第34話


 あれから2人が喧嘩をすることはなかったが、無論楽しげに会話が繰り広げられることもなかった。


 無言が続く空間だというのに、お手製のボンゴレパスタは本当に美味しい。ひまりの料理上手な面は、きっと母親譲りなのだ。

 

 食事を終えてからは、あまり長居せずに帰宅の準備をしていた。

 名残惜しそうに母親はひまりを見つめていたが、彼女は気にする様子もなく、さっさと玄関へと向かってしまう。

 

 「お邪魔しました」


 晴那よりも何倍も大きい声で、ひまりは扉を開けて出て行ってしまった。晴那も頭を下げてから、慌てて彼女の後を追いかける。


 すでに外は日が沈んでおり、街頭に照らされた道を駆け足で進んでいた。

 

 「ひまり……」


 まだ、ひまりと出会って半年も経っていないけれど、彼女が本当に優しく、誰よりも人の心に寄り添える女の子だということを、晴那はよく分かっている。


 だからこそ、不器用さが空回るあまり、この子が傷ついてしまう気がして放っておけないのだ。


 「なに……」

 「これ」


 鞄に入っていたハンカチを差し出せば、ゆっくりとひまりがこちらに振り返る。

 予想通り、彼女は大きな瞳からボロボロと涙を流してしまっていた。


 「ちょっと、休もう?」


 手を引いて、近くの公園へと足を踏み入れる。丁度街灯の真下に誰も座っていないベンチを見つけて、2人でそこに並んで座った。


 ふと空を見上げれば、星のない夜空が視界いっぱいに広がる。東京の街は街灯が多いから、星の明かりが掻き消されてしまうのだ。

 

 沖縄も本土では星はあまり見えなかったが、田舎の離島へ行けば無数の星を眺めることが出来た。


 その懐かしさを、少しずつ受け入れられてきているのは、ひまりのおかげでもあるのだ。


 「……お母さんに会えて、良かったね」


 父親をそれほど愛しているひまりなら、母親のことも、姉の由羅のことも。

 同じくらい想っているような気がしたのだ。


 とても、優しい子だから。


 優しすぎるあまりストレートに感情をぶつけてしまう、ぶきっちょな子だから、泣いているこの子を放っておけない。


 他の家族と、ひまりの決定的な違いは、両親の離婚を仕方ないと思えていないところだろう。


 バラバラになる家族を、この子は誰よりも受け入れられなかったのだ。


 ハンカチで目元を押さえながら、ひまりは震える声でぽつりぽつりと話し出した。


 「……お父さんの所に残るって言えば…離婚やめてくれるような気がしたの」

 「うん…」

 「けど、本当に離婚した…っ、無理やり私のこと引き取ろうとして…」


 頭を撫でても、されるがままで振り払われない。

 ここまで弱っているひまりを見るのは、初めてかもしれない。


 「私までお母さんの方について行ったら…本当に、バラバラになっちゃう気がして…お父さんだけ残して、行けなかった」


 ひまりは本当に、優しすぎるのだ。


 由羅のように両親の不仲を受け入れて、仕方ないと思えた方が何倍も楽だっただろう。


 そんなこの子に、何という言葉を掛ければいいのか。 

 どうすれば、心が救われるのか。

 考えるよりも先に、言葉は勝手に溢れ出ていた。


 「…またリユに会いに行こうよ」


 きっと、不器用なこの子にはこれが一番いいのだ。素直じゃないから、こうでも言わないと首を縦に振ってくれない。


 本当は、ひまりは強くない。強く見せているだけで、心は普通の女の子で。

 当たり前のように傷ついて、意外と泣き虫な女の子。


 器用そうで、実は誰よりも生きるのが下手くそなひまりの頭を、晴那は暫くの間ずっと撫で続けていた。

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