第44話



 あれほど連日に降り注いでいた雨はいつのまにか降らなくなって、代わりに照りつけるような猛暑が到来していた。


 風が吹かない分、沖縄よりも暑い気がしてしまう。


 相変わらず晴那とひまりは友達のままで、由羅もああ言ったものの、何か目立った行動をしてくるわけでもない。


 一見、何も変わらない三人の関係。


 だけど、確かに以前とは違って、少しずつ変化しているのだ。


 期末試験も赤点スレスレで乗り越えて、あっという間に終業式を終えていた。

 

 夏休みを迎えて、8月中旬のとある日の昼下がり。


 晴那の想い人であるひまりは、なんとも呑気に

島袋家で寛いでいた。


 「涼しい…クーラー最高」


 両親はひまりのことをかなり可愛がっており、頻繁に島袋家に呼んでご飯を振る舞っている。


 ひまりも一人でいるのは寂しいのか、大体誘いに二つ返事を返して、我が家にやってきていた。


 ひまりといられるのはすごく嬉しいけれど、それと同じくらい、彼女を見るたびに愛おしさで胸が張り裂けそうになる。


 初めての恋で、相手は晴那のことをなんて何とも思っていない子で。

 この恋をどう進めていけば良いのか、ちっとも分からないのだ。


 この日のお昼ご飯はそうめんで、トッピングの天ぷらを見てひまりは驚いたような顔をしていた。


 どうやら東京と衣が違うらしく、初めて見る天ぷらの形だと言うのだ。


 しかし好き嫌いの無いひまりはそれを美味しくペロリと平らげてから、ベランダの壊れた隔て板を通して、部屋へと帰っていった。


 晴那はさっさと直そうと言ったのだが、こっちの方が楽だからとひまりが言い出したことでそのままになっている。


 すぐ隣に行ける距離なのに、隠し事をしている罪悪感でひどく遠いところにいるような錯覚を起こしてしまっていた。





 夕暮れの明かりに照らされながら、晴那は由羅と共に駅への道を歩いていた。


 夏休みということもあって、由羅は以前にましてうみんちゅハウスでのシフトを増やしており、こうして帰り道が一緒になることも良くあることだった。


 16時を過ぎているせいか、昼間よりは日差しも弱くなっているが、それでも汗をかいてしまう。

 夏真っ盛りだと言うのに、由羅の白い肌は相変わらず守られて、そのままだ。


 「晴那ちゃん、夏休みは沖縄に帰らないの?」

 「はい。いまはまだいいかなって」


 家の手伝いは勿論の事、東京にいれば、ひまりと頻繁に会えると言うのも大きな理由だった。


 どちらかといえば不純な動機で、晴那は里帰りを拒んでいる。


 あれほど、大好きで帰りたくて堪らなかった故郷に、だ。


 「この後って時間ある?」

 「ありますけど……何処か行きたいところでとあるんですか?」


 ついてきて、と言われるままに、由羅の後を追う。

 今日は3センチほどのミュールを履いているようで、いつにも増して由羅のスタイルがよく見える。


 パンツスタイルの多い彼女にしては珍しくタイトスカートを履いており、それが由羅にとても似合っていた。


 自宅とは逆方向の電車に乗って、到着したのは池袋駅だった。

 名前は聞いたことがあるが、来たのは初めてだ。


 道のりも、どんなお店があるのかも分からないため、先をゆく由羅の後を追う。


 駅から少し離れたところにあるショッピングモールは、夏休みということもあってか人が沢山いて賑やかだった。


 ファッションブランドやアクセサリーには目もくれず、エレベーターに乗り込む彼女の後に続く。


 そうして、最上階まで運ばれた先にあったのは水族館だった。


 てっきり洋服でも買いに来たのかと思っていたため、予想外の目的地に驚いてしまう。


 「ここ、ペンギンとかカワウソがいて可愛いんだよ」


 手を取られて、指を絡めて握り込まれる。

 振り解くのも不自然な気がして、そのままに水族館内を回っていた。


 辺りは夕暮れ時ということもあって、家族連れよりもカップルの方が多い。

 薄暗い内装のせいか、密着度の高いカップルばかりだ。


 大きな水槽の前で、座れるスペースを見つけて2人で並んで腰を掛ける。


 ひらひらと水中を舞う魚の種類は分からなかったが、色鮮やかでとても可愛かった。


 手を握っている相手の力が強くなる。


 隣を見やれば、少しだけ真剣な瞳をした彼女がそこにいた。


 「この前、ごめんね。ディープキスして」


 ずっと謝りたかったと続けられるが、晴那は羞恥で頬を赤くさせてしまっていた。


 舌を絡める大人のキスを、誰かとしたのは初めてだったのだ。


 まるで自分が自分でなくなるような、強制的に何かを引きずり起こされるような感覚に、戸惑いと羞恥がせめぎあっていた。


 必死に忘れようとしても、あれほど深いキスを簡単に無かったことには出来なかったのだ。


 「…今度は、晴那ちゃんの方からしてもらえるまで、勝手にキスしないから」


 その言葉に、なんと返事をすれば良かったのだろう。

 人が混み合って来たことで席を立ってしまい、そのまま話題は別の物へと移り変わってしまった。


 期待をさせるような言葉も、彼女の想いを否定するような言葉も。

 上手い言葉が出てこなかった晴那は、そのどちらも由羅に返すことが出来なかったのだ。


 

 

 それから一通り見終わってテラスに出れば、外の展示スペースにはペンギンとカワウソの姿があった。

 夢中になるあまり気づかなかったが時刻は既に夜を迎えており、辺りは真っ暗だ。


 カワウソたちも既に就寝時間を迎えていたのか、皆ぐっすりと眠りこけてしまっている。


 「みんな寝てますね」

 「ほんとだ…」

 「写真撮りたいけど、フラッシュ焚いたら起きちゃうかな」

 「晴那ちゃんは優しいね」


 悩んだ末に、写真を撮ることは断念して、2人は水族館を後にした。

 また今度明るい時間帯に来て、その時撮影すれば良いと思ったのだ。


 せっかくだからと、同じショッピングモール内に併設されたカフェテリアへとやってくる。

 注文したハンバーガーを頬張りながら、饒舌に水族館の感想を言い合っていた。


 「すごく綺麗でした」

 「よかった。沖縄の水族館に比べたらあれかもだけど…」

 「そんなことないです。東京に来て初めて水族館に来たけど、本当に癒されました」


 1人でいても塞ぎ込んでしまうのは目に見えていたため、連れ出してくれたことに感謝しているのだ。


 「元気出た?」

 「元気ないように見えました…?」

 「いつも通りだよ…けど、時々思い詰めるような顔してたから」


 恐らく、ひまりのことを考えている時だろう。好きな相手のことを思い浮かべる度に、晴那は胸が締め付けられるように苦しくて堪らなくなる。


 結ばれないとわかっているくせに、この恋をやめられないのだ。


 「ひまりのこと、そんなに好きなの?」


 そっと首を縦に振る。

 自分でも不毛な恋だと自覚があるからこそ、尚更辛いのだ。


 楽観的に、無鉄砲にひまりにこの想いを打ち明けられた方が、よっぽど楽だったろう。


 ひとつ、大きくため息を吐けば、見知った友人から名前を呼ばれて、晴那はそちらに視線を寄越した。


 「やっぱり晴那ちゃんだ」

 

 そこにいたのは、クラスメイトである水戸沙月だった。

 

 ファッションブランドのショッピングバッグを幾つか手にしており、恐らく洋服を買いに来たのだろう。


 手にはここのカフェのロゴが入ったカップを持っていた。偶然晴那を見かけて、わざわざ声を掛けてくれたのだ。


 沙月に背中を向けていた由羅が彼女の方を振り返る。

 途端に沙月は、酷く驚いた様子で晴那と由羅を交互に見やっていた。


 「え、亜澄先輩…!晴那ちゃん仲良かったの?」

 「うん」

 「そうなんだ、びっくりだよ」


 その美貌から、由羅は性別を問わず学園の生徒から憧れられている。


 沙月もその1人で、以前も由羅のことを綺麗だと、酷く褒めていたのだ。


 「そういえばさ、さっきびっくりするところ見たの」


 何やら得意げな様子で、彼女が言葉を続ける。興奮している様子で、今さっき仕入れたネタを誰かに話したくて堪らないようだった。


 「ひまりちゃんと小森先輩が一緒に歩いてるところ偶然見ちゃった」

 「え……?」

 「夏休みに会うってことはやっぱり付き合ってるのかな?イケメン彼氏羨ましい」


 あの先輩といまだに連絡を取っていたなんて、初めて知った。

 もう1ヶ月も経とうとしているのに、晴那には何も教えてくれなかったのだ。


 だけど、ひまりが言わなかっただけで、実は付き合っていても不思議じゃない。


 あの子は可愛くて、男の人が好きで。おまけに初恋の未練もなくなったのだから。


 沙月が去ってから、先ほどに比べて元気を失っている自信があった。

 作り笑いすらも出来ないままでいれば、机の上に置いていた右手をギュッと握り込まれる。


 「ひまりは、女の子は好きにならないよ。このままじゃ、晴那ちゃんが苦しいだけだって」

 「分かってます…でも…」

 「同性愛が無理な人は根っから無理なの…期待するだけ、辛いだけだよ」

 「それでも…ひまりがいいんです」


 放心状態の中、なんとか言葉を絞り出す。


 晴那は、女の子と付き合いたいのではなくて、女のひまりと共になりたいのだ。


 衝撃の事実を知って、ショックだというのに、不思議と涙は流れて来なかった。

 苦しみに心は慣れ初めて、痛みすら麻痺しているのかもしれない。

 

 「たとえ振り向いて貰えなくても…ひまりがいい。ひまりじゃないと、嫌なんです」


 困ったように、由羅は眉根を寄せていた。自分でも、駄々をこねる子供のようだとわかっている。


 それでも、ひまりと一緒にいたかったのだ。


 自分でも、心を制御できない。


 恋心がこんなにも苦しくて、ゆらゆらと不安定に揺れ動いてしまうことも、初めて知った。


 知らなかった感情に、揺さぶられてばかりいる。

 このわがままを捨て去ってしまった方がよっぽど楽だったろうに、自分で制御できない恋心を無かったことにすることなどできないのだ。

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