第3話


 酷く重い足取りで、学校へと到着したときには既に時刻は10時を迎えてしまっていた。


 編入試験の時に一度だけ来た学校の廊下を、余所者の気分で歩く。


 自身の教室も分からないため、唯一知っている職員室へと向かっていた。


 当然始業式は既に終了しており、他の生徒は教室にいるのか、廊下は酷くシンとしている。


 緊張した面立ちで職員室の扉を開けば、四十代ほどの女性がズカズカと近づいてくる。

 

 「島袋、初日から遅刻か?」


 おざなりに自己紹介をされてから、始まったのは説教だった。

 担任と紹介された女性教師の声は大きい。  

 ハキハキと喋って、捲し立てるような言葉遣いだ。


 「もう始業式終わってるんだぞ?何してたんだ」

 「時間通りに、家は出たんです…」

 「じゃあどこかほっつき歩いてたのか?」

 「そうじゃなくて…先生、あのさぁ」

 「タメ口で喋るな!」

 

 一際大きな声で怒鳴りつけられて、ビクッと身をすくませる。


 思わず、沖縄の頃の癖で「あのさ」と言ってしまったが、東京ではタメ口と思われてしまうのだろうか。

 沖縄の時は教師に使って怒られることはなかったが、ここではそうもいかないらしい。


 知らずに使ってしまったことを後悔してももう遅い。


 遅刻をした挙句、タメ口をきく転校生。

 側から見たら、どう考えても悪いのは晴那だ。


 「何か、言うことはないのか」

 「すみませんでした…」


 辛うじて出た謝罪の言葉は、か細く震えていた。

 涙が出てこないのが幸いだったけれど、少しでも気を抜けば、足元がふらついてしまいそうだ。




 晴那の謝罪を聞いて満足したのか、それ以上女性教師が責め立ててこなかっただけ幸いだろう。

 

 3限の授業開始時間と共に教室まで連れて行かれて、担任の言葉を合図に晴那も室内へ足を踏み入れる。


 黒板には晴那の名前がフルネームで書かれていて、クラス中の視線が自分に集まっているのが分かった。


 「お前ら席つけ。転校生の、島袋晴那さんだ」


 まばらに拍手が起き始める。

 緊張で心臓をバクバクと早らせていれば、後ろの席に見知った顔を見つけた。

 

 マンションの隣人で、今朝駅のホームで見かけた彼女は、どうやら同じクラスだったらしい。


 まさか、学校どころかクラスまで一緒だなんて…と驚いていれば、教室に揶揄うような男子生徒の声が響いた。


 「顔見えねー。マスク取ってよ」


 皆も総意だったのか、次々とヤジが飛び交いだす。


 「たしかに!覚えらんないし」

 「取ってよー」


 四方八方から声が飛んできて、思わず持っていたリュックをギュッと握り込んでしまう。

 やはり、取った方がいいのだろうか。


 恐る恐る、マスクの紐に手をかけた時だった。


 「うっさい」


 教室に響いた、女生徒の怒鳴り声。 

 それを合図に、一気に教室中がシンと静まり返る。

 

 お隣さんの一声で、先ほどまでの喧騒はどこか遠くへ飛んで行ってしまっていた。


 「…じゃ、じゃあ島袋はあの空いてる席な」


 案内されるままに、空いている席に腰を掛ける。

 あの一言で場が鎮まりかえると言うことは、皆んなから怖がられている生徒なのだろうか。


 それからすぐにホームルームへ入って、初日ということもあってか11時に入る前に解散となる。


 先ほどのお礼を言おうと、席を立ち上がりお隣さんの元へ行こうとすれば、彼女は沢山の生徒に囲まれてしまっていた。


 「ひまりと同じクラスまじ嬉しい」

 「オレも。どっか遊び行かね?」

 「私も行く、カラオケ行きたいんだけど」


 わらわらと、お隣さんの席には人が集まっている。そこで初めて、彼女の下の名前がひまりと言うことを知った。


 瀬谷ひまりは、どうやらかなり人気者の生徒らしい。

 怖がられていたのではなく、人気者の彼女に嫌われたくなくて、皆機嫌を取ろうと口を噤んだのだ。


 到底割り込める雰囲気でもなく、お礼を言うこともできないまま、ひまりを中心とした集団は教室を後にしてしまった。

 

 他の生徒も次々と帰り始め、晴那も1人ぽつんと教室を出る。

 せっかく来たというのに、1時間も滞在していない。


 蜻蛉返りのような状態で、担任教師以外と一言も喋ることが出来なかった。





 学校を出た晴那は真っ直ぐに家には帰らずに、両親の経営する『うみんちゅハウス』へとやってきていた。


 沖縄料理店として営んでいるのだが、中々に売り上げは好調らしい。


 晴那は幼い頃から両親の手伝いで働いているため、社員と変わらないくらい業務はこなせるようになっているのだ。


 東京店は料理名も店内の様式も本店とあまり変わらないため、すっかりここでの業務にも慣れてしまっていた。 


 室内ということもあり、マスクを外して接客に励む。花粉症のせいで、マスクをせずに外出をできないのはかなり辛いものだった。


 ランチタイムを終えて、夕方のピークタイムに備えて備品を整理していれば、休憩室からアルバイトスタッフが1人やってくる。


 時刻を見れば16時で、丁度学生スタッフがやってくる時間だった。


 「おはようございます」


 声を掛けられて振り返れば、そこに立っている女性を見て、思わず目を見開いてしまっていた。

 佇んでいた彼女は、晴那が16年間生きてきた中で、1番美しかったのだ。


 170センチは超えているであろうスタイルの良さに、何より驚くほど容姿が整っている。


 美人が多いと言われている沖縄でも、滅多にお目にかかれないレベルの美しさだ。


 今働いているスタッフは全員オープンと同時に働いていると聞かされていたため、彼女もオープニングスタッフの1人だろう。


 「私、亜澄あずみ由羅ゆらです。オーナーの娘さんですよね?」

 「はい、晴那です。よろしくお願いします」


 思わず綺麗ですね、と言いそうになってしまい、咄嗟に堪える。

 きっと褒められ慣れているだろうし、初対面でいきなり容姿を褒めても戸惑わせてしまうと思ったからだ。


 「高校生くらいですか?」

 「いま2年生です」

 「じゃあ私一個上です」


 大人っぽい雰囲気を纏っている由羅は、意外と親しみやすい性格で、人懐っこく晴那に話しかけてきた。


 久しぶりに歳の近い子と話せたのが嬉しくて、つい声が弾んでしまっているのが自分でもわかる。


 「タメ口でいいですよ。私、手伝ってるだけで働いてるわけじゃないので…」

 「でも…」

 「代わりに、私も由羅さんって呼ばせてください」


 言えば、由羅はどこか嬉しそうに「わかった」と言葉を返してくれた。

 

 スタイルの良い彼女は腰に巻いているエプロンの位置も高い。

 足もすらっと長く、一つに纏めている髪もツヤがあって綺麗だった。


 「晴那ちゃん、沖縄の人だよね?こっちの高校どう?」

 「今日が始業式で…」


 そこで、口を閉ざしてしまう。

 誰とも喋れなかったです、なんて言っても困らせてしまうだけだ。

 

 言葉を詰まらせた晴那に、何かを察したのだろう。由羅は明るい声色で優しい言葉を掛けてくれた。

 

 「晴那ちゃんならすぐ友達できるよ。だって可愛いもん」


 それがお世辞であることは分かっていたが、由羅の優しさは沈み込んでいた心を少しだけ軽くしてくれた。


 沖縄に来て、初めて友好的に接してくれる年の近い女の子。

 出会ったばかりだというのに、由羅の存在が今の晴那には心強くて堪らないのだ。

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