第9話 前方よーし!

「走り出す前は、確認をする。右よし、左よし。

車内よし。前方よし」と、森は

二本指差しで確認。


愛紗も、真似するのは少し恥ずかしいが

同じ仕種をした。


「ミラーを見て確認だな。人が乗っていると

一番危ないのは車内だ。走り出しても

ブレーキは踏めない。おばあちゃんが

立ったら、転んでもいけない。」と、森。



「飛び出し事故も防げないんですね」と、愛紗。



森は「そうだ。だから、狭いところは

本当に、安全な距離を保って行く。

尤も、出来る者は少ないから

事故が減らない。」と、森は

そういいながらバスを走り出させて、

愛紗にとって思い出のある、市立病院の横を通る狭い道に入る。


車庫前は割と広いが

交差点を曲がり、狭い、元々は畦道だったような道を通る。


愛紗は、バスガイドになりたての頃


楽しくて楽しくて。


菜由の自転車の後ろにに乗って、この道を

コンビニだったか、そこまで

お昼に走ってた。


丁度、深町の運転するバスが向こうの

広い所で停まって待っていてくれて。



菜由は急ごうとして、自転車を

転ばしてしまった事がある。


深町は笑顔で、バスを降りて


自転車を起こしてくれたり。




それも、今思うと迷惑だったのかな、なんて思う。


大きなバスを運転して、ようやく車庫に入るその前に

よろよろ自転車がいたのでは、苛々しても

不思議はないのに。


笑顔で起こしてくれた。


その優しい感じは、あまりそれまで

感じた事の無い人の感じだった。




その道は、バスで見るとずいぶん狭いところだった。



短いお昼休みに行きたくて、焦りもしただろうな、と



無邪気だった自分を、少し恥じた。




森のバスが止まる。



見ると、カーブミラーにクルマの影。


入って来ると、バスと交差出来ない事もあるから

待っているのだった。


森は「そう。ミラーをなんとなく視界に入れていれば困る事は少なくなる。バックが危険なんだ。一番。」



愛紗は、それで深町の運転が少し判ったような気がした。



ミラーを見ていて、そういえば

狭い所で、止まる事もあった。


飛び出しに備えていたらしい。




バスが向こうから来れば、困るのもあるので

ダイヤを考え、狭い所を通る前に


対向バスが来たかを考えて走っていたのだ。





「難しい」と、愛紗は思わず言うが

森は笑って「いきなり出来る訳はない。ぶつけないで、自分の体みたいに動かせるように慣れてから、だな。

路線は難しい。鉄道より難しいだろう」と、森。



そうして、バスは真っすぐ市立病院前の交差点を右折、山の方に向かって走り、鉄道の線路を立体交差。



幼稚園の前を通る。




「こういう所はまあ、大丈夫だが

親が送迎に来た時は本当に徐行。飛び出しがある」と、森はいい


アクセルを踏み、3速から4速へ。


登りなので、5までは入れない。



それでも、空なので

ぐんぐん速度は上がる。




高速道路沿いの広い道に出て、しばらく走ると


大きな交差点を左折。


登坂車線のある所で、バスを止めた。



乗って見るか、と

森はにこにこ。



愛紗はドキドキ。


本物の路線バスを運転した事はない。



それも坂道で。



「大丈夫。落ち着けば。実際な、満員で

バス停に止まる事もあるから、もっと大変さ」と、森は平気な顔で、運転席を離れ

一番前の席にいた、愛紗に

運転席に着かせた。



「まず、シートを合わせる。膝が少し曲がるくらいで、クラッチが繋がる位置にシートを下げる。

高さも重要だ、ブレーキを踏みやすく、アクセルを踏む右足がリラックスできる高さにする。


そうすれば、簡単だ。サイドブレーキを掛けたまま、クラッチを踏み、2速。

静かにクラッチをつないで行くと、バスに力が伝わるから

サイドを外す。んだが

サイド無しのほうが楽だな。右足で

ブレーキ踏んだままでいい。」と、森。



言う通りにしてみて、愛紗は

クラッチを離すが、エンジンが止まる。

警告音が鳴る。



「ああ、落ち着けばいい。多分、シートが遠い。

もう一つ前だ」と、森はシートの調整をさせ、エンジンを掛けた。



左足が、クラッチをつなぐ感覚が今一つ。


でも、発進は出来た。




森は「うん。それだけできればいい。最初はラッシュの坂道なんて路線は乗せないから安心しな」と、森。


愛紗は驚く。


そんな所まで指令は考えているのか、と。




「祐子もな、全然ダメで

国鉄のガードを通ると、一番底で待っていた。」と、森。



祐子は、元々別のバス会社でガイドだったが

運転手になった、今はベテランの

運転手。

40才台半ばくらいだ。



「未だに下手だがな。そうそう、深町だって最初は出来なかった。君は優秀だ。2回で出来たからな。深町の時は、この先の山で、しばらく練習させたな。それで、大学生で満員のバスを

坂道発進なんかも楽々だった。

元々、クラッチ操作は上手かったんだが、バスは難しいから。エンジンを吹かすんだ。ガソリンのつもりで。そうすると急発進。

でも、人が乗ってると重いから、そうはならない。クラッチをつないで回転が下がり掛けたら

アクセルを少し開く。この仕事は右足が大切だ」と。森。




愛紗は、深町でもそんな苦労をしていたのかな、なんて


ちょっと驚いたけど。でも

それなら、わたしもがんばろうと

もう一度、同じ事をした。



サイドブレーキのロックを外して、支える。クラッチをつないで行くと

回転が下がるとこで、サイドをゆっくり下げながら、アクセルを少し。


「そう、上手いぞ。それなら満員バスでも平気だ。

危ないと思ったら迷わずに1速を使うといいが

2に入りにくいから、そのまま平らな所まで

行った方がいい。まあ、リモートシフトは入るがな。」と、森は笑顔になった。

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