮肉だよな)
カナタは一人、口の端をわずかにあげた。
服を着替えてリビングに顔を出すと、ちょうど食事が机に並べられようとしていたところだった。
豆のスープとパン、卵という、一般的な朝食だった。
村はドームのおかげで、標準的な生活はできていた。
それがなかったら、とてもじゃないがこんな環境で住めたものではない。
ドームは蒸気機関で動いていた。だから村の主な仕事は、蒸気機関を稼働し続けることにあった。
雨が降れば当然仕事はできない。だから雨が止むのを待つのではなく、止ませてしまったほうがだいぶいいのだった。
カナタは少し斜めに傾いている椅子――これもカナタが直した――に座ると、リシテアと一緒に食事をはじめた。パンは石のように堅いため、そのままかじるのは難儀だ。スープにひたしてから食べるのが常だった。
「今日はどうするの?」
リシテアはひたしたパンを口に運びながら言った。
「いつもと同じさ。やることをやる。お前はそれを見て学ぶ」
「お前はやめて」
リシテアはそう言うと、テーブルの下でカナタの足を蹴飛ばした。
「いつになったら学習するの?」
「……年を取ると、そういう細かいのは忘れちまうんだ」
カナタはいつものように受け流した。
村にきてから時間も経ったことで、カナタとリシテアはそれなりに満足いく距離感を保てるくらいにまではなっていた。カナタから見ると、リシテアは病的なまでの完璧主義者であり、あらゆる物事が規則正しくなければならないと思いこんでいるのではないかとすら思う。
今の食事でもそうだ。彼女は、カナタが部屋から出てくるタイミングを見計らって準備を進めているのだ――カナタが即座に食事ができるようにするために。
カナタ自身は、このリシテアの心遣いを毛の先ほども理解できていない。部屋を出たらちょうどタイミングよく料理ができている、というくらいにしかわかっていない。
気がつけば服が洗濯されており、朝起きれば料理ができており、帰ってくるとものが片づいている。そのくらいの意識しかもっていない。だから散らかしたまま片づけをしないでいると烈火のごとく怒るリシテアが、なぜそこまで怒り狂うのかわからないのだ。
その一方で、リシテアが触れることを許されないほぼ唯一の聖域ともいえるカナタの鞄は、ここ数ヶ月で驚くほど膨らんでいった。
物の置き場に困ったカナタが、冬眠を控えた動物よろしく、あらゆる物を鞄に貯めこみはじめたからである。拡張魔法によって鞄は見た目より信じられないほど多くの物を入れられるようになっているが、それでも許容量ギリギリまで入れられていた。カナタ自身、もはやなにが入っているのかわからなかった。これをひっくり返して中身を全部出そうと思ったら、部屋のひとつやふたつが天井までいっぱいになってしまうだろう。
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