第2話

 

 段ボールまみれの部屋で、マスクをつけながら荷解きをしていく。

 3LDKの一室を一人部屋として与えられているが、沖縄で暮らしていた部屋よりは随分狭い。


 東京の方が家賃が高いと言うし、おそらく予算自体はそこまで変わっていないのだろう。


 黙々と片付けを進めていく中で、大切なものとマジックペンで書かれた段ボールを開く。


 確か、中身はアルバムやお気に入りのマスコットだったはずだ。


 「…ッ」


 1番上に、梱包材で厳重に保護されている写真立て。


 親友だった我謝がじゃ香澄かすみとのツーショット写真で、一年前の高校入学式の写真を入れているものだ。


 本当に仲が良かった親友との写真。

 いつも棚の上に飾っていたというのに、晴那はそれを直視することができなかった。


 堪らず、ベッド下の引き出しに入れてしまう。

 この写真を見るだけで、沖縄への未練が込み上げてきて、苦しくて堪らなくなる。


 現実から目を背けるために、晴那は過去の思い出から逃げたのだ。


 その自己嫌悪からさらに落ち込んでいれば、ノックをせずに、母親が晴那の部屋へと入ってくる。


 「ねえ、晴那。お隣さんにこれ持っていってくれない?」


 渡されたのは、空港で買った紅芋タルトだった。両隣に挨拶をして来いとのことで、億劫な気持ちのまま腰を上げる。


 花粉症にはマスクが良いという父親の言葉通りに装着して、まずは左隣の家のインターホンを押した。


 表札には三淵みぶちと書かれており、暫くして恐る恐ると言った様に扉が開く。

 なぜかチェーンが掛かっており、僅かな隙間から晴那は声をかけた。


 「こんばんは」

 「…なんですか。セールスなら帰ってください」

 「違います、私隣に引っ越してきた島袋で…」

 「島袋さん…?半年前も挨拶してもらいましたけど…」

 「私と母は今日来たので…よろしくお願いします」


 紅芋タルトを渡せば受け取って貰えるが、三淵はすぐに扉を閉めてしまった。

 もっとにこやかに対応されると思っていたため、素っ気ない態度に戸惑ってしまう。


 続いて、今度は左隣の瀬谷せやのお宅へ出向いた。

 

 「あれ…出ないな」


 インターホンを押しても、応答がない。もしかしたら留守なのだろうか。

 

 暫く待っても返事がなく、出直そうと足を進めた時だった。


 「うちに何の用?」


 反対側から声が掛かって、驚いて顔を上げる。丁度どこかへ出掛けていたのか、そこに立っていた女性は酷く粧し込んだ格好をしていた。


 一般人とは程遠いくらい顔が小さく、パーツ一つ一つが整っている。

 背も高く、スタイルも抜きん出て良い。

 

 同年代くらいに見えるが、晴那とは違って酷く洗練された雰囲気を纏っていた。


 東京の人は皆こうなのだろうかと驚きつつ、左手に抱えていたお菓子の箱を彼女に差し出す。


 「私、隣に住む島袋の娘で…これからお世話になるので、よろしくお願いします」

 「紅芋タルト…?挨拶って、あんた真面目過ぎない…?」


 真面目と言われた記憶は殆どない。

 授業中は寝ることも多く、問題児ではないが優等生と言われたこともないのだ。


 「引っ越しの挨拶に来た人、あんたのとこが初めてよ」

 「普通、挨拶するんじゃ…」

 「しないっしょ?けど、これありがと。じゃあね」


 彼女はそう言い残して、さっさと自宅へ入っていってしまった。

 パタンと閉じられてしまった扉を眺めながら、グッと手のひらを握りしめる。


 歳も近いから、ご近所さんとして名前くらいは知りたかったが、彼女はそうではなかったらしい。


 相変わらず気分が晴れないまま自宅へと戻れば、丁度母が夕ご飯を作り終えた所だった。段ボールに溢れた室内で、手を合わせて食卓を囲む。


 引越し祝い代わりの、沖縄そば。

 ダシが効いていて、美味しいはずなのに。

 沖縄にいた頃、大好きだったメニューの一つであると言うのに、晴那はちっとも美味しいと思えなかった。




 

 


 目を覚まして、事前に袋から取り出しておいた新品な制服に身を包む。

 

 ネイビーのブレザーに、淡い水色を基調にしたスカートとリボン帯。

 スカートの丈も短く、まるで漫画に出てくる様な学校の制服だ。


 今日からこれを着ることが出来るというのに、相変わらず気は重い。

 

 全身鏡に映った、自分の姿を見る。サイズはぴったりだが、似合っている自信はあまりなかった。


 「晴那、遅刻するわよ」


 母の言葉に時計を見やれば、既に家を出る予定時間を5分も過ぎていた。

 鏡に夢中になっていたあまり、時間の経過に気づかなかったのだ。


 東京に来て1週間が経ったが、相変わらずくしゃみが止まる気配はない。

 マスクをつけなければ外に出られないほど、かなり重症なのだ。


 桜並木道の下を、少し肌寒さを感じながら歩く。


 沖縄での入学式はいつも半袖だった。

 4月の時点ですでに暖かく、長袖を着る必要がないからだ。


 こんな些細な違いも、やけに気になってしまう。どちらかといえば大雑把な性格だったというのに、これでは神経質の人のようだ。


 駅に到着して、あらかじめ教えられていた学校方面のホームへ向かう。

 そこにいる人だかりを見て、晴那は思わず立ち尽くしてしまっていた。


 「え…」


 ホームには人が多く並び、昼間に買い出しのために乗っていた電車とは比べ物にならない程、人が密集している。


 「駆け込み乗車やめてくださーい」


 駅員が声高らかに叫ぶが、そんなのお構いなしに次々と乗客が満員電車に乗り込んでいく。

 

 「あれに乗るの…?」


 自然と、足がすくんでしまう。あんなの、乗れるはずがない。

 生まれて初めて見る満員電車に、すっかりと怖気付いてしまっているのだ。


 もう少し人が減ったら乗ろうと、ホームの隅にあるベンチに腰を掛けてしまう。

 初めての登校なため、時間には余裕を持って出ている。


 時間をずらせば人が引くことを期待していた晴那の予想とは裏腹に、10分、20分が経過しても、ちっとも人が減る気配はなかった。


 それどころか、先ほどよりも人が増えてきてしまっている。

 焦りから、額に汗を滲ませていた時だった。


 東京で唯一の知り合い。いや、知り合いと呼ぶには遠すぎる。

 名前だって知らない、左隣のお隣さん。

 

 お人形のように整った顔立ちで、晴那と同じ制服を着た瀬谷の姿がそこにはあった。


 歳が近いだろうとは思っていたが、まさか同じ学校だとは思いもしなかった。


 彼女は慣れたように満員電車に乗り込んで、上手く体を滑り込ませていった。

 扉が閉まり、定刻通りに彼女を乗せた電車は出発していく。


 「どうしよう…」


 晴那も電車に乗らなきゃいけないのに。学校へ行かなきゃいけないのに。


 時間だって、そう残されていない。頭ではわかっているのに、体が言うことを効かず、その場から一歩も動けないのだ。

 

 人が減り、電車にも余裕が見え始めた時には、既に時刻は2時間も経過してしまっていた。


 登校時間は既に過ぎており、間違いなく遅刻確定だ。


 人が減った電車に揺られながら、あまりの臆病さと意気地の無さに、自分が情けなくて仕方なかった。

 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る