~中編~




 そうして次の日の土曜日。紺のカットソーに膝下の短パンというラフな格好をした僕は、家の近くにある書店で『漆黒の残照』というなんか良さげなミステリー小説を購入。そうしてそのまま意識不明な月見さんが入院している病院へ行った。


 彼女の病室があるのは五階の脳神経外科のうしんけいげか病棟びょうとう


 実を言うと月見さんのお見舞いは初めてではない。これまでも週に一度病院に行っているし、お見舞いはこれで四回目。彼女の母親―――陽香里ひかりさんには既に面会の許可は頂いているし、病院の受付の看護師のお姉さんも僕の顔を覚えていた。


 僕は『501』と書かれた扉の取手とってに手を掛ける。そして、既に慣れた動作でゆっくりと扉をスライドさせた。



「―――――――――――――――」

「…………月見さん、来たよ」



 そこにいたのは、頭に包帯をぐるぐる巻きにしてベッドで寝ている月見さん。彼女は、この同級生の美少女、月見つきみ 綺零きれいはまるで死んだかのように眠っていた。

 ピッ、ピッ、と等間隔に鳴る人工呼吸器と栄養を流し込む点滴など何本ものチューブで繋がれたその彼女の姿は痛々しくも儚さがあった。


 カーテンを開けきって全開になった窓からは、雲一つない晴天の青空と爽やかな風が入り込んでいた。たぶん今日も母親が面会に来ていたのだろう。月見さんの近くに置かれている花瓶には、アジサイ科の若干黄緑きみどり掛かった白い花が何本も差し込まれてあった。


 確か、この花は…………。



「―――あぁ、榎本えのもとくん。こんにちは、今日も来てくれたのね。いつも綺零のお見舞いに来てくれてありがとう」

「こんにちは。……いえ、好きでしてることですから」



 開けられた病室の入り口の先には、月見さんと似た長い黒髪の美女が頬に手を当てて微笑んでいた。


 彼女の名前は月見つきみ 陽香里ひかりさん。月見さんのお母さんだ。月見さんの美貌はこの女性から受け継がれたのだと分かる整った容姿。たった一つだけ違うところがあるとすれば、月見さんはぱっちりとしたアーモンドアイをしているのに対し陽香里さんはおっとりとした性格と分かる穏やかな細目をしていた。


 お手洗いに行っていたのだろう、その手には水色のハンカチが握られていた。


 先程名字で呼ばれた僕、榎本えのもと 太陽たいようは彼女から勧められて近くにあった丸椅子に座る。先程購入したミステリー小説の入った紙袋を棚に置き、そして花瓶に添えられた花を見つめながら陽香里さんに話し掛けた。



「そういえば、あの花って……」

「あぁ、アジサイ科のアナベルっていうお花よ。白くて、丸くて、とても可愛いでしょう? このが小さい頃からとても大好きだったお花なの。……目覚めたとき、近くに好きな物があったら嬉しいと思って」

「………………そう、ですね」



 陽香里さんは表情や声を明るく振る舞いつつも、どこか元気が無かった。それもそうだろう。シングルマザーとして育て上げた大事な娘が意識不明の重体なのだ。心中穏やかでいられないのも無理はない。


 それでもなお笑顔であり続けるのは、月見さんの回復を信じているから。



「ごめんなさい、何か飲み物でも買ってくるわね。若い子同士積もる話もあるでしょうし、ね?」

「あ、お構いなく」

「ふふふっ、せっかく綺零のイイ人が来てくれたんだからこれくらいさせて頂戴ちょうだい。コーヒーで良かったわよね? 今日は奮発しちゃうわよ~!」



 そう言うと返事も聞かず陽香里さんはこの病室を出て行ってしまった。……イイ人、か。もちろん将来的にはそういう関係にはなりたいけど……。


 ……………………。



「なんか変な感じ。高校がある日は毎日放課後図書室で会って喋っているのに、キミはずっと眠ってる」



 僕は月見さんに話し掛ける。返事は、ない。


 因みに陽香里さんは僕が幽霊となった月見さんが視えるという事実を知らない。何度か伝えようとしたが、その度に『あまり心配を掛けたくはないわ』と寂しげに言っていた月見さんの言葉を思い出して出来なかった。


 そのまま言葉を続ける。



「……僕さ、キミが初恋だったんだ。あのカフェで。一目惚ひとめぼれって、言った方が良いかな」



 きっかけはたまたま入ったカフェで、帽子と眼鏡を掛けた月見さんが景色の見えるカフェのテラス席で優雅に紅茶とケーキのセットを食べながら優雅に読書する姿を見掛けたときだったな。


 正直、その時点ではキミが隣のクラスで有名な三女神の一人『月の女神』と呼ばれる月見さんだとは知らなかったわけだけれどもさ。


 もっとキミを近くでながめたくて、近くの空いていたテラス席に座ったのが懐かしい。



「そしたらあんな強引なチャラ男って実際にいるんだね。月見さんの座るテーブルの席に三人のチャラ男が座ったと思ったらいきなり口説き始めるんだから」



 "君カワイイねぇ。ひとり?"、"あ、スマホ持ってる? 連絡先交換しよーよ"、"本読んでるより俺らと遊ぶ方がよっぽど楽しいってー!"ってバカみたいに大きい声出しててさ。キミ、迷惑そうな顔してたね。


 気が付いたら僕の身体は動いていた。ふふっ、まぁ僕なんかの手助けが無くても、もしかしたらキミはあの場を乗り切れたかもしれないけど。



「間に入ったらそれが癇に障ったのか殴られて、スマホですぐに警察に電話しようとしたら逃げてった。……まぁ、今となってはもっとスマートな解決法があっただろうって後悔してるんだけどね」



 お店にも迷惑をかけたし、カッコ悪いったらありゃしない。でも、そこで初めて僕はキミが高校で有名な月見さんだということを知ったんだ。



「それからというものの、僕は学校で何度も月見さんに話し掛けたね。朝は何を食べてきたのかとか、好きな物は何かとか、よく出掛けるのとか。……もっと月見さんのことが知りたかったから」



 放課後、よく図書室で一緒に話をした。いくつもの小説を読んでいたキミは退屈そうな表情をしながらも返事を返してくれたよね。……今思えば迷惑だったね。


 次第に少しずつ会話も続くようになって、昨日みたいに軽口を言えるようになったときは嬉しかったなぁ……。―――だからこそ。


 嬉しくても、あんなこと言わなきゃ良かった。



「―――"月が綺麗ですね"なんてさ」



 いつもの放課後、まだ月も出ていないのに僕は調子に乗ってキミに告白をした。キミの名前を用いて告白するなんてロマンチックだと思ったし、普通に僕が月見さんを好きだと伝えても戯言と思われるかもしれなかったから。



「言わなきゃ良かった。逃げなきゃ良かった。固まったキミを見て、拒絶されるのが怖くて……僕はその告白を誤魔化して、逃げるように家に帰った」



 そうしてキミは、階段から転落して意識不明になった。



「…………僕のせい、だよね。あの日からずっと、後悔してる。現に昨日、キミからはこの世で一番嫌いだなんて言われちゃったし」



 月見さんが転落する際にしていた考え事というのもきっとその事だろう。転落して意識不明に繋がった言葉なんてきらって当然だ。


 ……………………。


 そうだ。もう一つ、月見さんに伝えたいことがあったんだった。



「僕さ、寂しくないって言ったけど……あれ、嘘なんだ」



 そう、あれは嘘。弱い僕のちっぽけな見栄みえだ。だって、好きな人の前ではカッコ付けたいだろう?



「もし両親が生きていたら全力で抱き締められたいし、ご飯だって一緒に食べたい。日常の他愛無い話で笑い合って、お風呂に入って……っ、おやすみって……おはようって……行ってらっしゃい……おかえりって言いたいし、言って欲しくってさ……っ。キミからどう見えているのか分からないけど、案外僕ってば、どうしようもなく甘えたがりなんだよ? …………これも全部、僕にとって『大切な人』だから」



 でも、それはね、両親だけじゃなくて―――、



「―――キミもだよ、月見さん」



 僕はいつの間にか両目から溢れていた涙をぬぐうことも忘れて、月見さんの手をギュッと握り締める。

 ここにキミはいない。それでもそこには彼女の生きている証が、ぬくもりが確かにあった。


 眠る彼女を見つめながら僕は言葉を続ける。



「好きでもない僕にこんなことを言われても迷惑なだけかもしれない。自己満足かもしれない。だけど、僕は回復したキミともっと話がしたい。色んな事を知りたい。一緒にお出掛けだってしたい。ほら、オススメの小説だって教えて欲しいし、僕で良ければキミと書店巡りをするのも楽しそう!……ううん、僕は絶対に楽しい! …………だから、さ」



 内に渦巻く色々な感情がぜになる。涙で視界がぼやける。


 キミが助かるのならなんだってする。だから、お願いだから―――、



「キミまで、いなくならないでくれよ……っ」



 病室で最後にキミに紡いだ声は、とても情けないものだった。






























『……………………………………………………』
































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