ぼくと彼女の恋愛観
夏秋郁仁
ひそやかな話
ぼくの、高校の頃の話だ。
好きな子がいた。
さらりとしたきれいな黒髪と、キラキラ輝く目と、桜色の頬と唇。
ぼくはなにより、楽しそうにものごとを見つめて笑う、彼女の表情が好きだった。
世界でいちばん幸せ、と言うように、目を細めて笑うところが好きだった。
卒業式前日のこと。
ぼくは告白する気はさらさらなく、ただの憧れで彼女を好きでいたので『あぁ、彼女の笑い顔を見れなくなるのは残念だな』としか考えてなかった。
そんなことを思いながら、ぼんやりと、授業を受ける彼女を見ていた。
――あ、でも。
と、その時思ったのだ。
もし、今日の放課後、彼女とふたりになれたら、告白してもいいかも。明日は卒業式なんだから、フラれても別に大丈夫だ。彼女に認識されているかどうかすら分からないけど、まぁ、高校生活最後の青春ってことで。
そんなことを考えついて、わくわくしながら、ぼくは一日が過ぎるのを待ったのだった。
***
じゃあなー、と友人と挨拶を交わし、誰もいない教室で、夕やけを見る。
そう、“誰もいない”のだ。彼女だけ残っているなんて、そんな都合のいいことないよなーと自嘲しつつも、一縷の希望を込めて、太陽が沈むのを眺めていた。
「あれ」
ふと、扉の方から知った声がした。彼女だ、と動揺して、がたりと大きな音を出してしまった。
「ってびっくりした! え、ごめん、驚かせた?」
驚いている彼女に向けて、慌てて
「いや、大丈夫」
と弁解する。
「誰もいないと思ってたよー……んー、ちょっとおしゃべりする? 時間大丈夫かな?」
ほっと息をついたと思えば、そんなことを言いながら彼女はぼくの隣に座った。緊張緊張緊張。深呼吸を忘れるな、ぼく。
「じ、時間、余裕あるよ。ぼくも話してみたかったんだ」
「え、そうなの? あ、そういえば、クラスずっと一緒なのに会話したこと、なかったっけ」
「……覚えてくれてるの?」
とぽつりと呟くと、彼女はぼくの好きな表情で、クスクスと声をあげた。
「あたりまえだよ。むしろわたしの方こそ知られてないと思ってた」
「それこそそんなことないよ! 美人って学年でも学校でも有名で――って、あ……」
言ってしまった、と口を押えるぼくを彼女は笑う。
「わたし、有名だったの? 知らなかったな」
そこで彼女はひとつ伸びをして、いたずらっぽい顔になった。
「ところでさ。突然だけど、嫌いの反対って、なんだと思う?」
「ほんとに突然だね……うーん、す、好き、じゃないの?」
「でもさ、じゃあさ。好きの反対は無関心だよっていうの、聞いたことない?」
「むかんしん。好きの反対は無関心? ……聞いたことあるような……」
「でしょ? ……で、わたしはね、嫌いって好きと同じ分類に入ると思うんだよね」
「好きと嫌いは根っこは同じってこと?」
首をかしげたぼくに、彼女はくすりと笑った。
「そう……すんなりわかってもらったのって、初めてかも……だってね、嫌いって判断するってことはさ、それだけ知ってるってことじゃない?」
「あぁ、そうかも……うん、ぼくもそう思う。あれ、じゃあ、好きの反対も嫌いの反対も、無関心なのかな?」
そこで彼女は、にっこりと、口の端だけで笑ったのだった。
ぼくは初めて、彼女のひとみは夕やけの下でも、真っ黒に見えると知った。
笑い顔は好きだけど、その時の彼女の笑みは、不吉な黒猫のようだった。
「わたしは、嫌いの反対は盲目だと思うの。知ってるからよく思わないの反対は、知らないから幸せ」
彼女は立ち上がる。ガタッと教室に大きな音を響かせ、口の端だけで笑いながら
「じゃあね」
と出ていった。
それからの彼女は知らない。彼女は、卒業式にも来なかったから。
***
あれから長い時間が経った。数年前に、彼女は幼い頃から虐待を受けていて、卒業式前日に耐えきれず失踪したと、人づてに聞いた。何も残さずに消えたらしい。
けれども、ぼくの部屋にはひからびた眼球がふたつある。
卒業式から帰ってきたら、郵便受けにぼく宛ての箱があって、中身が瓶に入ったそれだった。ぎょっとしたけど、彼女の黒いひとみに思えて、今でも妻にも子どもたちにも内緒でとってある。
時々、きっと彼女は盲目で在りたかったのだろう、なんて思いながら、眼球を見つめて酒を飲む。今思うと、彼女の黒猫のような不吉な笑顔に感じたのは、恐怖や不安だったのかもしれない。その時ぼくが何を思ったのか、正確には覚えていない。でも、彼女の価値観だけは、もちろん覚えている。
ぼくの恋愛観は、好きの反対は無関心、嫌いの反対は盲目と、あの日から決まっている。
ぼくと彼女の恋愛観 夏秋郁仁 @natuaki01
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます