第29話


 全身をずぶ濡れの状態で30分ほど歩き、二人はひまりが予約してくれたホテルへと到着していた。

 こんな状態では当然公共機関は使えず、長い道のりを歩くしかなかったのだ。


 先ほどより乾いてはきているが、それでも迷惑になってしまうだろう。

 

 手慣れた様子でひまりがチェックインをして、ルームキーを手に二人で部屋へと向かう。

 

 「着いたらすぐに風呂入るわよ」


 ずぶ濡れの状態が不快らしく、ひまりはここへ来る途中も何度も同じ言葉を吐いていたのだ。


 海水で体はベタベタとしており、どことなく磯臭い。

 

 東京で都会暮らしに慣れているひまりには、耐え難い状態なのだろう。


 ルームキーをかざして部屋に入れば、ワンルームの室内にはベッドが一つしかなかった。


 「…あれ、一個しかない」

 「GW中に一部屋空いてただけ奇跡なの。クイーンだから我慢して」


 電車はもちろん、バスの中だろうとどこでも眠れてしまうため、少し窮屈だろうとちっとも問題ない。


 色々と疲れは溜まっており、休もうとベッドに座ろうとすれば、力強い力でひまりに腕を掴まれる。


 「ちょっと、そこあたしも寝るんだけど」

 「知ってるけど…」

 「ベッドびしゃびしゃになるじゃん!ほんと信じらんない」


 端っこに座れば問題ないかと思ったが、ひまりはそうではないらしい。


 呆れたようにため息を吐いた後、渋々と言った様子で彼女は言葉を溢す。


 「もう一緒に入るわよ」

 「絶対狭いよ」

 「このままだと部屋まで海水臭くなるでしょ」


 そのまま引き摺られるように、バスルームへと連れて行かれる。

 ホテルにしては珍しくバスタブと洗い場が別れており、ゆとりがあった。

 

 手際良くひまりが風呂に湯船を貼り、お湯が貯まるまでの間に二人とも髪の毛を洗い始める。


 濡れてしまった服は後でコインランドリーに出すらしく、洗い場の隅っこに丸めて置かれていた。


 「これ使う?」

 

 そう言って渡されたのは、使い切りの小さな袋に入ったシャンプーとリンスだった。

 見たことのないメーカーで、お礼を言ってから受け取る。


 「ホテルにあるの使わないの?」

 「ギシギシになるから嫌」


 やはりオシャレな人は色々と拘りがあるらしい。小学生の頃から母親が選んだ家庭用シャンプーを変わらず使い続けている晴那とは大違いだ。


 「前から思ってたけどシマって胸大きくない?」

 「そうかな……」

 「大きさどれくらいなの」


 ジッと視線を注がれて、恥ずかしさから手で覆ってしまう。

 何も纏っていない裸体を見つめられて、照れない方がおかしいのだ。


 「……恥ずかしいからやだ」

 「減るもんじゃないでしょ」

 「ひまりが教えてくれたらいいよ」

 「……Cカップだけど」


 薄らと肌をピンク色に染め上げながら、ひまりは羞恥を堪えて言葉を漏らす。

 恥ずかしいだろうに、言い出した手前引くに引けなかったのだろう。


 「シ、シマはどうなのよ」

 「言わなきゃダメ……?」

 「あたしは言ったもん」

 「…ひまりより、2カップ大きい」

 

 彼女と同じように、晴那も恥ずかしさを堪えて答える。

 同性なのだから恥ずかしがる必要なんてどこにもないはずなのに、どうしてこんなにも肌が熱ってしまうのだろう。


 ろくに体を見ることもできず、晴那は気にしていないフリをしながら貰ったシャンプーで頭を洗っていた。


 いまだ火照っている顔を下に向かせつつ、なるべく平常心で声をかける。


 「これ、めちゃ良い匂い。何の香り?」

 「フローラルとか書いてた気がする」

 「いつもひまりからする良い香り、これだったんだ」


 セットのリンスからも同じ香りがして、全てを洗い終える頃にはすっかりひまりの香りに包まれていた。


 全身をシャワーで流してから、湯船に浸かる。

 温度は適温で、疲れた体にぬくもりが染み渡っていく。


 ひまりも洗い場での用事を済ませてから、晴那の後に続いてバスタブに入ってくる。


 横並びの状態なのだが、二人で入るには狭く、肩がぴたりとくっついてしまっていた。


 「もっとくつろげる体制ないかな」


 体制を変えて背中合わせにしてみるが、先ほどよりも肌が触れ合う面積が大きく、もっと落ち着かない。


 向かい合わせは、ひまりが恥ずかしいからと直ぐに却下してしまった。


 結局最初の横並びの体制に落ち着く。

 顔が見えないおかげで羞恥心は緩和されたが、長湯をしているせいか未だに頬は火照ったままだった。


 セミロングの髪をすくって、そっと香りを嗅げば、普段ひまりから感じる優しい香りが広がってくる。

 

 「このシャンプーすごい良い香り。サラサラになるし」

 「…今度同じやつあげようか」

 「いいの?」

 「サロンモデルしてる美容室で貰ってるやつだから、ボトルが家に何個もあるの」

 「ひまり、モデルしてるの?」

 「美容室のね。所詮素人モデルだから」


 そうは言っても、美人でなければ出来ないのは間違いない。

 だからこそ、ひまりは周囲よりもより一層洗練された雰囲気を纏っているのかもしれない。


 

 風呂から上がってからはルームサービスを頼み、腹ごしらえが済めば直ぐにベッドに横たわっていた。

 今朝早起きだったことに加えて散々歩き回ったため、体を休ませてあげたかったのだ。


 クイーンサイズのベッドに横たわりながら、こちらを向いて目を瞑っているひまりの顔をじっと眺める。


 まつ毛が長くて、肌が真っ白で。

 髪もサラサラで、本当に絵に描いたような女の子だ。


 「……ひまり、もう寝た?」

 「寝た」

 「起きてるじゃん」


 そっと目をあけて、こちらを見てくれる。

 同じベットの上で、至近距離からひまりと目を合わせるのは新鮮だった。


 「寝なよ。飛行機早い時間しか取れなかったから、明日も早いのよ」

 「うん……あっという間だったなあって」

 「また来ればいいでしょ」


 また、一緒に沖縄に来てくれるのだろうか。

 何気ないひまりの一言に、つい浮かれてしまう。


 シーツの中に隠れていた、ひまりの手を見つけて握り込んだ。


 「ありがとう」


 改めてお礼を言えば、ひまりは狼狽えるように目線を彷徨わせた後、すぐに手を振り払ってしまった。


 そして、くるりと背中を向けて「さっさと寝なよ」と言葉を続けている。


 目を閉じて、晴那も眠りにつく。

 ぽっかりと空いてしまっていた穴が、塞がっているような気がしていた。


 楽しい旅の思い出に、悲しかった記憶が上書きされつつあるのだ。




 翌朝、眩しい朝の光に照らされて、晴那は自然と目を覚ましていた。

 体を起こそうとすれば、何か力強い力で押さえ込まれていることに気づく。


 一瞬驚きつつも、すぐにそれが何であるかを察して、思わず笑みを浮かべてしまっていた。


 「…癖なのかな、これ」


 眠る時に、ひまりはなにかを抱きしめていないと眠れないのかもしれない。

 

 なんとか出ようとするが、力が強くて敵わなかった。

 意外な子供っぽさに、どこか癒されている自分がいる。

 大人びているようで、不器用で。

 かと思えば、晴那の気持ちを察して汲み取ってくれる。

 様々なひまりの一面に、晴那はもしかしたら夢中になっているのかもしれない。

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