第32話
グラウンドから聞こえてくる賑やかな男子生徒の声が、シンと静まり返っている校舎裏に響き渡る。
授業合間で一番長い中休みのお昼休憩中だというのに、ひまりと由羅はどちらも不機嫌そうにムスッとしてしまっていた。
気まずい中、炊き込みご飯おにぎりを頬張る。
鶏肉が一緒に混ぜ込まれていて酷く美味しいと言うのに、それを言える雰囲気でもない。
かつてここに住み着いていた、元野良猫のリユがいればまた違ったのかもしれない。
今は由羅の家で暮らしているが、可愛らしいリユの存在はこの場を和ませてくれたのではないだろうか。
「そういえば、リユは元気ですか?」
ふと気になったことをそのまま零せば、由羅は嬉しそうに首を縦に振っていた。
「めちゃくちゃ元気だよ」
「そうなんですか、会いたいなあ」
「良かったらまたうちにおいでよ」
「はい、ぜひ……」
「あたしも行く」
先ほどまで由羅が浮かべていた笑みは、一瞬にしてなくなってしまう。
みるみるうちに、機嫌を悪くさせてしまった。
「ひまり、猫嫌いでしょ」
「リユって猫のこと…?」
「この子がリユだよ」
以前スマートホンのカメラで撮影したリユの写真を見せてやれば、ひまりは頬を引き攣らせていた。
自身の発言を後悔しているのか、どこか怯んでしまっているように見える。
「…別に関係ない。由羅姉と2人きりにさせるくらいなら行くから」
大きく、由羅がため息を吐いた。
ひまりも負けじと、由羅に対して冷たい視線を向けている。
「別に取って食ったりしないよ」
「どうだが。由羅姉のことだから信用できない」
更に険悪な雰囲気が流れ始め、何とか流れを変えようと割り込むように言葉を発した。
少し不自然だったが、この状況では仕方ないだろう。
「い、いつ行きますか?」
「…今日は、晴那ちゃん空いてる?」
「はい、ひまりは…」
「キャンセルして行く」
「用事があるなら来なくていいけど?」
「チッ」
素っ気ない由羅の言葉に、苛立ったようにひまりが舌打ちする。
晴那がフォローをする暇もなく、二人は次々に口論を始めてしまう。
こんなに仲が悪くて、果たして大丈夫なのだろうか。
板挟み状態で、キリキリと胃が痛んでしまいそうだった。
待ち合わせ場所である靴箱へ向かう途中、ひまりは晴那に対していつも通りだった。
姉である由羅がいなければ、ひまりはあんなにも感情を剥き出しにはしないのだ。それは逆もしかりだろう。
靴箱に到着しても、まだ由羅の姿は無い。ホームルームが長引いているのだろうと、隅っこでひまりと他愛ない話を繰り広げる。
「ひまり、すっかり日焼け戻ったね」
「そう?自分ではあんまり分かんないんだけど……」
「日焼けしてても十分白かったけど、今は本当に真っ白だよ。由羅さんも白いし、遺伝なのかな……」
何気なく呟いた言葉に後悔して、慌てて口元を押さえる。
彼女にとって姉の話題はあまり出して欲しくないことは明確だというのに、デリカシーがなかった。
「ごめん……」
「気使わないでいいわよ…シマは由羅姉のことどこまで知ってるの」
「どこまでって?」
「質問変える。恋愛対象は男の人?女の人? 」
「男の人だよ…?」
突拍子の無い質問に、小首を傾げる。
どうして突然そんなことを聞いてくるのか分からずにいた。
しかし、そう答えたものの、実際晴那は初恋がまだなのだ。
今年で17歳になるというのに自分でも遅いと思うが、今まで誰かを好きになったことがない。
だけど、女として生まれたのだから当然対象は男の人だろうという考えを漠然的に抱いているのだ。
「……だったら、大丈夫だと思うけど」
「何の話?」
「とにかく、由羅姉とあんまり2人きりにならないようにしなよ」
意味深な言葉の真意を尋ねようとすれば、丁度由羅が現れたことで会話は中断されてしまった。
想像通りホームルームが長引いてしまったらしく、到着が少し遅くなってしまったらしい。
以前来た時と同じ道をたどって、由羅の暮らすマンションへと向かう。相変わらずろくに会話のないまま到着して、挨拶をしながら室内に足を踏み入れた。
「お邪魔します」
「おじゃまします」
ひまりも、晴那と同じようにその言葉を口にする。
姉妹だけど、別々に暮らしているのだから当然なのかもしれないが、元々は一緒に暮らしていた家族に対して使うには、どこか寂しさを覚えてしまっていた。
リビングへ向かう廊下を歩いていれば、首元に鈴を付けたリユが足元に擦り寄ってくる。
一通り晴那にじゃれ付いたあと、続いて初対面であるひまりに興味津々な様子で近寄っていった。
「ひっ……」
怯えたように、ひまりは晴那の背中に隠れてしまう。どうやら、想像していたよりもずっと猫に対して苦手意識があるのかもしれない。
「怖いの?」
「怖いっていうか…苦手なだけ」
「こんなに可愛いのに」
抱っこをして、リユの頭を撫でてやれば、心地よさそうに目を細めていた。
自分が好きなものが、相手も好きとは限らないため仕方がないが、ひまりに避けられたリユはどことなく寂しそうに見える。
それからリビングでくつろいでいても、ひまりは相変わらずリユが怖いのか、ソファの上で体育座りをしてしまっていた。
「ひまりはなんで猫嫌いなの?」
「この子、昔引っ掻かれたんだよ」
姉というだけあって、やはり妹の過去には詳しいのだ。ひまりは否定をしないため、事実なのだろう。
由羅が煎れてくれたハーブティーを口に含んでから、どうにかリユを好きになってもらいたくてフォローを入れる。
「けど、リユは爪も切ってるから怖くないよ?」
「シマは、動物好きそうだよね」
「うん…あ、けどヘビは嫌い。昔ハブと遭遇してめちゃくちゃ怖かったから」
猛毒を持つヘビであるハブと遭遇したときは本当に生きた心地がしなかった。あちらが晴那の存在に気づいていれば、間違いなく重傷を負ってしまっていただろう。
「ヘビが出るって…田舎の方?」
「いや、那覇市内だよ」
相当な田舎を想像していたのか、ひまりは衝撃のあまり絶句していた。
「怖すぎるんだけど…」
「茂みに行かなければ大丈夫だって」
「本当に……?」
「ひまりって結構ビビりだね」
「シマが肝が据わってるだけでしょ!」
ひまりの返しについ笑みを零していれば、玄関からガチャリと鍵を開ける音がした。この家は由羅と母親の2人暮らしなため、恐らく仕事から帰宅したのだろう。
出迎えついでに挨拶をしようと玄関へ向かえば、丁度良く扉が開く。やはり、そこにいたのはキャリアウーマンらしく、上下にグレーのスーツを着こんだ彼女たちの母親だった。
「お邪魔してます」
「晴那ちゃん、リユに会いに来たの?」
過去に一度訪れた時に軽く挨拶をしただけだというのに、名前まで覚えてくれていたらしい。
優しい雰囲気に、何より綺麗な容姿は、あの姉妹の母親と言われて納得の要素を兼ね備えている。
後に続いてリビングへと向かえば、彼女達の母親はなぜかその場に立ち尽くし、驚いたように目を見開いていた。
「ひ、ひまり…?」
実の娘だと言うのに、彼女はひまりに対して幻を見るような目で見つめていた。
「え、どうして…何年ぶりよ…?」
「別に何でもいいでしょ」
ぷい、と顔を反らしているが、母親はちっとも気にする様子はない。
久しぶりの娘との再会に、嬉しそうに顔を綻ばせ始めた。
「すぐご飯作るから、良かったら食べて行きなさい」
「いや、シマが帰るときに一緒に帰るし 」
「そうなの…?」
残念そうに肩を落とす母親を見かねて、由羅が助け舟を出す。
ひまりを邪険に扱っている彼女にしては珍しいフォローだった。
「じゃあ、晴那ちゃんがうちでご飯食べていけば?」
またしても選択権を委ねられて、頬が引き攣ってしまう。
由羅の提案に、ひまりは酷く気分が悪そうにしているが、母親のあんなに嬉しそうな顔を見て、誰が断れるというのだろう。
心の中でひまりに謝りながら、晴那は苦々しく笑いながら首を縦に振っていた。
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