南麟帝本紀 第2章 3

玖月弐拾五日


「お久しぶりですな、姫さま」

「そ、そうね。いろいろあったからね」

 ジークムント・セバスティアン・ディル・プトレマイオス伯爵のぎょろりとした眼に射すくめられて、キャラは必死に作った微笑みで応えた。

「姫さまと公嗣様が大変な目に遭ったのはわしも聞き及んでいます。ですので、この講義ができなかったのは残念ですが、今更何も云いますまい」

 キャラは無自覚のまま張っていた緊張を緩めた。しかし、次の言葉にげんなりとしてしまう。

「予定より遅れた分、今後は講義の時間を増やして参りますぞ」

 講義室には三人の生徒がいた。一人は無論キャラだが、他にカティとセルディであった。カティは以前からキャラと一緒にプトレマイオス侯のみならず他の講師の講義もキャラと一緒に受けていたが、セルディは今回が初めてである。積極的に出席したわけではなく、キャラの「私の専任なら、あんたも一緒に受けなさい」という、一言によるものだった。キャラとしては人数を増やして自らへの攻撃――とキャラは感じている――を減らそうと云う魂胆である。

 メルリース公お抱えの文人の一人であり、キャラの人文系の講師であるプトレマイオス伯は小柄だが、最近面積が広がっている秀でた額とその下でいつも鋭く光る眼光、そして貫禄ある腹回りによって実際より大きな印象を与える。さらに七十近い歳でありながらその声は張りがあって大きい。キャラにとっては、大きいと云うより喧しいほどである。

「さて、それでは早速始めますぞ。今日は我が国セイランの成り立ちについてじゃ。」

 

 

 前パンディラ暦の二世紀頃は今でいう国家というものは無く、いくつかの都市国家が点在しておった。殆どが海沿いにあったが、内陸部にもいくつかあったようじゃ。お互い都市国家間で交易をしておった。

 その頃はまだ東のギルバリアはまだ興っておらず、北の遊牧民も今ほど南下してはおらなかった。都市国家同士の諍いが無いではなかったが、大体痛み分けで終わっていたようじゃ。脅威が有るとすれば西の大国コダール王国じゃったが、その頃はパンディラ方面には関心が無かったのか、しばらくパンディラ亜大陸は平和な時代を過ごしたのじゃ。

 それが急変したのは前暦一世紀に入った頃じゃ。コダール王国が突如牙を剥き、パンディラ西部の三つの都市国家に次々と侵略したのじゃ。このまま各自それぞれで抵抗したところで規模の差が歴然とあるから、各個撃破されるのは目に見えておる。都市国家群は比較的大きな五つの都市国家を中心として軍事同盟を結び、軍備を整えていったんじゃ。同盟の証として各都市にその地の名産品である紅玉が配られた。そのため、この同盟を紅玉(ルビン)同盟と呼ぶようになった。

 さて、五つの都市国家が中心となったとは云え、代表は決めなければならん。五都市がそれぞれ勝手なことを云っても、『船頭多くして船山に上る』というやつじゃ。そして選出されたのは五都市以外の都市の者であるオーガスタスだった。この時五十近くの男で、海辺の都市で漁師を束ねていたらしい。

 軍事面については、ゼルバ・グアルディと云う、まだ二十代後半の若者が最高司令官となった。いや、最初は別の者じゃったのだが、何度かのコダール王国との戦で戦勝を重ね、遂には最高司令官に上り詰めたのじゃ。

 そして、コダール王国との決戦はパンディラ亜大陸中央部に近い、アピア平原での戦いじゃった。この時に参謀の一員を務めたジュリアス・ヴェルネという若者の策が採用され、実行された。

 本陣がコダール軍と対峙している間に、ゼルバは大きくまわり込んで先に陥落した西側の二都市を奪還、そこに残っていた兵たちを率いてコダール軍の後背を衝いたのじゃ。コダール本国から増援が来る前にな。コダール軍の方がいかに数が多くても挟み撃ちにされたらたまらん。八割方を撃滅したのじゃ。

 その勢いを駆ってコダール王国首都まで進軍したところでコダールから講和の申し入れがあり、同盟にかなり有利な条件で講和条約を締結。この時の功績が認められ、ゼルバは同盟軍の最高司令官に、ジュリアスも総参謀長となった。

 じゃがな、二人にとってその地位は通過点でしかなかった。その後、同盟に与しない都市国家を次々と武力をもって吸収し、南パンディラの全ての都市国家が同盟に入った時点で、オーガスタスに代表の座を譲らせた。

 そして前パンディラ暦十五年、ゼルバは王位を宣言、ルビン同盟の全都市を結んだ線内を版図としてルビン王国としたのじゃ。

 この時には新王国の創建に全都市が両手を挙げて賛成し、「自分たちの国」に歓喜しておった。ゼルバも宰相としたジュリアスと共に善政を布いたと云っても良い。街道を整備し全土共通の通貨を製造したし、大きな新港を造ったりした。コダール王国からせしめた賠償金のおかげで、資金にも余裕が有ったからじゃな。

 しかしジュリアスが病死すると、ゼルバはやりたい放題を始めた。ジュリアスというたががはずれてしまったのじゃな。まず、王宮を華美で豪奢なものに建て替えた。それによってコダール王国からせしめた賠償金が尽きると、街道整備その他の工夫らの給金を大幅に減らした。その一方で古代帝国に倣って貴族と爵位を制定し、貴族として取り立てた者らには領地と領民を与え租税を徴収した。そのため、領民の九割を占める農民たちは、領主が貸し与える土地で農作物を作ることができたが、税の他に土地の使用料も払わねばならんかった。また商人らの税金も跳ね上げたのじゃ。そうして集めた金や資材は、毎日のように開かれる王や貴族の宴と軍費とに費やされた。

 ゼルバは即位した翌年から各地に派兵し、領土を拡げていった。賠償金をあっという間に費(つか)いきった理由の一つがこの軍事行動じゃ。巨きな船を幾つも拵えて南方の大陸に派兵したこともあったが、これは成功しなかった。

 そして前暦十年には、宿敵とも云うべきコダール王国を滅ぼすあと一歩まで行ったのじゃが――


「じゃが⁉」

 カティはすっかり話に引き込まれていて思わずそう云ったことにも気付いていない。

「東部で起こった反乱のため、兵を引かざるを得なかった。その反乱軍が東に逃げた後に作られたのが現在(いま)勢いをつけつつあるギルバリアじゃ」

 キャラはなんとか欠伸をかみ殺した。キャラは小さい頃から父に、少し大きくなってからは兄に幾度となくこのセイランの歴史を聴かされてきた。とくに兄のアレクシスは一時期、この後に登場するセイル・リートに心酔し、ことあるごとに引き合いに出していた。貴族の子弟たちと遊ぶときにも、セイル役は他の誰にも譲らなかったのだ。

 対照的に、カティには初めて聴く話ばかりで、身を乗り出さんばかりにして熱心に聴いたり、手許の羊皮紙になにやら書き付けたりしていた。

 そしてセルディは背筋を伸ばして傾聴しているが、その無感動そうな表情からセルディも既に知っているようだった。親衛隊に入らんとする者には、この国の様々な事柄にも明るくないといけない。それでも初めて知ることもあったようで、時折硬筆を動かしていた。

 その様子にプトレマイオス伯も満足げで、さらに講義は熱を帯びていった。

 

 上が上なら下も下で、各領の領主による租税の取立ても苛烈じゃった。国庫に納まるまでに領主や官吏が横領するし、先に云った使用料もあるため、作った農民の下には二割も残れば良い方じゃった。抵抗する者は即刻牢獄に入れられ、苛酷な鉱山の重労働を課役させられた。ちょっとでも不満の声が官吏の耳に入ると、不敬罪と称してさらなる重税が課される。

 さて、そんな苛政のもとにあったルビン王国であったが、そんなまつりごとともいえぬような政が長く続く訳がない。組織的に抵抗しようとする者が現れ始めるのじゃ。

 端緒は五大都市の一つであったローニャで起こった反乱じゃった。当時ローニャはピッツァリーノ子爵の領地じゃったが、民衆が子爵の勢力を駆逐して独立都市として宣言したのじゃ。その反乱の先導者はゲイブという初老の男じゃったが、反乱の際に矢を受けて重傷を負ってしまう。ゲイブは若者に指導者の任を託した。その者こそ若き英雄セイル・リートじゃ!

 

 どん!

 と大きな音がして、油断していたキャラはビクッとしてしまった。プトレマイオス伯が机を叩いたのだ。

 今やセルディまでもが身を乗り出している。

 今日の講義は長引きそうね。

 キャラはそっと嘆息した。

 

 ローニャの指導者となったセイルは、仲間を増やすのが先決と考え、旧都市国家で中核を成していた者らに檄文を送った。その内容が残っていないのは残念じゃ。

 そして呼応した者の中に、ヴィネスの上層部にいた者がおった。それがクラウス・アンティウスじゃ。さすがに彼の名はお主らも知っておろうが、今は云わなくてよいぞ。この当時はセイルと同様、無名の若者じゃった。

 初めて見えた時から、セイルとクラウス、この二人にはお互いに通じるところがあったらしい。その後は行動を共にすることが多くなっていったのじゃ。

 クラウスはかなり多くの同志とともにヴィネスを脱出してきた。そうして人が増えると、ゼルバの圧政に虐げられていた他の人々がローニャに集まるようになってきた。いつしか紅玉ルビンに対抗するものとして蒼玉ザッフィロ同盟と呼ばれるようになったのじゃ。

 どん!

 武芸もそこそこできたが、それ以上に人を惹きつける魅力を持った二人じゃったから、自然、セイルとクラウスがその蒼玉同盟をまとめることになった。そして、前パンディラ暦三年、セイルを盟主、クラウスを同盟軍総司令官として蒼玉同盟の名の下ルビン王国からの独立を宣言したのじゃ!

 どん! どん!

 当然、王国は認めず、軍を派遣するが、二人の軍略とクラウスの巧みな用兵によってことごとく撃破される。勝てば勝つほど同盟に人は集まってくるし、中には戦場に着いた途端に同盟側に寝返る王国の兵士も大勢いたのじゃ。

 セイルは当初は王国を潰すつもりは無く、同盟の存在と独立を認めさせるのが目的じゃったが、王国はそれを肯んぜず、次々と兵を送り込んでくる。ついには、セイルも決心して決着を付けることとし、王都まで軍を進めたのじゃ。

 そして前暦一年拾弐月!

 どん!

 王都での戦闘は乱戦となり、ついにはセイルとクラウスは玉座にたどり着き、ゼルバ王と対峙したのじゃ。二人がかりでもゼルバはなかなか倒せず、激闘は熾烈を極めた。

 そして最後まで立っていたのはクラウスただ一人だったのじゃ!

 どん! どん! どん!

 セイルの遺言を受けてクラウスは王となった。クラウス王は最初の勅令を発し、国号をセイランとした。もちろん、セイルの名にちなんでおる。

 ここにアンティウス朝セイランが始まり、クラウス・アンティウスが初代王となったのじゃ。

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