南麟帝本紀 第1章 2

玖月拾伍日(承前)


 館の前で平服に着替えてきたセルディと合流し、三人は館の在るラミスの丘を降りてまず市場に行ってみることにした。

 その道中、カティがふと気付いたようにセルディに云った。「あれ? 見習いと云うことは、今十五歳ですか?」

「そうだ。十五になったので親衛隊に入ったけれど、最初の一年は見習いさ」

「うそ、二つしか違わないの?もっと上かと思った」とキャラが云った。

「どうせ老けた顔をしていますよ」

「背が高いしね」カティが取りなそうとするのにも気付かず、キャラはさらに、

「ほら、そうやって眉間にシワばかり寄せてると、本当に老けるわよ」

「キャラ様!」

「もう、ほっといてください」セルディは普段から気にしているらしく、口をへの字にしてそっぽを向く。逆にその仕草は歳相応に見えた。

「なによ、本当のことを云って何が悪いのよ」

「キャラ様はもう少し相手の心情を慮ることを覚えましょうね」

 一つ上のカティが、姉のように優しく諭した。


 スーサ市の中心部にある市場は、さすがに普段よりは人出が少なかったが、全く賑わっていないというほどでもなかった。

 店先にいる人に愛想よく話しかけて一品適当に買いながら技芸団の情報を得るのはカティの役目であり、得意とすることでもあったが、後ろに控えるセルディが厳しい目付きで見つめているため、怯える店番もいた。

「もう、あんたはもっと後ろに下がってて!」三軒目でとうとうキャラが憤慨した。「せっかくカティが愛想を振りまいて話を聞き出そうとしてるのにーー」

「キャラ様、もう少し云い方を」

 カティの非難も聞こえず続ける。「あんたが睨みつけるから相手もビビッてんじゃないの!」

「キャラ様」もう少し上品な言葉を、と注意しようとしたが、お忍びで来ているのだから逆に公女だとバレないかな、とカティは思い直した。

「愛想よくしろとは云わないけど、もう少しふつうの顔はできないの?」

「気を付けます」

 セルディはしおらしく返事したが、「そうは云ってもこの顔は生まれつきだしなぁ」と小声で漏らしたのを聞いて、カティは吹き出した。

「どうしたの、カティ?」

「い、いえ、なんでもありません」

「じゃ、次行くわよ。これ以上余計な荷物が増えなければいいけど」とキャラが云うが、荷物を持っているのは勿論セルディである。根菜と焼菓子と茶葉を入手しているが、肝心の情報、旅芸団の居場所が手に入らない。

 成果があったのは次に寄った店でだった。 毛織物を中心に売っている店の主人は、「確か公会堂の一室を使っているんじゃなかったかな」と答えた。

「その公会堂はどちらに?」カティが訊くと、

「その道をもう少し先で左に曲がれば見えてくるよ。今、その庭で小屋を建てているから分かりやすいんじゃねーか」

「ありがとうございます!」やっと情報を得たカティが微笑みながら礼を云ってキャラたちの元へ戻る。中年の主人はその笑顔が自分への好意と勘違いをしたのか鼻の下をのばしていて、妻からどやされていた。カティを待つ間にそれを遠目に見たキャラが云う。

「うーん、カティの笑顔は罪作りだわね」

「あ、すみません、なんでしょうか」

「えー、カティを見てなかったの? もったいない。なにしてんのよ」

 と云われても、セルディは真面目に周囲に警戒の目を向けていたのである。

「どうかしました?」戻ってきたカティが尋ねる。

「セルディがね、カティの笑顔が素敵だって」

「ちょ、ちょっと、デタラメ云わないでください!」

「えー、出鱈目なんですかぁ?」カティがしょげた顔をしてみせる。

「い、いや、決して素敵じゃないと思っているわけではなくて……」

「まぁ、ホントですか?」

「ほんとだよ、本当!」

「それなら良かったですわ」

 カティは笑顔を見せた。半分くらいは冗談の延長ではなく、心からの笑みに見えた。

 キャラはにやにやしながら、「だらしないわね。あなた、本当にあのおじ様の子なの?」

「どういう意味ですか?」と訊いたのはカティだ。

「若い頃からあちこちで浮名を流してたらしいわよ」

「え、本当ですか。今度詳しく教えてください。家ではあんなこと云っているくせに……」セルディが食いついてきたが、後半は独り言になっていた。

 などとやりとりをしている間に、教えられた辻まで来た。

「そうよねぇ。小屋を建てている最中だってことは知っていたんだから、まずそこを目指してしかるべきだよねぇ」

 その辻を曲がると、公民館の目印となっている、真赤な屋根が正面に見えた。

「えーと、小屋のことをご存じだったのですか? キャリアンティーヌ様」

 セルディの問いに、

「まぁね。バタバタしていたから忘れていたわ」

 あはは、と笑って誤魔化そうとする。

「さっきもそんな話をしてたのに」

「ちょ、ちょっとカティ、余計なこと云わないでよ!」

「え、カーテローザ嬢も知ってたの?」

 セルディの問いに、カティは答えた。「場所までは聞いていませんでした」

 セルディははーっとため息を吐いて云った。「つまり、この荷物は無駄だったわけですね」

「まあいいじゃない。大した量でもないでしょ」

「根菜類がなかなかの重さで――」

「ほら着いたわよ。小屋は中庭のようね」

キャラは中庭に向かって駆け出した。

「あ、逃げた」カティが微笑みながらセルディを振り返った。「さ、私たちも行きましょう。それから私のことはカティでいいですよ。カーテローザ嬢だなんて呼ばれ慣れていないから、一瞬誰のことかと思いましてよ」

「わかった」荷を抱え直して、セルディも歩みを速める。

「それにしても、きみはよくあんな方と四六時中一緒にいられるな」

「大概、お姫様はわがままって云うじゃないですか。キャラ様はいい方だと思いますよ。退屈しないですしね」

「おれだったら、半日いるだけでも疲れちゃいそうだな」

 近い将来に、半日どころでない長い時間を共に過ごすことになるとは、この時は二人とも少しも思ってはいなかった。



 敵軍の、川のせき止めが完了する頃を見計らって、アレクシスはさらに上流に向けて伝令を放った。程なくして上流から轟音が響いてきた。激流とともに先をとがらせた杭が何本も水面をはしり、敵が苦労して造った即席の堰を一瞬のうちに破壊してしまった。アレクシスの指示でこういう場合を想定してかなり上流の方に水門を造っており、市壁の前を流れる量を調節していたのである。敵兵来襲の報せとともに水門を深めに下ろして川の深さを渡河できない程度にまで絞り、十分に河水が溜まったところで流れを解き放つと同時に杭を流して長大な槍としたのである。

 奔流に巻き込まれて敵兵も数人が流されたようだが、仲間によって助け出されたようだ。その様を見て矢を射かけようとした者がいたが、アレクシスの厳命が浸透していたため実行はされなかった。

「今回はちょっとした小競り合いで終わると思う。深い遺恨は残さない方が良いよ」

 アレクシスはディケンズとクラリスにそう云った。



「うん、市街地の状況は解った。ご苦労様」

 キャラの報告を受けてアレクシスが答えた。「それで友達には会えたのかい?」

 キャラは瞳を翳らせ、首を振った。「まだ旅芸団には戻っていないって」

 そうか、とアレクシスは頷き、しばらく黙考した。今日確認させたところ、死者はいないとの報告だった。市民なら各地区の護民官が把握しているはずだが、旅や商売で訪れているものまでは把握しきれない。旅芸団も然りだ。

「とにかくこの戦を一段落させ、本格的に捜索しよう。あと三日もすれば増援も到着するだろうし、父上もいらっしゃるなら私も時間ができる。それまでは、キャラも軽挙妄動は慎むんだよ」

「…生きているよね?」

「市内で戦が起こっているわけではないよ。被害だって市壁付近の家が二軒焼かれたくらいだ。心配する必要はないんじゃないかな。と云っても難しいかもしれないが」

 キャラは自室に戻った。

 カティが気遣わしげに出迎える。「いかがでした?」

 キャラはアレクシスとの会話を伝えた。

「早くて三日後ですか――」

「うー、どこ行っちゃったんだろう?」

「今日はあまり時間がありませんでしたから、明日また私が色々訊いてまいりますわ」

「私も――」

「キャラ様はアレク様のおっしゃる通りお部屋で待機しててください。きっと私が足取りをつかんでみせます」

「…うん、頼むわね。ところでケーキョモードーってなに?」


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