第7話
遅れて教室に入ってきたひまりは、いつも通りすぐにクラスメイトに囲まれてしまっていた。
密かに声を掛けようと企んでいたのだが、やはり人気者の彼女は中々声を掛けづらい。
まるで朝の電車の時間が嘘だったかのように、教室内で二人の接点はないのだ。
会話はもちろん、目線が交わることだって殆どない。
所詮、お隣さん同士でしかないのだから当然だというのに、寂しいと感じてしまう自分が図々しく思えてしまう。
中休みになってもそれは相変わらずで、チャイムの音とほぼ同時に、ひまりを中心とした御一行は教室を出て行ってしまう。
コンビニの袋を抱えて、晴那はいつも通り校舎裏へとやってきていた。
一人でご飯を食べるのも、気付けば当たり前のようになってしまっている。勿論寂しくないと言えば嘘になるが、最初よりは慣れてきているのだ。
壁にもたれかかりながら座り込んでいれば、野良猫が擦り寄ってくるのも、もはや恒例になっている。
ご飯を食べ終えてから、そばにあった猫じゃらしで野良猫と戯れる。
本当に人懐っこく、ネコが鳴くたびに、晴那も釣られて笑みを浮かべてしまっていた。
暫くして遊びに飽きたのか、猫は四足歩行で反対方向へと歩いて行ってしまう。
その後をついていけば、そこには酷く儚く、美しい光景が広がっていた。
「すごい、綺麗…」
校舎裏の、更に奥へ行った所には花壇が立ち並んでいたのだ。
色とりどりの花々は、桜の木に負けず劣らずの鮮やかさを誇っていた。
その美しさに瞳を奪われていれば、花壇の隣に置かれていたあるものの存在に気づく。
「…これって」
パッケージにはネコのイラストが描かれており、中身は空っぽ。
おそらく、この猫が食べた猫缶だろう。
どうりで、晴那の食事を欲しがらなかったわけだ。
晴那以外に、このネコに構っている誰かがいるのだ。
「お前、ひとりぼっちじゃないんだな」
独り言のように呟けば、さらに猫がニャアと鳴いてみせる。
一人は、寂しいのだ。
慣れたつもりでも、やはり誰かがそばに居るだけで暖かくて、幸せになれる。
だからこそ、この子の世界にいるのが晴那だけではないことに、思わず胸を撫で下ろしてしまっていた。
学校が終われば、誰とも喋らずに教室を出て、うみんちゅハウスへと向かう。
部活にも入っていないため、放課後やることがない晴那は頻繁に両親の手伝いをしているのだ。
駅からの道を歩いていれば、斜め向かいに見知った後ろ姿を見かけて、早歩きで駆け寄った。
「由羅さん」
由羅はいつも着替えてからバイトへ行っているらしく、今日もラフな普段着を身につけている。
振り返った彼女は、晴那の姿を見て嬉しげに顔を綻ばせてくれる。
晴那も同じように返してあげたいというのに、昨夜由羅の前で泣いてしまったことが、今更ながらに恥ずかしくなってしまう。
子供のように想いを吐露して泣きじゃくる所を見られて平気なほど、神経は図太くない。
しかし、大人な彼女は晴那の気持ちを汲み取ってか、昨夜の話題にまったく触れてこなかった。
当たり障りのない会話が続き、次第に晴那もリラックスし始める。
「そういえば、晴那ちゃんってバイトの時以外はいつもマスクしてるよね」
「花粉症が酷くて…」
「そっかー…勿体ないなあ。せっかく可愛いのに」
「由羅さんの方がずっと綺麗です」
「私は化粧してこれだもん」
そう言われて、確かに由羅の唇が赤く色づいていることに気づく。
もう高校2年生だというのに、晴那は一つもメイク道具を持っていないのだ。自分に無頓着で、今まで気にしたことだって一度もなかった。
「由羅さん化粧してるんですね。私、メイクとか全然分からないです」
「え、それすっぴんなの!?」
素直に首を縦に振る。晴那は生まれつきまつ毛が長いため、まるでマスカラをしているようだと言われることが多いのだ。
由羅もおそらく、そこで判断していたのだろう。
「羨ましい…じゃあお化粧したらもっと化けるね」
「けど、私化粧とかよくわからないから…当分は…」
メイクの知識だって、まったく無い。
一から始めるにしても、まず何からすれば良いのかも分からないのだ。
うみんちゅハウスに到着すれば、何故か晴那は更衣室ではなく休憩室へと連れてこられていた。
「ねえ、ちょっとここ座って?」
言われるままに椅子に腰を掛ければ、由羅はどこからかパイプ椅子を持ってきて、晴那と対面式になるように座っていた。
まだ由羅のシフト入りの時間まで20分ほどあるが、何をするつもりだろうか。
ギシッと、パイプ椅子を軋ませたかと思えば、何故か由羅はこちらに近づいてくる。
彼女の端正な顔もすぐ近くにあって、それに驚いて身を引こうとしても、腕をしっかり掴まれているため叶わなかった。
「ゆ、由羅さん…?」
「目、瞑ってて」
「なんで…」
「いいから」
恐る恐る目を瞑れば、瞼にひんやりとした感触が伝わる。
そのまままつ毛をグッと引っ張られる感触に肩を跳ねさせそうになるが、動かないでと制されてしまったため、何とか堪えた。
「目、開けてみて」
そっと目を開けば、すぐに鏡を差し出される。
綺麗に磨かれた手鏡に写っていた晴那のまつ毛は、綺麗に上に上がっていた。
由羅やひまりのようにクルンとカールしていて、どことなくいつもより目が大きく見える気がする。
「晴那ちゃんすごいね…まつげバサバサ、羨ましい。ビューラーだけでこれならマスカラいらないよ」
彼女の手には、化粧ポーチが握られていた。中にはコスメがたくさん入っている。
「せっかくだから、もうちょっとお化粧してみない?」
その好意が嬉しくて、首を縦に振れば、あっという間にされるがままの状態に。
瞼にはキラキラとしたブラウンのアイシャドウを入れられて、眉毛も薄く描かれる。
知識では薄らと知っていたが、実際化粧を施されるのは七五三以来だ。
「口紅は色々あるけど…どの色がいいかな」
化粧をしてくれる由羅は、いつにも増して楽しそうで、生き生きとしている。
まるで画家が絵画に色を載せていくように、彼女の手つきはとても器用で繊細だった。
「由羅さん、化粧好きなんですか?」
「うん。ヘアアレンジも好きで…卒業したら、美容師の専門学校行く予定なんだ」
だからこんなにも器用なのか。由羅の髪は艶々で、一目で手入れが行き届いているのが分かる。
一つしか違わないのに、あまりの大人っぽさに憧れずにはいられない。
「コーラル系とレッド系、どっちがいい?」
コーラル系の意味が分からず、「由羅さんの好きな方で」と答えた。
すると、顎をクイっと持たれて、口紅で色を染められる。
顔が近く、必然的に瞳があって、思わずどぎまぎしてしまう。
本当に、綺麗な人だ。
顔のパーツ一つ一つが文句の付け所がなく、誰が見ても由羅を美しいと思うだろう。
「シアーだからナチュラルだし、すっごく似合うよ。ほら」
改めて鏡を渡される。唇に赤色が生えるだけで、確かに顔色が映えるのがわかった。
かなりナチュラルだというのに、すっぴんとは違う印象だ。
「本当に由羅さん器用ですね」
「慣れだよ。気に入ったコスメあったら貰っていっていいよ」
「いや…自分で買います」
タダで貰うのは気がひけるし、晴那自身、化粧品に興味を抱き始めていた。自分で見て、あったものを買いたいと思ってしまう。
今までの晴那にとって、おしゃれは縁のない程遠いものだった。
化粧品が欲しいなんて、人生で初めて抱いた感情だ。
「おすすめのコスメとかあったら、教えてもらえませんか?」
「じゃあ、今度一緒に買いに行こうよ」
「いいんですか…?」
「うん。私もついでに自分の買いたいし」
彼女の優しさに、心がふわふわと優しい気持ちに包まれていくのが分かる。
本当に、由羅には感謝しても仕切れないのだ。
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