南麟帝本紀 第2章 1
玖月廿弐日
公都メルティアに帰還し、一日ゆっくりして旅の疲れを癒した次の日。
朝、キャラは父のメルリース公に呼ばれ、公宮の執務室に行くと、アレクシスや公宮に勤める重臣たちも揃っていた。
これはこの後王宮に出仕して国王陛下にご報告申し上げることだが、当事者のお前たちには先に伝えておこうと思ってな。そう前置きしてから語ったことは、この度の戦の発端についてだった。
その後の偵察、諜報活動の結果、攻めてきた者たちの正体が知れた。北狄とはいくつもの小集団がある北の遊牧民族をまとめて指す言葉だったが、最近一つの国家として糾合したらしいことが解った。その国家の名前をファングと云う。
そのファングの突然の来襲の理由を聞いたとき、キャラは呆気に取られてしばらく声を出すことが出来なかった。
「それは
いつも冷静なアレクシスの声も上擦っていた。「そんなばかなことで…」
呆然状態から醒めると、キャラは腹立たしさが募るのを止められなかった。
パンディラ暦百二十五年七月五日、ファングの使者と名乗る者が、カルナック公爵領の公都カルタークを訪れた。無論門衛は公都に伺いを立てたのちに通したのだが、使者が渡した書状を読んだカルナック公はすぐに許しを出したらしい。たった三人の従者だけを引き連れてきた使者は、カルタークで歓待された後、カルナック公が付けた供の者十人を引き連れて十日後に王都に姿を現した。何故かメルリース公爵を始めとした貴族たちには、そんな異国人の訪問は全く知らされていなかった。
とりあえず宰相を務めているセレス王子が面会したが、使者は国王陛下に直接でないと用向きを伝えられないと云う。
あいにく王は王妃とともにルノア公領で開かれた園遊会に出るため不在であり、翌日にならないと戻らない。どうやらカルナック公が出したはずの伝令は未だ王の元には達していなかったらしい。王に書状を出す一方で使者は城内に留まってもらい、急遽ささやかながら歓迎の宴を催した。
問題はそこで起きた。酔っ払った使者が、綺麗な伯爵夫人に狼藉を働いたのだ。
「狼藉ってなに?」
キャラには聞き慣れない言葉だ。
「つまり乱暴なことをしたってことだよ」
アレクシスが簡単に教えてくれたが、とにかくもう社交界にはいられないようなことらしいことはキャラにも解った。
そしてその場にいた伯爵夫人の兄は逆上してナイフで使者を刺してしまった。刺しどころが悪かったと云うのか、使者は死んでしまった。
集まっていた重臣たちはあわてふためき、とにかく公にしないようにと使者の従者を拘束しようと図ったが、彼らは既に姿を消していた。
「つまり酔っ払い同士が勝手にいざこざ起こして、その結果スーサで関係ない人たちが死にそうになったり傷ついたりしたって云うの?」
キャラが憤慨して云うと、いつもの冷静さを取り戻したアレクシスが、
「いや、最初から仕組まれていたのかもしれない」
どういうことなのか、キャラには解らなかったが、それはメルリース公を始め居並ぶ重臣たちも不得要領な顔をしていた。
「つまり、ファングとやらは、攻め込む口実を作りたかったんじゃないかな。狼藉を働いたというのも、計画だったのか、若しくは普段からそういうことをしがちな者を故意に使者にしたのか」
「殺されるかもしれないと考えると、すすんでその計画を実行したがる者はいまい」
「そうです。この使者とやらは侵攻の口実のために、殺されるために送り込まれたと見るべきかと。ただ解らないのは、なぜそこまでして口実を作る必要が有ったのか。昔北狄が攻めて来た時も突然のことだったと聞いておりますが」
「うむ。その通りだ。今回は北狄とは違う。何かやつらなりの事情が有ったんだろう。実際には親書を持って来たようでもなし、従者どもの逐電の手際といい、友好が目的とは思えん。アレクシスの云う通りなのだろう」
なんでそんなくだらない人たちのために、スーサの人たちは怪我をしたり、家が燃やされなくてはいけないのだ。
キャラは初めて世の中の理不尽さ、そして大人でも愚かな人がいるんだということを思い知った。
「それにしても、そのファングとやらは気になりますね」
「ならば、ファングの件は、アレク、おまえに任せる。――いや、待て、おまえは行ってはならんぞ。今にも飛び出さんばかりの顔をしておるが、おまえには公嗣としてせねばならぬことが山ほどあるのだぞ」
「お見通しでしたか」
「解らいでか。人をつけてやる。一月で調べ上げるのに何人必要だ」
「それでは、まず間者として派遣できる者を二、三人。彼らが戻ってから報告をまとめるのに祐筆として二人ほど」
「よかろう。間者の方は条件はあるか」
「まずは髪の色が灰色から黒、瞳の色も黒に近い方がいいですね。肌もなるべく浅黒い人を。そうそう、馬術に長けていることは必須です」
「そういえば、言葉はどうなんだ? 我らとはよほど違うのか?」
「聞いた限りではパンディラ共通語を使っているようですが、無論独特のイントネーションや聞き慣れない言葉はあるようです」
「む、なるほど。では、何人か人選して一覧をおまえの元に届けさせよう」そう云うと公爵は傍らに控える文官に声を掛けた。「エドワード子爵、聴いていたな」
「はい、早速手配いたします」
玖月弐拾参日
朝食後のお茶の時間、喫茶室で親子四人で――メルリース公爵夫妻、アレクシス、キャラの四人でいる時に、一人の客が招じ入れられた。
「あら、珍しいわね。ていうか、またあなた?」
と、キャラが云う。この時間、家族以外の者を喫茶室に入れることは滅多にない。そしてスーサですっかり顔なじみとなったが、メルティアに戻ってからはそうしょっちゅう会うこともあるまいと思っていた少年が入室して、直立不動の姿勢をとった。
なんとなくキャラはイヤな予感を覚えた。
メルリース公がキャラに向かって云う。
「キャラ、今更紹介する必要もないだろうが、親衛隊見習い、セルディ・サン・クラリスだ。今後、この者がお前の専任衛士を務める」
「は⁉︎」
キャラはしばらく絶句した。突然のことに頭がついていかない。「センニンエイシ? なんですか、それ?」
「前にも話しただろう。お前にも専任の護衛が必要だと。もう間もなく十四になるんだ、いつまでも女官長が護衛を兼ねるわけにもいくまい」
「でも、そんな急に。しかもこんな中途半端な時期に?」
「ちょうどあなたの誕生日の一月前よ」公爵夫人がキャラの疑問に回答した。
「正式な任命は来月のお前の誕生日だ。前から誰にしようかとノルディと人選していたのだが、スーサから戻った後、役目がまだ定まっておらん者がいたのを思い出してな。歳も近いし、良いだろう」
専任の護衛が四六時中付いてまわられるのは、束縛を嫌うキャラには、絶対窮屈に思うという確信がある。だが、渋ったところで国の決まりだから覆すことはできまい。他の公女や侯爵家の息女はみな同じ境遇なのだ。キャラだけを特別扱いするわけにはいかない。
「それともこの者では嫌なのか? 聞けばすでに何度も護衛の任をしているそうではないか」
「二回だけです! それに別にセルディがイヤというわけじゃなく、専任の人がつく、っていうのが――」
「おう、そうか。では決まりだな」
「キャラがイヤと云ったところで、もう決まってるんじゃないですか」夫人の言葉に公爵は答える。
「そうだ。決まった者を簡単に変えるわけにはいかんからな」
「……」
どうやら最初からキャラの意思は関係ないらしい。
「よろしくお願いいたします、姫さま!」
まあ、悪い性格でないことはキャラには解っている。どうせ護衛がつくのが避けられないのなら、見知らぬ者や反りの合わない者が来るよりはいいか、と思い直すキャラだった。
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