第7話 陰謀もある

森は戻ってきて「ああ、そうか。ありがとうね。みわちゃん」とにこにこ。


人のいいおじさん。


愛紗は点検票を見て「クリップボルトの緩み」を気にすると


森は「ああ、まず緩む事はないし、緩んでても

人力じゃどうしようもないから、朝、時間があれば

見てもいいな。ナットを締める方向で軽く叩いて

澄んだ音ね。聞いてみると。」と、叩くと

金属音がした。



それで、3452号の真向かいにある

廃車になったバスにちょっと移動して

緩めてあるボルトを叩く。


ぼよん、と、鈍い音。



「それとタイヤだな。空気抜けてると」と

バスの後ろに転がっている、古タイヤを叩くと

ぼこ、と言う音がして。


こんなものだ。と。



みわは、と言うと


事務所の方に歩いていった。


後姿は、凛々しくてカッコいいと

愛紗は思う。



「ああ、暑いから走ろう。」と、森は

3452号に戻り、愛紗にエンジンを掛けさせようとして

「その前に、エンジンルームの蓋を締めるが

言い忘れていたが、ファンベルトの緩みはいつも見ておいて。

と、ハンマの先でベルトを押して


「このくらい緩みがないと、エンジンが熱くなると伸びるから、金属が。

下で締まってるから、上に伸びるので

ベルトが締まる。あまり気にして締めると

切れる。」と


ベルトテンショナーの位置を示した。


「この長ボルトを見れば判ると思うが、締めると

そっちへ動く。単純だな。」と、森は言い

それで、向かいにあったE7953を見て



「この、クランクナットを悪戯で緩める奴も居る。

深町もな、妬まれて。このナットを緩められて。

まあ、バンパー外さないとできないから、工場でやらないなら

指令が、夜隠れてやったんだろう。」と。



愛紗は驚き「そんなこと。」と、思ったが

女の子に親しまれる深町を、そういう目で見る人も

いたのは事実らしいことも知っていた。



ガイドたちの他愛無い遊びが、思わぬ所で迷惑を

かけていたことになる。




森は回想する「あれは、通勤バスだった。この車両を最初に、横浜から

配置転換になって、深町が担当した。

普通、新し目のバスを若手が担当することはない。


和田でさえ、この3452くらいの、20年前クラスだ。

それは、社長が目を掛けていたからで

指令補助の川本は、自分が助役になりたいから

それを心配したんだろう。まあ、たまちゃんは

元々いつか研究所に戻るつもりだったんだが。


それで、夜勤の時にバンパーを外してまで

川本がやった。


昼間、バンパーを外したのは

整備の当時の工場長だ。


予算を握られてるので逆らえないし

ヘタをすると転勤だ。




酷い。と、愛紗は憤慨した。



「お客さんに迷惑が掛かるし、事故だって。」




森は頷き「深町はしかし、運転が上手いしエンジニアだから

バスの異変に気づいた。水温が異常に上がるし

夏だったのにクーラーも効かない。

でも、山の途中にあるコンピュータ工場、NECのね、あそこまで

行かないとならない。


気づいたのは登攀しているときだった。


平地ではほとんどエンジンを回さない運転だったから

そこで気がついた。」




愛紗は「それで、どうしたんですか?」



森は「うん、無線で会社を呼び、終点に整備を待機させた。

私も聞いておって、終点で待っていた。


それから、クーラーを切り、お客さんに事情を話して

ヒータを入れ、窓を開けた。

ほとんど上りきっていたから、これで終点まで着いた。


お客さんを下ろして、バスをロータリーに入れると、

見事に緩んでいた。クランクナットがな。


外れない程度に。前日、バンパが外れていたのを

深町は知っていて。


そこにいたつなぎ服姿の川本に「なにをしてるんですか?」と

聞いた。


深町は、その事を指令の野田に言った。」



愛紗は「それでどうなったんですか?」


森は「ふつう、エンジンを壊すと始末書だが、その話を、まあ

野田も偉かった。ちゃんと誤魔化さずに本社に報告した。

川本の一存でするほど、指令補助は暇じゃない。


たぶん、当時の所長、岩市の指示だろうと思った。


それでかどうか知らんが、岩市は定年をとっくに過ぎているから

大岡山から居なくなった。懲戒かもしれない。


工場長もそれで変わったのだが、彼はもう定年だから。」


と。



愛紗は「そんな事があるなんて。」



森は「まあ、男の嫉妬って怖いんだな、特に岩市みたいな男は

正義がない。本社としても何か理由をつけて退職させたいと思っていたのだろうね。」


と。


それだけじゃないが、と、森も言い


「さあ、暑いからエアコン入れて走ろうよ。」と



愛紗に、エンジンフードを閉めさせ、エンジンを掛けさせた。



フードを閉めると、電気のスイッチは自動的に入るように出来ている。





愛紗は、教習所で習ったように

運転席に向かい、ギアをニュートラル確認した。


森は「これは空気シフトじゃない、機械式だからいいが。

リモコンのものは、空気が抜けるとギアが抜けなくなる。

エンジンを掛けないと空気が溜まらないから、あの手は

ギアを入れて停めない。」と言った。


それは教習所では教えない。




「まあ、こういう機械式がいいが、ぶらぶらして判り難い。

エンジンも揺れるしな。ながいロッドでつないでいるから。


左と右は、押し付ければ入る。問題は2だな。

真ん中だから。どうしても判らなければ

一度5に入れてみて、角に沿って戻すと良い。

5なら、万一ヘンに入ってもバスは動かない。

1だと、暴走事故になる。」


と、森は淡々と述べた。



「まあ、これからみんな空気になるから、気にしなくていい。

クラッチも空気、ハンドルはパワー。

女の子でも乗れる。」と、森は笑った。



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