04話.[似合ってますね]

「ほ、帆波、変じゃない?」

「変じゃないっ、寧ろ眩しいぐらい綺麗だよっ」


 混むかもしれないからと私たちは夏休み初日にプールにやって来た。

 別れて着替えて、先程からずっと出られずにいるという状態だった。

 

「ほら行こ? 早くしないとふたりを待たせちゃうよ?」

「うん……」


 ま、まあまだお腹に無駄な贅肉がついているわけではないから痛い人間にはなっていないと考えておこう。

 他はどうでもいい、全ては私が見られてどう感じるのかということだ。


「お待たせー」

「遅えよ、どうせその後ろの人間のせいなんだろうけどさ」

「まあそう言わないであげてよ――って、文人くんは筋肉が……」

「あ、あんまり見るなよ、行くぞ」


 すごいな、なんでそんな堂々としていられるのだろうか。

 じゃないっ、付いていかないとここにひとり突っ立つことになるっ。

 文くんや三浦くんに見られるのならともかくとして、全く知らない人にジロジロなんだこいつという目で見られるのは精神が死ぬぞっ。


「あ、あの、水月さん」

「ふぅ、うん、どうしたの?」

「……似合ってますね」

「ははは、ありがとう」


 結果は違う方を見ながらだったけど似合っていると言ってくれてよかった。

 お世辞でもなんでもいい、どこかを見ながらでもいい、ただなにも触れられないまま終わるということにならなかっただけで私は大満足だ。


「それよりすごいね、体を鍛えているんだ?」

「あー、中学の部活でやり始めてから癖になっていまして」

「触ってもいい?」

「別にいいですけど……」


 おお、すごいなこれは。

 私なんか油断しているとすぐにぷにぷにになりだすから油断していられないレベルだというのに、彼のこれはちょっと気を抜いても脂肪に襲われるようなことはなさそうで羨ましかった。

 上体起こしとかをやれば私でもこれぐらいまでとはいかなくてもある程度は鍛えられるのだろうか?


「おーいっ、冷たいから早く入ってきなよっ」

「うん、いま入るよ、三浦くん行こ」

「はい」


 ただ、こっちの中は大量の人がいて泳げるような余裕はなかった。

 みんなで立って歩くことになっているため、いいのか悪いのかがよく分からない感じで。


「きゃっ!? な、なにっ?」


 お腹の辺りに衝撃を感じて変なポーズで固まっていたら小さい男の子が浮上してきて先の方へと歩いていった。

 ……小学生の子は気にしなくていいから気楽でいいなって真剣にそう思ったよ。


「姉貴、もう少し肩の力を抜けよ」

「だってごちゃごちゃしてるし……」

「それは他の人間にとってだって同じだろ。横には俺らがいるし、後ろには啓がいるから安心しろよ」

「う、うん……」


 まだ慣れないから帆波に抱きついていたら水の中に引っ張られてしまう。

 散々だ、本当に文くんが来てくれてよかったと思う。

 こっちの精神ダメージが計り知れないものになったから最初の休憩時間になった際にもう入らないと決めた。

 あとは適当に椅子に座って休憩していようと思う。


「帆波、余計なことをするから姉貴がこんなに縮こまっているじゃねえか」

「ご、ごめんっ」

「大丈夫だよ。でも、人が多いからもういいかな」


 ロッカーから上に着ていたパーカーを持ってきて着ておくことに。

 はあ、やっぱり私には早かったのかもしれないなあ。


「どうする? 休憩はもう終わったけど」

「私が悪いのは確かだけど、まだ帰りたくはないなあ」

「俺がいるので大丈夫ですよ、おふたりで行ってきてください」

「いいの? じゃあ、水月のことお願いね」


 ほぼ全裸なこの状態できゃっきゃと楽しめる方がおかしい。

 でも、それなら裸でいいじゃんと言ったら文句を言われるんだろうけど。


「飲み物を買ってきます、なにが飲みたいですか?」

「一緒に行こ」

「分かりました」


 こういうときのためにお金も一緒に持ってきていた私は効率がいい。

 こうして迷惑をかけている分、これ以上はかけないようにしなければならないのだ。


「なにが飲みたい?」

「え、あっ、いいんですか……?」

「気にしなくていいよ、ほら」

「あ、じゃあこれで」

「うん」


 こっちは大きい炭酸ジュースを買ってちびちびと飲み始める。

 誰も見ていないのに自意識過剰なところを晒したうえに、三浦くんに迷惑をかけてしまっているという状況はなんとも言えない気持ちにさせてくれた。


「ごめんね」

「謝らなくていいですよ、人が多すぎて窮屈だと俺も感じていましたから」


 なんとなく対面に座った三浦くんを見つめる。

 彼は他のお客さんたちに意識を向けつつ「初日に来た意味がありませんでしたね」と口にして笑っていた。

 みんな考えることが同じということなんだろう。


「っくしゅっ、入らないと冷えるね」


 一応拭いてきたのにあんまり意味がなかった。

 単純に空気の読めないことをしてしまったということで冷えている可能性もある。

 いや、そうでもないとおかしい。

 だってプールから出ている人たちは「暑いね~」なんて言いながら歩いているんだから。


「すみません、ちょっといいですか?」

「ん? ――あ、三浦くんの手は暖かいな」

「もしかしてまた風邪ですか?」

「分からない……」


 自分で移動できないとかではないし、頭が痛いとかそういうことがあるわけでもないから風邪ではないと思うけど。


「帰りましょうか、ふたりだけで」

「さすがにそこまで空気の読めないことはできないよ、ひとりで大丈夫だから帆波たちと一緒に楽しんできて」


 そんなことをしたらまず間違いなく巻き込んだ文くんに怒られる。

 あの子が怒ると本当に怖いからそれだけは避けたかった。

 別にいまはパーカーも着ているわけだから恥ずかしさも半減している状態なので気にしてくれなくていい。


「水月さん……」

「ほら、丁度あのふたりが来たからさ」


 この前帆波にされたみたいに彼の背中を優しく押す。

 私はなるべく目立たないところの椅子に座って、先程買ったボトルの中身をちまちま飲んでおくことだけに集中。

 そう、実際は誰もこちらになんて興味を抱いていないのだ。

 そんなことよりもどうこのプールを攻略するか――は大袈裟だとしても、どう楽しむかを考えているだけ、一緒に来た仲間ぐらいにしか興味はない。

 だからかなり恥ずかしいことを私はしてしまったことになる、だから反省だ。


「啓、帆波と行ってきてくれ、俺はこの面倒くさい姉貴といるから」

「……分かった、ということでよろしくお願いします」

「うん、行こうっ」


 面倒くさいか、確かにその通りだ。

 巻き込まれた文くんからすればそうとしか言いようがないなって。


「顔が赤くねえか?」

「ちょっと冷えちゃってさ」

「帰るか?」

「三浦くんもそう言ってくれたけどそこまで空気の読めないことはできないよ」


 現在進行系で空気が読めていないのにこれ以上はね。

 でも、珍しいな、基本的に自業自得だとか言って放っておくタイプなのに。


「もう水着から着替えておけよ、どうせ入らないだろ?」

「でもさ、せっかく買ったからって考えちゃう自分もいるんだよね」

「まあ、たしかに安くはないだろうしそうか」


 上下セットで4000円もしたんだよ。

 私からすれば大金で、ほいと買ってしまったことを後悔している。

 ドキドキもさせられなかったし、自惚れていたんだろうな……。


「ごめんね、本当にこんな姉で」

「本調子じゃない証拠だな、姉貴はそんなこと普通のときは言わないし」

「……ちょっと寄りかかってもいい?」

「まあ」


 いいな、ガッチリしているから不安定さがなくて。

 高校に入ってからあんまり相手をしてくれていないからこういうチャンスは大切にしておきたいという考えがあった。


「文くん、学校でもっと私のところに来てよ」

「いらねえだろ、家に帰れば会えるのに」

「いるよ、寂しいもん」


 友達とももちろんだけど、やっぱり家族とも仲良くしたいんだ。

 それとも、これは贅沢な思考なのかな?


「啓が行っているからいいだろ、帆波だっているし」

「大好きな弟ともっと仲良くしたいなー」

「大好きねえ」

「え、本当だよ? 優しいから好きだし、怒ったら怖いけど」


 人間は基本的にそんなものだろう。

 寧ろ怒ったときににこにことしていたらそれはそれで怖いだろうし。


「そういうのは啓に言ってやれ」

「ぶぅ」

「可愛くないぞ、体調管理すらままならない人間だしな」


 これは慣れないことをしてしまったからだ。

 本音を言えばいますぐに帰って部屋に引きこもりたい。

 自意識過剰なところを見せてしまったことが大ダメージとなっているのだ。


「ただまあ、水着は似合ってるんじゃないか」

「あ、いまのいいねっ、後から褒めるところとかっ」

「うざ……」


 いまのでメンタルが回復した自分がいる。

 やっぱり家族と仲良くしておくとこういうときはいいな。


「文くん、一緒に入りに行こっ、それで三浦くんを驚かせるんだ、にしし」

「まあ程々にな、それじゃあ行くか」


 で、残念ながらそのタイミングで休憩になってしまったものの、やって来てくれた三浦くんにその旨を話したら凄く喜んでくれた。

 悪い気はしないよねっ、お世辞でもなんでもさ。

 変なことを気にしないようにしたのもあって、後半は帆波とも凄く楽しめたのだった。




「い、いいんですか?」

「う、うん」


 16時頃に施設を出て17時前に家に着いた私たち。

 文くんは疲れたとかで部屋に戻り、帆波も疲れたとかでソファで爆睡。

 それで私たちはというと、リビングの隣にある客間でちょっとイケない感じの時間を過ごしていた。


「ほら、さっきとなにも変わらないよ?」

「いえ、違いますよ」

「なにが違うの?」

「だっていまはふたりきりじゃないですか、正直に言って他の人に見られたくありませんでしたから」


 本当に欲望に正直というか、私にはできない大胆さを有していると思う。

 

「綺麗です」

「ありがとう」


 綺麗かあ、確かにこの水着は真っ白で綺麗だ。

 普通の私を少しぐらいはいい方に飾ってくれている気がする。

 でも、結局のところはこの水着が素晴らしいだけだからなあと。


「でも、体調が悪いなら悪いと言ってほしかったです」

「あれは空気を読めないことをしちゃったからだよ、だからなんか冷えててさ」

「それならいいんですが」


 文くんに甘えたことでその冷えも吹き飛んだ。

 だから後半は一緒に楽しむことができたわけで。


「文人に似合っていると言われて意見を変えたことは、俺は納得できないですけどね」

「普段はあんなこと言ってくれないからさ。高校では全く来てくれないし、高校生になってからはなんかゆっくり話す時間もなくなっちゃったからね、存分に甘えておこうと思ったんだよ」


 自分には早かったんだと不安になっていたときに似合ってるって言ってもらえたから余計に影響したんだ。

 お世辞でもなんでもいい、ただただ真っ直ぐにそう言ってもらえただけで凄く嬉しかった。


「なんか怪しいですよね、水月さんと文人って」

「え? どういう……」

「実は姉弟の域を超えて仲良くしているんじゃないかって……」


 ん? あ、だから親密すぎると言いたいのだろうか?

 そうかあ? 三浦くんの前で一緒にいたことなんてほとんどないし、家でだってそう話してばかりというわけでもないから普通だと思うけど。


「大好きとか言っちゃいますもんね」

「あ、あれ? なんか全部情報が……」

「文人が教えてくれたんです」


 大事な話をすることはやめようと決めた。

 冗談はともかくとして、なんか嫉妬しているように見える。

 文くんは血の繋がった弟なんだよ? なのにその子を敵視って。


「もしかして、妬いちゃったの?」

「はい」

「三浦くんって真っ直ぐだよね」

「だってずるいじゃないですか」


 三浦くんが他の子ばかりを構い始めたら私もそう思うのかな?

 大好きとか言っていたのを知ったらずるいってさ。

 というか、片方は水着姿でってなにやっているんだって話だ。


「服を着るね」

「はい、ありがとうございました」


 部屋着を着たらかなりほっとした。

 やっぱりお風呂以外であんな格好はするべきじゃないと思う。

 お腹は隠すべき! そうじゃないと冷えちゃうから。


「送るよ」

「それなら細谷先輩も起こしましょう」

「あ、そうだね、そういえば寝てたんだっけ」


 おねむな帆波をおんぶして外に出た。


「力持ちですね」

「うん、帆波ぐらいならね」


 男の子の三浦くんにおんぶしてもらうわけにもいかないから仕方がない。

 帆波だって気にする――気にしないかなあ、まあそれでも一応ということで。


「帆波、家に着いたよ」

「……中まで運んで」

「じゃあ鍵を開けて」


 この子は心配になるときがある。

 男の子の家であんな無防備なところを見せていたら襲われてしまうぞと。


「じゃあね」

「うん、またね」


 そうしたら今度は三浦くんを送ることに。


「あの」

「どうしたの? あ、課題のこととか?」


 課題を一緒にやったら楽しくできそうだなって思った。

 彼は「あ、それもそうなんですけど」と言ってきたけど、なにか違うことを本当は言いたいみたいだ。


「もっと水月さんといたいです」

「もっといたいって言われても……」

「お願いしますっ」


 一緒にいる時間を増やすという意味でも課題をやることはいい、だからそれを告げてみたんだけど……。


「夜もいたいんです」

「夜も? もうそのレベルになると泊まるしか……」

「泊まらせてください」


 じゃあ、こうして彼の家に向かっている意味がなくなってしまう。

 あ、いや、着替えを取りに行くことを考えたら無意味ではないか。

 すごいな、どこまで積極的になれるのかという話。


「三浦くん、なんでそんなに私といたいの?」

「水月さんが魅力的な人だからです」

「魅力的?」

「はい」


 まあ……いいか、別になにか損するわけでもないし。

 単純に私も三浦くんと仲良くしたいから寧ろいい話だろう。

 長く一緒にいることで私の許容できない部分が見つかったとして、彼がそれで離れていってしまってもいいと思う。

 いまはもったいないことをしているということを分かってくれればいいかな。

 仲良くしたいけど縛りたいわけじゃないし、視野を狭めてほしくないし。

 それでも頑なに拒むのは双方にとっていいことがないから受け入れた。


「それなら着替えとか課題を持ってきなよ」

「はい、待っていてくださいね」


 私だけしかいない家に泊まるというわけではない、あくまで文くんと仲良くしたくて泊まっているということにしておけばいいだろう。


「お待たせしました」

「行こっか」

「はい」


 というわけで、私と違って大胆な後輩くんを連れ帰った。




「文人、やばいんだけど」

「は? なにが?」

「だってさ、夜にも水月さんと話せるんだよ?」


 はあ、たかだかその程度でと呆れてしまう。

 それによく電話だってしているくせになにを言っているのか。

 なにがそこまで駆り立てるのか、俺もそこが分からなかった。


「姉貴のことが好きなのか?」

「まだそういう感情はないけど、魅力的な人だよね」

「魅力的ねえ」


 優しい人間ではある。

 あまり素直になれていないが、一緒にいるときににこにこと楽しそうにしてくれているのは確かにいいかもしれない。

 でも、いいところと言えばそれぐらいで、それ以外は普通というか特にないんだけどな。


「つか、それなら姉貴のところに行ってくればいいだろ」


 入浴後はリビングで過ごす姉だからゆっくり話せるだろうに。

 野郎の部屋に来てやばいとか言っている場合じゃない。


「いや、それが緊張しちゃって」

「緊張っ? はははっ、姉貴相手に緊張する人間がいるとか思わなかったわっ」


 しゃあねえから協力してやるか、こんなことは滅多にないからな。

 1階に啓を連れていき、ソファに座ってテレビを見ていた姉の横に座らせる。


「姉貴、啓が相手をしてほしいだってさ」

「はは、ごめん、面白いテレビがやっててさ」

「任せたぞ」


 部屋に戻って適当にベッドに寝転がる。

 楽しそうで結構、どうしてもなんで姉を? とはなるが、そんなのは自由だ。


「にしても……」


 今日のあれは姉らしからぬチョイスだったというか、どうせ帆波にこれだって選ばれて無理やり買わされたんだろうが……。


「帆波、いまいいか?」

「いいよー、どうしたの?」

「姉貴のあの水着なんだけどさ」


 たったそれだけで「あ、どうだった? 素晴らしかったでしょー」と言われてしまい少し黙る羽目になった。

 姉と同じ学年に細谷帆波という友達がいてくれるのはいいが、こういうところはあまり安心できないところだった。

 あと、姉はほいほいと受け入れ過ぎだ、本当に困る人間だと思う。


「それはともかく、あんまり露出させんなよ」

「水着なんだよ? それに水月の体は素晴らしいからねっ、出さなきゃっ」

「不特定多数に見せる必要はないだろ」


 あの後、啓にふたりきりの状態で見せたとかそんなことを先程教えられた。

 なにを考えているのか。

 その人間に興味を抱いている男の前でそんなことをしたらどうなるのか、なんてことは全く考えていないんだろうな。

 啓だからまだよかったという話だ。


「ふふふ、やけに心配しますなあ?」

「あんなのでも姉だからな、なるべく肌は見せない方がいい」


 寧ろ同性のあんたが一番気にしてやってくれ。

 進んで露出を多くするタイプじゃなくてよかったよ。

 単純にそうなら一緒に居づらいからな。


「分かったよ、今度からはさせないから。というか、水月は自分から出したりはしないから不安にならなくて大丈夫だよ」

「ああ、頼む、それじゃあな」


 今年の夏も何事もなく終わるといいが。

 考えていても仕方がないから、もう寝ることにして目を閉じたのだった。

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