第4話
翌朝。昨日と同じ時刻に家を出て、昨日と同じ電車に乗って、晴那は学校へと向かっていた。
次の日も、その次の日も。
意気地なしの晴那は、結局未だに満員電車に乗ることができず、毎日遅れて学校へ行っているのだ。
学校について教室ではなく、まず最初に職員室へ向かうのも、すっかり日課になってしまっていた。
「島袋、お前なんでいつも遅刻してくるんだ」
「…すみません」
理由を問われても、言葉を濁してしまう。つまらないプライドと、ちっぽけな意地のせいで、満員電車に一人で乗れないことを誰にも言えずにいるのだ。
満員電車が怖くて乗れないなんて、東京の人が聞いたらどう思うのだろう。
そんなこともできないのかと、馬鹿にされるような気がしてしまう。
また、心のどこかで自分でもそう思っているからこそ、誰にも相談できずにいるのだ。
「次遅刻したら、親御さんに連絡するからな」
「え…」
「転校早々そんなんじゃ先が思いやられるからな。ちゃんと早起きしろ」
一方的に、遅刻の理由は寝坊と決めつけられてしまっているらしい。
1週間、毎日遅刻してくるのだから、そう思われても仕方ないだろう。
当然教師陣からいい顔はされず、遅刻ばかりでいつもマスクをつけている転校生を、クラスメイトが友好的に受け入れてくれるはずもない。
1週間もすれば仲の良いグループも固まり始めるが、晴那はいまだ友達が出来ないままだった。
人見知りなことも相まって、クラスメイトに声を掛けることができずにいるのだ。
内心、友達が欲しくて堪らないというのに。
休み時間になって、晴那は一人で校舎裏へとやってきていた。
賑やかな教室で一人でご飯を食べるのは寂しいため、こっそりとここで食べているのだ。
食堂も人がごった返しているため、誰もいない場所は、晴那が知る限りここしかなかった。
コンビニで買ったシャケおにぎりを、緑茶で流し込む。
沖縄では当たり前のように売っていた油味噌味のおにぎりとさんぴん茶は、東京では売っていなかった。
だから仕方なく、代わりにしゃけおにぎりを頬張っているのだ。
「クシュンッ」
相変わらず、くしゃみは止まらない。一体いつになったら花粉症は治るのだろうか。
克服しない限り、マスクを外して生活も出来ないのだ。
喉がイガイガして、更に緑茶を流し込もうとすれば、茂みからガサガサと音が聞こえて、咄嗟に動きを止める。
暫くして現れたのは、1匹の小さな子猫だった。
「ニャーン」
黒猫で、瞳がクリクリしている。首輪はしていないため野良猫だろうが、擦り寄ってきてかなり人懐っこい。
「…可愛い」
警戒心が薄いのか、手を伸ばしても怯えることなく撫でさせてもらえる。
可愛いと思っているのは本心なのに、上手く口角は上がってくれない。
おにぎりだって、好物じゃないとは言え美味しいのに、ちっともおいしいと感じない。
せめて、由羅が同じ学校だったら良かったのにと、そんなたらればを考えてしまうくらい、晴那の心は疲弊しきっていた。
瞳から、じんわりと涙が込み上げてきて必死に堪える。
泣くな。今泣いたら、惨めになる。
これくらいで泣いていたら、東京でなんてやっていけない。
「…痒いなあ」
そうやって必死に自分を押さえ込みながら、花粉症で痒い目を、晴那は必死に抑えていた。
午後の授業が始まる前に、晴那は個室のトイレにて、手鏡を使って自身の目元を確認していた。
ジッと鏡を見ている姿を見られるのが恥ずかしかったのだ。
先ほど目元を擦ったせいで、どこか腫れぼったく感じてしまっている。
眼球は傷付いていないが、やはり違和感は拭えない。
目薬が鞄にあったはずだから、教室に戻ったら使おうと考えていれば、「てかさ」という大きな声が聞こえて、思わず身を潜めてしまう。
「転校生まじで暗くない?」
誰かは分からないが、クラスメイトの誰かだろう。
転校生というワードにドキっと心臓を跳ねさせながら、つい耳を澄ませてしまっていた。
「全然喋んないよね。前、
人見知りに加えて、初日に担任教師に怒鳴りつけられたことで、晴那はすっかり萎縮してしまっていた。
必死に標準語を喋ろうとするが、それがあっているのかもよく分からない。
その不安さが、同級生とコミュニケーションを取ることを阻害しているのだ。
「マスクの下見た人、誰もいないんでしょ?実はめっちゃ美人とかだったり?」
「逆にめっちゃブスかもよ?だからマスクしてるんでしょ」
「ブス隠しか〜、悲惨だわ。どうせなら、明るい子が良かったよね」
「わかる。いっつも下向いてるし、なんか見てていてイライラするんだよね」
本格的に始まった悪口。耳を塞げば良いのに、黙って聞き続けてしまう。
一言も喋っていないのに、こんなにも嫌われている。不思議と、涙は流れてこなかった。
そこまで傷付いていないのかと思ったが、午後の授業からの記憶がちっともない。
悪口を言われていたことは思いの外晴那の心を蝕み、思考力を低下させてしまっていたのだ。
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