第2話 宵闇の黒籠



 窓がなく、吐いた息の行き場すら見当たらない気がした。


 ひどく薄暗い部屋の中で、唯一の光源は扉に開いている鉄格子の窓から差し込む光だけだった。


 この無機質な部屋に入れられ、一体何日が経ったのだろうか?

 もしかしたら一週間は経ったのかも知れない。いや、まだ一日も経ってないのか?

 そう思うほどにこの場所は静かで重々しかったのだ。


 俺の口から漏れる吐息が、暗闇の中に消えていった。この部屋はひどく寒い。

 季節は冬ではなかったはずなのにな、と考える。



 あのとき、マミヤを追いかけた俺は十字傷の男を視認した瞬間意識を手放した。


 そして気づいたらこの部屋で寝ていた。


 気づけばあの銀のロザリオ、いや、剣も手元にはない。今ならわかる。あの剣がなければ俺はあの鉄服の三人にすら勝てなかっただろう。


 だが、その剣も奪われた。


 俺はどうすればいい?どうすればマミヤに会える?俺は手首に巻かれた鉄の輪の連なったものを見る。


 動かせばジャラジャラと音が鳴る。これは鎖というものだとマミヤは言っていた。

 もっとも俺が見た時のそれは錆だらけで原型はよくわからなかったので、俺は手首に巻かれたそれを物珍しい気分を含みながら見ていた。ひどく冷たいのだなと思う。そして重い。

  ドギツイ鉄の匂いが俺の頭をクラクラさせた。



「畜生……」

 牢獄には俺が手錠を揺らす音だけが反響していた。



 フツフツと暗闇の中に怒りが巻き起こる。怒りだけじゃない。怒りを赤と例えたら、青色のような感情が胸の中を渦巻いていた。

 そしてその感情はとめどない。



「あの野郎。今度あったらぶん殴ってやる。」


 あの野郎とはマミヤのことだ。

 俺はギシギシと拳を震わせ、それに続くように鎖が揺れる。


「くそ…………」


 だがずっと力を込めているわけにもいかず俺は掌の筋肉を弛緩させる。

 鎖はやはりそれに付き従うようにダラリと垂れた。

 俺は鉄格子の窓を見上げる。




「あいつと話がしてえ……………………」




 カツン、カツン、と硬質な足音を鳴らしながら降りてくる人影が一つ。


 あれからどのぐらい経ったのだろうか?


 自分の手にまとわりつく手錠をどうにか壊さないかと試行錯誤していた俺は、その人影が鉄格子の窓越しに自分の視界に影を落としたことで初めてその存在に気付いた。


「誰かいるのか?」


「この監獄の看守だ。見習いだけどな。」


 その姿は扉に遮られ影しか見えない。


 何かを引きずる音と、軋む音がする。

 椅子にでも座ったのだろうか。


「その看守さんが何してるんだ。」


「見てわからないか?読書だ。」


「…見えねぇんだよ。ていうか、なんで俺の檻の目の前で読書なんてしてんのかって聞いてんだよ。」


「お前の手錠の音がうるさいと他の囚人たちが喚いせいで、俺が駆り出されたんだ。監視しろってな。あの小太りさんの仕事だったのに押し付けられたんだぜ、まったくついてねぇ。あとこれはお前の檻じゃねぇ、監獄側の用意した檻な。」


「随分お喋りだなこの野郎。いや待てよお前本当に男か?見なくてもわかるぞ、お前ナヨナヨしてるだろ絶対。絶対ナヨナヨしてる。あと、んなこと言われなくても察しろエセ読書家。」


「男に決まってんだろ。俺がナヨナヨだったらお前はガリガリだろうがよまじではっ飛ばすぞてめぇ。あと誰がエセ読書家だこの野郎。お前本なんか読んだことねーだろ。」


「あ?じゃあその本なんて読んであるんだよ?」


「…………字は勉強中なんだ。」


「馬鹿が調子のんじゃねぇ!」


「shit!!社会から消えてしまえ!」


 男は檻を蹴る。

 なんだこいつ、最初はマミヤみたいに頭が良いやつだと思ったのに俺と同レベルの馬鹿ってことじゃねぇか。


「失礼。俺はここではお堅いキャラで通ってるんだ。わかったらお前も罪を悔い改めろ。罰は罰で受けると思うけどな。」

 男は笑う。


 ひとしきり話し終わったのだろうか?男は急に黙り込んだ。ペラペラと音がする。どうやら本は本当に読んでいるらしい。


 俺は中断された手錠いじりに戻る。ジャラジャラと金属音が独房に響く。

 こんなにうるさいんじゃ本なんか読んでらんないだろうな、と思った。


 案の定ガツンと扉を蹴る音がしたので俺は一時的にうごを止めたが、何で俺が従わなければならないのかと思い、また手錠をガチャガチャと弄り始めた。


 しばらくして痺れを切らしたように男が喋り出す。


「ちっ!どうせ言ってもやめねぇと思うけど、力づくじゃあその手錠は壊れないぜ。それこそドラゴンとか、鬼じゃない限りな。」


「なんだよドラゴンって。あと鬼とか?」


「あ?」


 力自慢でもいるのか?穴にもいたなそういうやつ。よくマミヤと野次馬に混じって見てた。


 男は不思議そうな声を上げたあと、何かを思い出したかのように眉を上げた。


「あー…そういやお前はあの"ゴミ箱"の出身か。じゃあ知らなくてもおかしくはないわけだな。いいぜ、話してやるよ。この本つまんないんだ。」


「読めないんじゃな。」


「うるせぇよ。」


 男が椅子に座り直す音が聞こえる。

 どうやら本当にお喋りな性格らしい、話す気満々だ。


「いいか?まあ、かいつまんで話すとしようか。まずこの大陸パプリカには大小17の国で作られている。細かく言えばもっとあるだろうけどな。」


「大陸ってなんだ?」


 静寂が流れる。疑問への答えが返されない俺は当然不思議に思う。


「え?」

 俺が素っ頓狂な声をあげると男はは嘆息した。


「…あー、おけおけ教える。えっとそうだな……お前が生まれた場所、穴の外には穴の中よりももっと広い世界が広がっているっていうのはわかるか?」


 どうやら会話を続けてくれるそうなので俺は安堵する。男は丁寧に丁寧に噛み砕いて説明しようとしてくれているらしく、俺に文字を教えるマミヤのようになっていた。


「その広い世界、広い地面があるとして、それはぐるりと水に囲まれている。それが海だ。」


「海……聞いたことあるぞ。」


「んで、海に囲まれた地面、それが大陸だ。」


 俺は頭の中で情報を組み立てていく。


(海に囲まれているってところが大切なのか。)


 男は続ける。


「ここ。俺たちが今いる大陸の名前がパプリカだ。パプリカは17個の国と、無支配地域で成立している。

 でもまぁ、つっても13の国はおまけみたいなもんで4つの国が中心であとはおまけってとこかな、この国もそう…ちなみに国っていうのは、人の集まりって思っとけば今はいいだろ。穴の中でも一緒に連む奴とか、大体決まってたろ?そのでかい版だ。」


 じゃあ俺とマミヤも国だったのだろうか?

 2人だけの国という奴だろう。


「んで、今までのが前置きの話で、ここからが本題なんだけど……各地には魔物と呼ばれる怪物が存在する。

 正体不明の超生物。その凶暴さで多くの人命を奪ってきた。これを通称として"堕獣"と言う。ドラゴンと鬼は"堕獣"のなかで最もメジャーな例だな。」


「野犬とかとは違うのか?」


「………まあ、お前からしてみれば似たようなものかもな。」


「いまいち想像できないな。」


「あいにく"ゴミ箱"にはいなかったみたいだからな。」


「……………」


 俺は先ほどから気になっていた単語を聞く。


「…おいさっきから"ゴミ箱"ってなんだ?」


「あ?ああ。なるほど。お前が住んでた穴、あるだろ?あれは大陸中の廃棄物を捨て置くための穴なんだよ。

 正式名称は"ゴミステーション7"

 俺なんかは"ゴミ箱"って言い方するけど、まあ、あの穴のことだ。」


「…………」


 ゴミ捨て場なんて思ってたけど本当にそういう扱いだったんだな。

 よく生きてこれたな俺。


 それもマミヤのおかげ、か。

 俺の目は少し冷たくなる。


「………続けるぞ。さっきのドラゴンも鬼も魔物の一種だ。強さに定評がある。」


 ふと俺は頭に浮かんだ疑問を男に問う。

「お前は見たことあるか?そのドラゴンってやつ。」



 すると、男は数秒黙ったのち、何もなかったように言った。


「ないね。」









 しばらく沈黙が続いた。ただ金属音だけが響く。俺が鎖を弄る音だ。


「俺ばかり話すのはつまらないな。こうしよう。俺とお前で交互に質問をする。答えられる質問なら答える。答えられないなら答えなくてもいいけど自分からする質問もなし。」


 この提案は実を言うと俺にとってはありがたいものだった。

 俺の弱点は圧倒的な情報量のなさだろう。


 スッた相手から逃げるにはその地形を利用するためにも、相手の性格に合わせて作戦を考えるためにも情報が一番大切なのだとマミヤはよく言っていた。


 犯罪行為にそこまで頭を使えるのだからろくな死に方はしないだろう。

 それはそれとして、俺は男の要望に答える。


「…いいぜ。次はお前の番ってことな。」


「そういうこと。じょあまず、お前歳は?」


 俺は思わず拍子抜けする。

「そんなことでいいのか?」


「別に、ただの興味本位だ。」


「確か、今年で15になる。」


「……同い年か。」


 俺は驚いた。自分と同じ歳で看守という肩書きを名乗っている者もいるのだ。

 穴…いや、"ゴミステーション7"か?その中では働くという概念がなかったので俺に取って、椅子に座っているのであろうこの不気味な男が自分と同い年だということが信じられなかった。


ソラは目を見張ったまま、自分の質問を考える。


「…俺の番な。あいつら、あの鉄の服を着た奴らはなんだ?」


「鉄の服?あぁ、はは。お前からはそう見えるんだな。あれは、星架隊。サーグリッド教会のお抱え騎士団だ。各国から選りすぐりの腕自慢が集まってる。まあ、それだけサーグリッド教の力は広いってことだな。」


 教会?サーグリッド教ってなんだ?


「教会ってなんだ?」


「次は俺の番だぞ。……そうだな。好きな女のタイプは?」


「さっきから意味のない質問しかしないのな。悪いけど、この17年間、見た女は追い剥ぎの婆さんとか、ミイラみたいな人かもわからないやつばっかでよくわか…」


 …いや、マミヤは女だったのか。本当に?

 俺のなかでマミヤの白い服がぐるぐると回る。


「じゃ、今のなし。」

 男は楽しそうに笑う。そんなのありかよ。


「そうだな、じゃあ、」

 息を吸う音が響いた。


 俺は男との話に夢中になり、手錠の音が止んでいたことに気づき、なんとなく尺なのでまたガチャガチャと手を動かし始める。





「なんで星架隊に喧嘩を売った?

 お前の身に何が起こった?

 これからお前はどうしたい?」





 俺は作業を止める。


「…………質問は一個までじゃないのかよ?」


「shit……そんなことは言ってないぜ?交互にと俺は言ったんだ。」


 男は片方の口の端を上げる。

 無論俺から見えていないので、あくまで俺の想像だ。


 俺は隠すことでもないだろうと、むしろ聞いてほしいぐらいの気持ちで答える。

 自分の気持ちを整理するためにも俺には必要だったのだろう。


「簡単に言えば、友達だと思ってたやつに何も言わず捨てられた。」


「簡単に言うな。くわしく言えば?」


「………ちっ!ずっとつるんでた友達が"使徒"とかいう奴で、しかも女だった。

 何も言わずに鉄服、星架隊?とかいう奴らについて行こうとしたから止めたらボコられてこの場所に入れられた。

 これから俺はその友だちと、ついでに俺を切った男も殴るためにこの牢を出たい。

 これで満足か?」


「ほーん……次はお前の番な。」


 男は淡々と続ける。ある程度は事前に調べがついていたのであろう。要は俺への嫌がらせだったらしい。


 俺は男に聞こえるように舌打ちした。

「ちっ!教会ってなんだ?」


「ああ、そうだな。女神様に祈るための場所、および組織ってところか。」


「…………」


「教えについては俺もくわしく知らないけど、なんでも、今起きてる苦しみも女神に祈れば万事解決、みんなハッピーみたいな。

 お前が更生するっつぅんなら今度本でも持ってきてやるよ、俺は絶対読まないし、てか読めねぇけど。」


「俺だって読めない。」


「だろうな。要するに女神の愛を望む不幸な人間でできた組織。それが教会。特にサーグリッドはたくさんな国と関わりを持つ最大規模の教会。こんなもんだろ。」


「なるほどな。一応わかった。」


 マミヤはこのことを知っていたのか。

 あいつは俺と一緒にいて不幸だったのか?

 俺は…あいつと一緒にいて不幸だったのか?


「次だ。これで俺からの質問は最後。俺も疲れたからな。」

 男は機械のような、抑揚のない声でそう告げる。





「ソラ、なんでそこまでして、自分を裏切った奴に会いたいんだ?」





「あ?だから一発殴ってやるためだって。」


 ……なんだ?さっきからこいつの喋り方。

 さっきまでと違う。

 まるで何かを確認するみたいな。


「それにしてもだ。その"使徒"って奴に一発殴ってやるためだけに、復讐のためにお前は自分の命を犠牲にしてでも、この監獄から出ようと思うのか?

 だったら、きっと、このままそいつのことなんて忘れて今までどおり暮らすべきなんじゃないか?

 なんなら教会に忠誠を誓えば、穴から出てそれなりの仕事に就けると思うぞ。それでもお前はそいつに会いたいと、そう思うのか?」






 そう言われて、俺は考える。

 確かに、このまま手を引いたほうがずっといいだろう。マミヤに会えるかもわからないし、いつ死ぬかもわからないし、なんならこの部屋で一生を終えるかもしれない。




 俺は本当にマミヤに会いたいのか?




「俺は……」

 違うんだ。きっと俺が願っているのはマミヤへの復讐なんかじゃない。

 ただ、マミヤに会いたいだけなんだ。


「俺はあいつに会いたい。会って話したいだけだ。」


「会って、何を話すんだよ。」


 俺は男のいる方角を見る。男の真剣な声に違和感を覚えたのだ。


「教えろよ。」

 男は俺だけを見ているような気がした。




 "ソラ、俺もお前と会えてよかったってそう思うよ。"

 あの日の言葉がフラッシュバックする。




 俺が話したいことはなんだ?


 俺が話したかったことはなんだ?


 俺があいつに言ってほしかったことは?


 俺が、伝えられることはなんだ?





「…………確かに、あいつは、隠し事は多いし、俺を捨てていったし、何も言ってくれなかったし、それでも俺は、俺は、あいつを嫌いになんかなれない。それはきっとこれからもずっとそうなんだ。


 あいつと会って話したい。


 答えてくれなくてもいいから聞いてほしい。」


 俺の口から出るその言葉に淀みはなかった。






「一緒にいてくれてありがとう。

………それだけ、俺は伝えたかった。」



 男は黙っていた。


 俺も黙っていた。



 やがて男が口を開く。

 ギシリと、椅子がきしめく音が聞こえた。


「本当は苦情なんて入ってない。この独房は勝手に受刑者同士が話せないようになってる。話すにはこうやってこの窓の近くで話さなきゃならない。」


「あ?じゃあなんで、」


「お前の話を聞いて、面白そうな奴だと思った。信じてた人に裏切られても、会いたいと、そう思えるお前のことを知りたかった。

…それだけ。質問を交互にしようって言ったのも最後のが聞きたかっただけで、あとは適当に聞いたんだ。なに、ただの暇つぶしだ。」

 男はそう言って立つと椅子を持ち上げる。


 もしかして、こいつも、俺と同じような境遇なのだろうか。


 俺は声をかけようと口を開いた。



「!」



 瞬間、大きな音が鳴り響いた。

 まるで何かが壁に激突するような。


「な、なんだ!?」


「……処刑台の音だ。」


「……なあ、 一体ここはどこなんだ?」 


「言ったろ。ここは監獄。サーグリッド教会が誇る螺旋型監獄"黒籠"の一つ、通称"0の黒籠"

 お前がその手錠を外すことに成功したとしてもまずこの監獄からは出れねぇよ。」 


「さっきから思ってたんだが、お前もその、サーグリッド教とかいうやつの信者なのか?」


「いいや別に。こうは言ってはなんだけどお祈りなんてしたことないさ。ただ仕事は仕事だしな。牢を見て回って、たまにお前みたいなやつの相手してればそれで食っていける。なんとも楽な仕事だ。」


「…………………」


 俺はそんなことで生きている方法があるのかと手錠から男へと視線を向ける。


 男はこちらを値踏みするように見ていた。

 まるでいつ爆発するかわからない爆弾をじっと見守るように。そして、口をゆっくりと開ける。




「……ただ一つだけ、欠点があるとすればそれは、この生活はとてもつまらない。

 ただそれだけ。」




 死にそうなほどにな、そう言うと男は黙り込んだ。

 息を吐き、男は椅子から立つ。


「まあ、お前との会話もいい暇つぶしになった…………じゃあな。」 


 俺は遠ざかる男の靴音を聞いていた。

 俺はきっと、この男にかける言葉を知っている。






「まだ、俺の最後の質問が残ってる。」


「…………なんだ?」


 振り返ったであろう男に俺は言う。

 こいつ、絶対俺が言おうとしてることわかってるな。

 だったらとことん手の上で踊ってやろうと俺は笑った。




「俺がお前にお前の人生変わっちまうぐらい面白いもの見せてやる、そう言ったらお前は俺の脱走を助けてくれるか?」


「…………」



 男が笑う声が聞こえた。


「……あいにく、俺はお前みたいにいつ死ぬかわからない身じゃねぇし、それなりに安定した生活ももってる。だから」


 男はそう言いながら、登っていた螺旋階段を降りてくる。


 カツン、カツン、と硬質な、それでいて、確かな足音が近づいてくる。

 そして、ガチャンと、音がする。




 俺の牢が———————開いた。



 そこにいたのは一人の痩せ身の男だった。


 髪は真っ黒で、筋の通った鼻とツリ目が人相の悪さを強調している。

 頰には二つ、黒子が縦に並んでいた。

 全体的に黒い男だ、ソラはそう思った。

 首に付けられているチョーカーがいやに目立っていた。


 そして男はゆっくりと口を開いた。


「それ全部捨てて助けてやるんだ。退屈させてくれるなよ?ソラ。」


 そう言って男は俺の手錠を力づくで、


「!?」


 —————————壊した。


「ハハッ!これは運命だぜ!ソラ!」


 男は不敵に笑う。しかし、その笑みも見慣れればなんてことはない、ただの気持ち悪い笑顔でしかないのだから。


 そして俺は何だがその笑みが気に入った。


 男が俺に手を伸ばしてくる。


 俺はその手をつかむ。

 男はグッと俺を引き寄せた。


 俺と男の顔が近づく。



「お前、名前は?」



「カツミだ。姓はねえ。」



 引き寄せたその手を俺たちは硬く結ぶ。

 それは握手だった。


 俺は男を真似た、気持ちの悪い笑みを浮かべこう言うのだ。

「さぁ、カツミ。」




『運命』

 そうかも知れない。きっとこの出会いは、俺の人生を大きく変えることになるだろう。


 何故だかそんな気がしていた。


 こいつが俺にとって天使になるのか、悪魔になるのかそれとも別の何かか。


 そんなことはどうでも良いと思った。



 利用してやるし、利用されてやるよ。



 そして、お前にたどり着くぜ?マミヤ。



「脱走劇の始まりだ。」




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