第8話 地獄の鐘を鳴らすのは誰か?



「な、何が起きているんだ………」


 外野から、そんな声が聞こえた。


 自分の鼻先を剣がかすめる。

 それでも俺は引かない。


 矢継ぎ早にくる剣戟を俺はただ避けていく。


 右、左、下、左、右、右、いや左、前!


 俺の身体は俺の動体視力についてきてくれる。


「しゃっ!」


 剣戟の合間を見て、俺は反撃に出る。

 しかし、目的は対象への攻撃行為ではなく、あくまでロザリオを取り戻すためである。


 俺の手を避ける相手ーーサカザキは、一呼吸置くこともなく次の行動に入る。


「!……おらぁっしゃぁ!はぁ、はぁ。shit!」


 只者ではないと思っていた。

 それでも、力を解放した自分と渡り合うことができるほどだとは思っていなかった。  


(人間離れしている………!)


 そんなことをカツミは考えていた。


 しかし、二人の戦いを見ている星架隊にとって常軌を逸していたのは、明らかカツミの方だった。


「あいつ、サカザキさんと互角にやりあってるぞ…」


「一体何者なんだ?……」


 彼らはただ見ているしかなかったのだ。 

 自分たちが人生の全てを使っても及ばないだろう二人の戦いに。


 しかし、その終わりは急に訪れた。





「「!?」」


 俺と十字傷の男の動きが止まった。

 それはとても大きな音と振動だった。

 まるで何かが爆発したような。ただごとじゃないと肌が感じていた。



(なんだ今の揺れは!?

 ソラとジーナはどうなっている!?!?)


 十字傷の男も流石にさっきの揺れが気になったのかその動きを止めている。

 するとゆっくりと視線を螺旋階段へと続く扉へと向けた。

 まるで何かを企てるように。



「な、何が起きているんだ!?」


「サカザキさん!ここは危険です!」


 サカザキと呼ばれた男は黙っている。

 そして口を開いた。


(何?何を言っているんだ?…)


 サカザキが俺を見る。

 俺は咄嗟に身構えた、サカザキの目は何者にも自分の考えを読み取らせはしないとでも言うふうに平坦な目をしていた。



「な、何を…………」


 俺は困惑する。サカザキが俺から目を離さない以上、絶対に何かを仕掛けてくるはずだ。しかし、サカザキは何も仕掛けてこない。俺はますます困惑する。


 すると突然サカザキが自分の胸ポケットを探りだした。


「おい、やるよ。」


 サカザキが何かを投げる。

 放物線を描いたそれは真っ直ぐに俺の元まで飛んできていた。

 その動作があまりにも自然で、俺は思わず受け取ってしまう。


 ってこれ爆弾かっ!?


(しまっ………………!?)


 俺はサカザキの動作に弛緩していた体勢から一気に身構える。

 本気で構えれば爆発にも耐えられるはずだからである。

 しかし、衝撃は待っていても来ることはなかった。


(なんだ…………?)


 手を開くと、そこには銀のロザリオがあった。


 俺は困惑する。

(shit!shit!shit!?!?な、何が起きている?さっきの爆発といい、この男の言動といい、不確定要素が多すぎる!)



「………………いいのか。」

 十字傷の男、サカザキに問う。

 サカザキは俺にロザリオを投げたあと、その平坦な目で王城のある方角を見ていた。



 そして黙ったまま振り返り、俺ではなく兵士達に言う。兵士たちも、サカザキの次の言葉を神妙に待っていた。



「お前ら、ノトを追うぞ。ついてこい。」


 兵士も俺もサカザキが何をいっているのか一瞬わからなかった。


「ま、待ってください!今は地下の様子を見るのが先決ではないでしょうか?」


 兵士の一人がサカザキにそう告げる。

 しかし、サカザキは応答の言葉を得る前にズカズカと出て行ってしまう。


 それを見て焦った兵士たちがサカザキの後を追うように教会から出て行った。

 俺はそれを呆然と見ていた。


 兵士たちの鎧でガチャガチャという音のする足音を聞いて我に帰る。


「あ、おい待て!………………shit!」

 サカザキを追おうとするもの、目的の銀のロザリオは今やもう手のなかにある。

 もう、サカザキを追う必要もない。


(それよりも………)

 俺の脳裏にはソラとジーナの姿があった。


 果たして二人は無事なのか?

 一体地下で何が起こったのか?


 俺には見当がつかなかった。


 礼拝堂の横にある扉に手をかける。


 扉には教会に伝わる女神の装飾が施されていた。

 その女神の表情はとても複雑なもので、俺にはどの感情を彼女が抱いているのかわからなかった。

 もしかしたら俺の知らない感情なのかもしれない。


 今はそんな場合でもないのに、なぜかそんなことを考えていた。


 俺はドアノブを回し、その扉を開けた。




 俺は言葉を失った。



 螺旋階段があった位置が丸ごと抉られていたのだ。



「だから、何がどうなって…………shiiiiiit!!!」


 俺は一人絶叫する。

 しかし、そんな俺の目に四個の人影が映った。


「嘘だろ………あいつらは死刑宣告されたはずじゃ………そういうことかよ!メイデン!!!!!」




 カツミにはその4人の男に見覚えがあった。




 "監視者"ジェノア=ローデンス

 刑:自分の領地に火をつけ、民が燃える様を監視する趣味を持っていた。



 "玩具師"ポイミー=アケミノ

 刑:一般人を拉致し、人で出来た人形を作ろうとした。



 "首もぎ"ハレルヤ

 刑:ただ、なんとなく人を殺し続けた。


 そして、0の黒籠看守長メイデンがそこには立っていた。




「この破壊痕は、"聖なる消滅"。

 …………あの3人はメイデンの懐刀だったってわけか」


 カツミには"0の黒籠"に風穴を開けた攻撃に見覚えがあった。


 それは黒籠が保有する巨大な槌。

 パプリカ全土に存在する"女神の品"の一つ。

 サイクス王国の黒籠に"0"の名がつく所以だった。


 女神は、罪人の心を純善なるものにする槌をこの地に授けたのだという。


「だからってこんな威力馬鹿げて………!?…まさか」


 しかし、数年前からこの兵器は使用が禁じられるようになった。理由は単純である。


 この兵器が人の生命力と引き換えに威力を上げるものだからだ。そしてその威力に上限はない。

 あったとしてと誰もそれを試す勇気などなかったのだ。


 そして、カツミはここまで威力が上がった"聖なる消滅"からある結論に辿り着いていた。


 今まで看守たちに知られることなくその存在が隠されていた3人の極悪人。


 なぜか威力を上げた人の命を用いた破壊兵器。


 そして、なぜか近年、死刑囚の死体が消失していた事件。



「…………今まで無駄に殺してきたはずの死刑囚の命を使ったのか。

 殺さないまま、殺したことにして生かしていたのか……誰にも見られない場所で!

 この兵器のためだけに!!!」


 カツミには確証はなかった。

 それでも確信があった。





「ハレルヤ、上から誰かが見ているよ。」





「!?」


 "忠誠せし反逆者"の一人、ポイミー=アケミノがこちらを見ていた。


(くそっ!このロザリオを渡さなきゃだってのに!!!

 ってかソラは無事なのか?!?!)


 ポイミーの声に反応したメイデンがカツミを見る。


「カツミィイ!!!!!!

 ……そうか…そうか!!なるほどなぁ!!!

 まさかお前がこの脱獄計画に関与していたとはなぁ!

 いいぜ!お前も始末してやるよ!!

 もう教会の奴らから頼まれたことなんてもうどうでもいい!!!

 ぶっ殺してやるぅ!!!!」


 顔を真っ赤にしたメイデン。


「お前らぁ!!!」


「ハレルヤ、僕始末してくるね。」

「ああ。」


 ポイミーの体が


 跳ねる。


(体をいじってやがるのか?それとも)


「ぐっ!!!!!」


 気づけば俺は殴り飛ばされていた。

 礼拝堂の壁に俺の体は叩きつけられていた。

 漆喰の壁の破片がパラパラと落ちていく。


「あははは!今のを受けても体の形を保ってるなんて、なんてラッキーなんだ!」


(考えてる暇はない、か。)


 俺は大きく息を吸う。

 そして、体を起こすために壁に手をやり、礼拝堂の崩れた壁にぶら下がるようにしてポイミーを見る。



「shit!目標は、相手の停止。」



 俺はそう呟いた。






 ☆


 俺たちは気づいたときには走り出していた。


 否、逃げ出していた。


 ジーナが俺の手を半ば強引に引っ張るようにして走っていく。


 他の動ける囚人たちもなんとか走り出していた。


 男たちはなぜか動けない生き残りの囚人たちを回収している。

 俺たちを追ってこないのは、絶対に殺せる確信があるからだろう。

 いくら逃げても逃さないという確信があるのだ。


「はぁ!はぁ!くっ!はぁ!はぁ!」


 ジーナは負傷していた。

 足を庇うように走っている。


 俺の意思に関係なく動く足、上がる息。

 そして、

 チラつくマリオの顔。


 足が止まる。ジーナが止まったのだ。

 ジーナは恨めし難そうに、いたんだ自分の足を見ていた。



 途端、俺の体は痙攣した。


 熱い何かがこみ上げてくるのを感じた。


 胃から食道へ、食道から喉へ、喉から口元まで。


 俺は思いっきり嘔吐していた。


 吐くものなんてなかった。

 胃液が逆流していくのを感じる。

 

 無理だ。もうダメだ。

 本気でそう思った。

 そして、俺の脳裏に浮かぶ最悪のシナリオ。




 マミヤに会うどころが俺はここで死ぬ。




 しかし、俺の思考は別のことに傾いていた。


 それは人生で初めての感情だった。

 だからこそ戸惑った。

 その感情の名前を俺はまだ知らなかった。


(俺がこんな事をしなければ…)


 人が死ぬところは何度も見てきた。

 それなのに…………


 あのとき、世界がスローに見えた。

 わかっていたつもりだった。

 穴の中じゃそんなの当たり前の、いつもの日常のことだったのに。

 なのに、震えが止まらない。


 知らなかった。


 自分が他人に与える死がこんなに怖いものだったなんて。



 俺の思考を占めるもの、それは罪悪感と後悔だった。



「ソラちゃん!逃げるわよ!

 今のうちに隠れるの!!!早く!!!!!

 でなきゃ、簡単に殺されてしまうわ!」


 ジーナの声が俺を現実世界へ引き戻す。


 俺の周りにいた囚人たちもハッと顔を上げる。

 そして、のろのろと皆が歩きだしていた。


 しかし、俺は………



「待て!ジーナ!もう少しだけ待て!待ってくれ!」


 俺の情けない小声が響いた。


 ジーナは俺の方を振り向く。


 敵がすぐそこまできていることぐらい俺だって気づいていた。


 それでも俺の体は。

「何を言って……………!」

 ジーナは俺を見て絶句した。


 それもそのはずだ。俺の体は俺の意思に反してひどく頼りなく



 震えていた。



「震えが、止まらねーんだ…

 俺が…………こんなことしなかったら、あいつらは……こんな死に方あんまりだろ?……


 俺は……俺が……あいつらを殺したんじゃ?…」


 頭からこびりついて離れない人の肉の焼けた匂い。

 それはまぎれもなく俺に話しかけてきたあいつらのもので。


 頭がうまく動かない。

 舌だって。こんなことを言っていたらジーナは俺を見限るだろうか。

 ならそれでもいい。俺は早く楽になりたかった。


「俺はなんなんだジーナ。

 俺は、俺たちはここで降伏するべきじゃないのか?これ以上犠牲が出る前にっっっ!

 じゃないと!俺は!!」



 俺は…………どうなってしまうんだ?


 自分でも何を言っているのかわからなかった。

 それでも俺は楽になりたかった。



 ジーナは俺を見て、押し黙っている。

 きっと俺に失望している。


 俺はそうであることを、ただ願った。



 ジーナが俺の肩を強く掴んだ。

 強く、

 強く、

 強く、

 ぐっと力が込められる。



「ソラ。ソラ、よく聞きなさい。

 あなたはもう善人ではないわ。

 間違えようもない犯罪者よ。

 あなたの言うことは全て正しいわ。

 あなたのエゴでみんな死んだ。


 私は言ったわ。あなたに覚悟はあるのか、と。


 そのときあなたは言ったわ。ある、と。」


 覚悟


 俺は握手を求められるたびに、感じていた。


 ゴードンや、マリオからも。

 "お前に俺たちの命を背負う覚悟はあるのか?"


 俺はあると答えた。


 あいつらは試していたんだ。

 俺に覚悟があるのか。


 そして俺はその覚悟を持っていなかった。


「もしあなたがここで降伏してもあなたの罪は消えないし、あの子たちが死んだ事実は変わらないわ。


 それどころか。私たちもいずれ殺される。

 より残忍な方法で。」


 誰かが息を飲む音が聞こえる。



「…………………」



 ジーナが俺を見ている。


 俺は黙るしかなかった。

 ただ俯くしかなかった。


 それでもジーナの目は俺を離さない。




「でも絶対にあなたはこの戦いをやめてはいけない。



 あなたが死者に憂いを見せるのならば、

 あなたにこの戦い辞める資格はなんてない。


 あなたはこれからたくさんの人を殺す。


 それでもあなたは…あなたは考えてはならない。


 あなたは止まってはいけない。


 あなたは走り続けなければならない。


 あなたに残された道は二つだけ。

 勝って英雄になるか。


 負けて犯罪者として殺されるか。


 その二択よ。


 これは、あなたが始めた戦いなのだから。」



 足音が近づいてきている。  


 それが何の足音なのか、俺にはまだわからない。


 敵か、味方か。

 生か、死か。


「もう一度、聞くわよ、ソラ。


 あなたに、

 罪なき人々の死を全て背負う覚悟はあるの?

 この国最大の、犯罪者になる覚悟はあるの?」




 その目はあまりにも真剣で、俺の心臓は大きく躍動していた。








 マミヤ、俺は。








 マリオたちの俺への笑顔が、


 鬼のような形相へと変わっていく。


 謝っても、謝りきれない。


 そんなのわかっているんだ。


 それでも俺は、



 逃げないということ。




「ジーナ、ありがと。」


 俺に足りなかったのは覚悟だ。


 死ぬことを厭わないこと、それが覚悟だと思っていた。


 俺はもう逃げない。

 仲間の死からも、怨嗟の声からも、絶望せざるを得ない未来からも逃げない。


「でも違ったぜ。俺に必要だったのは。」


 本当に必要だったのは。



「自分で自分を殺しながら生きる覚悟だ。」



 きっとこの戦いが終われば俺は自分という存在が分からなくなっているだろう。

 もしかしたらこれから何度も死んでいった人たちを、殺した俺を思い出すのだ。

 でもさ、でもマミヤ。


 俺の選んだ道はこれだ。


 マミヤのせいになんてしない。


 俺はこの道を、修羅の道を歩いていく。



「ジーナ、俺は今日死ぬかもしれない。」


「ええ。」


「でも俺は死ぬ寸前まで、生きることだけを考えるぞ。」



 ここで死んだら、マリオや、みんなの生きた意味がなくなるだろ?だから………



 逃げるのはもうやめだ。

 絶対に勝つぞ、あいつらに。」


 ジーナは笑った。


「どこまでもついてくわよ、あなたに。」


 マミヤ、待ってろ。

 






 ☆


 三人の男は、監獄内を突き進んでいく。



 金の装飾を纏った看守服の男。


 ギョロギョロと忙しなく目を動かす長身の男。


 ロングコートに身を包んだ男。


 三者三様にキョロキョロとあたりを見渡している。

 すると、突然男の1人、ギョロ目の男が下卑た笑顔を浮かべ走り出す。


「オラァ!!」


「ギャアアアアアアア!!!!!」


 男は囚人服を着た男に掴みかかり、殴る。


「メイデンさん。目標はロザリオを持った奴と、黒髪の奴で間違い無いんだな。」


「…………ああ。その2人が今回の件の首謀者だ。」


「なんだ?じゃあこいつは違うのかよ。」

 そう言ってギョロ目の男が2人に寄ってくる。その手には血だらけの囚人が引きずられていた。


「どう見ても違うだろ。

 ………"聖なる消失"の中にでも入れておけ。」


「おー。それにしてもさっきから歩いてるけどそんな奴本当にいるのか?」


「おそらく逃げているんだろうな。小賢しい奴らめ!」


「俺は逃げてくれた方が楽しくていいんだけどなぁ…」


「ジェノア。余計なことは言うな。」


 男たちはなおも歩いていく。"0の黒籠"の奥へ奥へと。

 多数の負傷者を出しながらも彼らは堕ちていく。

 階段は壊してしまったので自然とその残骸らしきものを辿って下へと行く。


「あの餓鬼も、カツミも、俺のことをコケにしやがって………いいぜ、その気なら俺の力を見せてやる。

 いやあいつらだけじゃねぇ。俺はこんなところで終わるような男じゃねぇ。

 いずれはカルテル王だって殺して俺が王になってやる。いや、ゆくゆくはこの大陸を支配するほどの男に………」


 メイデンは焦点の定まらない目で何やら口ずさんでいる。


 ハレルヤはそれを黙って聴きながら床を踏んでいく。



「え?」



 素っ頓狂な声は監獄に響いた。


 誰の声だろうか、とメイデンは考える。


 いくら考えてもわからない答えは意外なところから見つかった。


 自分の体を貫いていたハレルヤの手がその全てを物語っていた。






 ☆



「ガっ!?!?」



 俺は自分の体を貫いた衝撃に思考が弾けた。


 胸を見下ろすと、無骨な手が俺から生えていた。

 その手には見覚えがあった。

 俺はゆっくりと振り返る。


 そこにはやはり見慣れた男が立っていた。


「ハレルヤ…………貴様………」


 ハレルヤは普段滅多に表情を変えない。

 いつも仏頂面だ。それは一種のトレードマークだったはずなのに。

 そのハレルヤが珍しく笑った。


「メイデンさん……いや、メイデン。

 お前には本当に世話になったよ。

 最初に監獄に入れられたときはこの世の終わりかと思ったぜ。

 前科は山ほどあったし、黒籠って言ったら脱獄は普通に考えて困難だ、他の監獄とは訳が違う。

 だからあんたに誘われたときは本当に神かと思ったよ。今は見る影もないけどな。」


 ジュノアのギョロ目が俺に向くのを視線で感じた。


「あんたも馬鹿だよな。俺たちは殺人鬼だぜ?

 今更贅沢な暮らしなんて求めてねぇんだよ。

 そう言えばあんた傭兵崩れだっけ?

 はは!おつむが足りてねぇみてぇだな。」


 俺の体が急激に冷えていくのを感じる。

 血が抜けてきたのだ。



 メイデンは言わずもがな元傭兵だ。

 西の大国ロッドリンでは"十九日戦争"で活躍し、それなりに名が通っていた弓の名手だった。

 メイデンの名前はその界隈では有名だったし、メイデンも自分の実力には自信を持っていた。

 しかし彼の人生に契機が訪れる。

 怪我により左目の視力が奪われたのだ。


 しかし不幸中の幸い。

 メイデンを看守に誘いたいというものが現れたのだ。

 メイデンは行き勇んでこの誘いに乗った。


 そして彼は変わった。

 今までその労働力を搾取される側だった。弱者だった。それがどうだ?

 命がけに戦って得る賃金よりも、

 何もせずただ囚人たちを歩いて見て回るだけで倍以上の賃金がもらえるではないか。


 メイデンはこの世の真理を見た気分だった。


 搾取される側から、搾取する側に。

 それは全人類の夢だ。皆がそう思っている。


 そして彼はなったのだ。

 0の黒籠の王に彼はなったのだ。

 この監獄の中なら彼は王様になれたのだ。


 それからの彼は暴君そのものだった。

 仮初の王の気分を味わった。 


 だからなのかもしれない。

 彼が最後に求めたものは強さだった。

 権力も財力も、武力には決して敵わない。

 奪ってしまえばいいのだ。

 武力を失い権力に泣きついた彼が下した結論はあまりにも矛盾していた。

 彼は求めた。

 財力と権力で得られる武力を。

 それなのに………



「ぐううううううううううう!?!?」


 俺から手を抜き取ったハレルヤは俺を蹴り離した。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い


 傭兵を辞めて以来、味わったことのない痛み。


 いや、傭兵をやっていた時もこんな痛みは味わったことなどない。


 体から力が抜けていく。


 血と同時に流れ出ていくものを俺は感じた。

 なんだこれは?


 これはそうだ。

 俺の力だ。俺のかき集めた権力だ。

 これがあれば俺は何にでもなれた。


 きっとあの忌まわしきカルテル王だって、

 "聖なる消滅"があれば王城ごと亡き者にすることだってできた。


 黒籠を抜け出して俺が王になることだってできたんだ!!!



「ガァァッ!」

 少し体を動かしただけで体が悲鳴をあげた。


 嫌だ、死にたくない。

 嫌だ!!!!




 俺の目に一人の囚人が止まる。


 まだ年端もいかない少女だった。

 俺を見て怯えたような顔をしている。


「おい!!!そこの女!!!!」


 少女が驚いたような顔を俺に向ける。


「そうだ!お前だ!!」


 俺は夢中で叫ぶ。

 その瞬間にも俺の胸元からは血が吹き出ていた。


「今すぐに俺を助けろ!いくらでも金は払う!!

 サァ早く!!!」


「あ……」


「なんだ!?言ってみろ!!!

 なんでも叶えてやる!だから俺を助けろ…ゴホッ!」


 血が口から噴き出る。

 なんだ首から下の感覚がない。


 女はキョロキョロと助けを求めるように辺りを見る。

 なんだこの女は何をしている。

 なぜ俺を助けない。


「くそぅ!小汚い女がぁ!!!

 いいから助けろ!!!お前は首を縦に振って俺を助けるだけでいいんだ!!!

 そうだ!俺の嫁にしてやろう!それがいい!!!

 だから俺を助けろ!!!!!」



「何をしている!!!!ゴホッ!早く!!!!」



「冷たい!!!なんだこれは!!!嫌だ!!!!」




「嫌ダァァァァ!!!!!死にたくないいいいい」







 そこは真っ黒な闇の中だった。


 何も見えず、聞こえず、匂わず、感じなかった。


「あ……」


 さっきの少女の声が、聞こえる。

 その声は近くにまできていた。


「なんだ!やっと来たのかトロトロしやがって!

 お前…………は………………」


 そこにいたのは500を超えるほどの亡霊だった。


 何人かに見覚えがある。

 俺が殺してきた、命を奪ってきた者たちの顔だった。



「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」

「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」

「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」「あ……」

「あ……………………………………………」



「ガァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」




「じゃあな、メイデン。地獄で会おうな。」


 誰かの声が聞こえた。


 そして消えた。






 ☆


 ハレルヤの目の前には冷たくなった首のないメイデンの死体があり、彼はそれに対して手を合わせる。


「死者への礼儀は大事だ。

 彼らがいたおかげで俺は最大の幸福を味わうことができたのだから。

 知ってるか?人の首っていうのは意外と重たいんだ。

 それこそ、お前が思っている以上にな。


 俺はその重さを感じている時、自分が生きているという感覚を得ることができる。


 生きるということは素晴らしいことだ。」



 ハレルヤはメイデンの首を拾い上げる。


 ジュノアはそれを止めない。むしろその口元には笑みが浮かんでいた。


「やっぱりだ。やっぱり貴方の首はとても軽い。」


 ハレルヤはそう言ってメイデンの首を抉り取られた穴の中に投げ入れた。



 ハレルヤがその穴の向こう、虚空へと顔を向ける。


「さて、脱獄犯。

 お前の首の重さで俺は何を見ることができるのか?」



 ハレルヤは首の骨を鳴らして、そう言うのだった。

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