第8話
「それでは、あなた方はイルミナリ王に接見した後、ユリノイに向かうことになったということですか」
ロビストはミグロと並び、隊列の先頭を歩いていた。僕と岬がその後ろに続き、残りの2匹が僕たちのさらに後ろを囲むようについてくる。ちらりと様子を伺うと、鋭い視線とかち合った。僕は慌てて前に向き直る。
ミグロはロビストの言葉に頷き、ことの次第、つまり岬を人間の世界に帰すという事実を話し始めた。ほう、と呟き振り向いた目が岬を捉えた。探るように、その瞳孔が狭まる。岬が体を僕の方に少しだけ寄せた。
「大丈夫だよ」
いくらユリノイ国のネコとはいえ、見知らぬネコに行く先を委ねるのは不安なのだろう。僕にできることといえば、相も変わらず岬のそばにいる、それだけだ。ミグロにしてもロビストにしても、どんな因果か岬と僕の日常を変え、今もどんどんと知らない世界へ突き進んでいる。
「さあ、出口ですよ」
ロビストがよく響く声を出し、僕たちの視界を正面に向けさせた。白樺の群れが途切れ、外側の景色が透けて見えた。僕たちは隊列を組んだまま前進し、ついに森を抜けた。圧迫感から解放された僕たちの前には、険しい山々が、全く聳えていなかった。
「草原?」岬がぽかんと声を出す。イルミナリ王から預かった地図を思い出す。山の形が連なった場所を想像していた僕たちに、背の低い草が生えた土地がその姿をさらしていた。
「ここが緩衝地帯です」
立ち尽くす僕たちの横で、ロビストが低い声を出す。緩衝地帯、イルミナリ国とユリノイ国の間を隔てる統治の及ばない場所。西日に照らされた草が黄金に煌って見えた。ずっと前、岬と2人で観たテレビでこんな風景を目にしたことがあった。アフリカのサバンナ、野生動物がその肉体と生命を躍動させ、生きることが目的になっている大地だ。
「さあ、進みましょう」ロビストが言葉を続けた。
「いえ、今日はここで休みます。緩衝地帯は明日の朝からと思っていますので」
ミグロがはっきりとした口調で言った。夕刻以降に緩衝地帯に入ってはいけない。イルミナリ国を出るとき、ミグロが発した切迫した声が頭をよぎった。盗賊団、実感のわかないその言葉も、この風景を見ていれば納得がいく。草にまぎれて僕たちの姿を凝視する視線が注がれている気がして、僕は一歩後ずさった。
「緩衝地帯のことは、イルミナリ王から聞いていることでしょう。しかし、心配には及びません。統治の及ばぬ野蛮な土地というのも過去のことです。国に属していなくても、最低限の治安は確保されています」
断定的な言い方に聞こえた。ミグロが怪訝そうな顔をロビストに向けた。僕と岬は2匹のやり取りをじっと聞いていた。
「そなたの国が何か関わっている、ということですか?」
ミグロが探るような視線をロビストに向けた。森を抜けた夕日がミグロの白い体をオレンジ色に染めていた。目に宿った陽光がその鋭さを増していた。
「ユリノイ国の属国として、自治権を与えています。権利を与えれば、民は自らの力で国を守ろうとします。ここからではわかりませんが、もう少し進めば宿場もあります。旅の疲れを癒すのも悪くはないでしょう」
ロビストは腕を広げ、そんなミグロを宥めるように言う。イルミナリ王はそんなことは一言も言っていたなかった。国を隔てていれば知らないこともあるのだろうと思う一方、果たして安全なのか、疑う気持ちもあった。
「ブルー」岬が僕の腕に体を寄せてきた。その体は少し震えていた。何かに怯え、何かを訴えかける瞳の奥に、僕は自分の姿を見つけた。
ロビストとじっと向かい合っていたミグロが、僕たちの方に向き直った。
「緩衝地帯に入ります。ロビスト殿の庇護があれば、危険はないでしょう」
「でも、イルミナリ王が」僕は抗弁をした。短剣と地図を渡された時、イルミナリ王がくれぐれも気をつけろと言ったのがこの緩衝地帯だった。決して夜に立ち入ってはいけない。それはその場所で朝を迎えてはいけないということだ。イルミナリ王の声には切迫したものがあった。どんな状況であっても、たとえユリノイ国のネコが随伴してくれるといっても、今からそこに向かうのは危険だ。
ミグロは怖くないのだろうか。宿に泊まればよそ者がいることがすぐにバレてしまう。寝込みを襲われでもしたら、岬はどうなるのだ。
「そなたに、私に意見を言う資格も権利もありません。これから緩衝地帯に行く、もう決まったことです」
ミグロが眼光鋭く僕を睨んだ。ぐっと言葉を詰まらせているうちに、ロビストが一歩、緩衝地帯の草原に足を踏み入れた。ごうっと風が吹き、草原が一斉に揺れた。
夕日の影がだんだんと長くなり、僕たちの行く手に黒い染みをつけていく。相変わらずミグロとロビストが先頭を歩き、後ろをユリノイ国の使いに急かされ、僕と岬は肩をすぼませて足の運びを早めた。
目の前で立ち止まったミグロを避け、つんのめるように前に進んだ僕の視界が急に開けた。草原が唐突に途切れ、岩がむき出しになった斜面が続いていた。視線をさらに遠くに向ける。一足先に暗くなっている眼下に明かりがいくつも灯っていた。時折揺らめく明かりは提灯や灯籠だろうか。明かりに照らされて、建物が並んでいるのも見えた。薄暗い視界の先に、その宿場町は確かに存在していた。
「キルラキルへの入り口はこちらです」
ロビストの声にミグロが頷き、後に続いた。僕と岬もミグロの背中を追いかける。斜面との境界をしばらく歩いた先に階段があった。石を積み上げただけの簡素な造りだったが、幅はそれなりに広く、ネコが4匹は並んで歩けそうだった。それでも隊列が崩れることはなかった。岬が隣で小さく肩を丸めているのがなんとも切なげで、どんな言葉をかければいいのかもわからず、岬の歩調に合わせて進む以外なかった。
長い階段を下りきった頃には、夕焼け空は遠く過ぎ去っていた。薄闇の中に浮かんだ灯籠が等間隔に並び、キルラキル、宿場のまでの道を照らしていた。ロビストの歩みは確実にその道の先へ向かっていた。
ロビストに案内された宿は、キルラキルの入口からすぐの、周りで一番大きな建物だった。昔テレビで観た旅館と同じような作りと雰囲気がどことなく懐かしく感じた。僕とミグロが一室、向かいの部屋に岬が通された。
「食事の時間までもうすぐですから、あなたがたは先に食堂へ行ってください」
荷物を降ろしたそばから、ミグロがそう言って僕を廊下に出した。ミグロはそのまま岬の部屋をノックし、顔を出した岬に全く同じセリフで伝えた。
「ミグロはどうするの?」
岬の声は硬い。有無を言わせずここまで連れてこられ、その上ミグロが別行動をすると言いだし、猜疑心を持つのも無理なかった。
「私は、これからロビスト氏と明日の行程について話をしてきます」ミグロはさも当然のように言い、今度は僕に向き直った。「岬殿を頼みます」
ミグロの背中が遠ざかる。ロビストはこの宿のはす向かいの建物に宿泊していた。一度出て行けば、戻ってくるまである程度時間がかかるだろう。その間に襲撃を受けたら、それを考えると、呑気に食事を取る気分にはならなかった。
「岬、部屋で休んでて。食べ物は、僕が取りに行ってくるから」
「ブルーにそんなことさせられないよ。食事くらい早く済ませよう」岬が悲しげに笑った。
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