鬼ごっこ (前編)
回れ右をして、五人は全力で渡り廊下を駆ける。
「北斗、走れますか?」
『問題ない、我らが走る。』
北斗に代わって応えたのは影月である。
北斗はいつの間にか影の中から現れた陽光にまたがり、いなりたちの横で並走していた。
この中で唯一人間である北斗は、どうしても身体能力面で劣ってしまう。とはいえ、その問題も狛狗たちがいれば解決する。
愁を先頭に、五人と二匹は渡り廊下を全力で駆け抜ける。
いなりはちらりと後ろを振り向く。が、見なければよかったと後悔した。
キャハハハハハという、おおよそ人の身体からは出せない、神経を逆なでるような奇声を発して、少女がものすごい速度で追いかけてきていた。
包丁をめちゃくちゃに振り回し、髪を振り乱している様子は狂気であふれている。
「とにかく、いったんまくぞ!」
廊下を曲がり、いなりたちは近くの教室へと駆け込む。
そして扉を閉める。
その直後、少女と思しき影が教室の前を過ぎ去っていった。
「・・・・・行ったか?」
「行った、ねー。」
どっと、緊張が抜け落ちた。
「はー」と、大きなため息をついて、五人はそろってその場に座り込む。
「色々言いたいことがあるんだが、まずアレはなんだ?」
「意識空間みたいだっつったろ。つまり、ここはあのイカれた嬢ちゃんがこの空間の主人なんじゃないのか?知らんけど。」
ようやく、自分の違和感の正体がつかめた。
八重はここを意識空間だと指摘していた。
―――ここは、一体誰の意識空間であるのか?
空間の異様な雰囲気にのまれてしまい、そのことをすっかり失念してしまっていた。
冷静になって考えてみれば、すぐに思いつくことだ。
「てか、あれまず人間じゃねえだろ。」
「妖怪ですらなさそうだけどね。」
黒羽がそう言うと、あからさまに愁の顔色が悪くなる。
「な、じゃ、じゃあ、ありゃゆうれ」
「なわけあれへんやろ、あほ。幽霊なんかおらんわ。」
八重の言う通りだ。
幽霊なんてものは、いない。
今いなりたちの前に出現したのは、それ以上にヤバいものである。
「あの子の正体については一度置いておきましょう。それよりも、どうして八重の空間干渉が破られたんですか?」
一番聞きたいことはこれである。
なぜ、ああもあっさりと
「意識空間は、要するに人の夢みたいなもんや。夢の中は、その夢を見る奴の想像の塊。だから、この空間内ではあの子の思う通りってことなんちやろ。」
八重は悔し気に顔をゆがめる。
「え、じゃあ妖術とか使えねえのかよ!?」
愁がぎょっと目をむいた。
しかし、これには八重が否と答えた。
「使うには使うことはできる。せやけど、あの怪物嬢ちゃんを攻撃することはでけへんやろうな。」
八重はそういって、実際に手元に亜空間を展開させてみせる。確かに、試してみるといなりも狐火を出すことができた。
しかし、少女のことを攻撃する手段が今のところない以上、こちらが不利なことには変わらない。
「ちなみに、校舎から脱出することはできないのか?」
「試すか。」
愁は首にかかっているお守りを開ける。すると、瞬時に手の中に一振りの日本刀が現れた。おなじみの彼の護身刀である。
九州で一度、愁の刀は折れてしまっている。今愁が持っているのは、彼の父―――修羅童子・羅刹の刀だ。“鬼童丸”という名を持ったその刀は、黒い刀身を持ち、柄は金色の組み紐でくくられている。
愁は刀に妖力をこめると、窓に向かって太刀を振り下ろす。
刀と壁がぶつかる直前、黄色い火花が散る。
―――が、しかし
「うーん・・・」
「・・・傷一つつかないですね。」
「俺、結構容赦なくやったつもりなんだが!!?」
言われなくとも分かる。あの一太刀をもとの世界の校舎の壁めがけて放ったら、おそらく学校は倒壊していたことだろう。
愁は大層不満げな顔をして、びくともしないその壁を睨みつける。
「そういや、お前って転移できねえのか?空間干渉系だろ。」
「悪いが、うちの妖術は切り刻むのが専門でな。転移はでけへん。」
愁が聞くと、八重は静かに首を振った。
そういえば、八重は空間を切り分けたりすることはしても、空間転移をいなりたちの前でしたことは一度もなかった。
出かける時とて、彼女は公共の移動手段を使う。
槍をふるって戦う彼女のスタイルに見慣れてしまったせいで、今更ながら、気が付いた。
しかし、空間転移ができないことは大した問題ではない。想像でしかないが、たとえ空間転移ができる者がいたとしても、外部に出るということができない空間と、もとの空間をつなぐこと自体無理だったのではないかと思う。
それが想像つくからこそ、八重のことを責めるようなものこの場にいない。
「このままだと、たとえここで花守を見つけることができたとしても、出ることができないんじゃないのか?」
「いえ、さすがにそれはないかと。おそらくですが、あの少女を叩けば、おそらく消滅するんじゃないかと思います。」
どんなに強い術でも、その術者さえ倒してしまえば、術の効力は失われる。
これと原理は同じであり、ここが本当に意識空間であるならば、この空間のいわば元凶である少女さえなんとかしてしまえば、戻る希望はある。
「ひとまずは花守さんを探すことに専念すべきだねー。」
「あの怪物から逃げながらか?」
「うーん、せっかく人数もいるわけだし、ここは二手に分かれるのはどうだろうー?」
「二手?」
黒羽はふむと腕を組む。
自分たちの常識が通じぬ異界においても、黒羽はひとり楽しそうに微笑んだ。
「一つは探索班、で、もう一つは囮班。囮班はあの怪物少女の気をひいて、その隙に探索班は花守さんを探すんだー。」
なるほど。確かに効率はよさそうである。それに、合理的だ。
あの少女のことを先に倒して、この空間がどう変化するかは未知数だ。その前に、花守を確保しておく必要がある。だからこその囮役である。
少女のことを殺さず、探索班のところに行かぬよう、ひきつけておく必要がある。そして、逆に少女に自分たちが殺されないようにもして。
「仮にその作戦でいくとして、連絡はどうやって取るんだよ。」
わざわざ確認するまでもないが、異界にまで届く電波はまだこのご時世発明されてはいない。
五人そろって、スマートフォンは圏外だ。電話もメッセージアプリも使えない。この状況で、一体どうやって連絡をとるというのだろうか。
「影月と陽光の遠吠えを合図にするのはどうだいー?」
黒羽の言いたいことはつまり、花守の生存確認が取れ次第、二頭の遠吠えを合図にして合流し、一気に少女を叩くというわけである。
「でも、それでは同時に向こうにも探索班の居場所が分かってしまいますよね?」
「別に構わないよー。だって、後は叩くだけだし、逃げる必要はなくなるからね。」
軽薄な言い方ではあるが、その言葉からは、彼の冷徹な一面が垣間見え隠れしている。
―――少女の見た目をしているとはいえ、アレは自分たちを阻むただの殺戮マシーン以外の何物でもない。
まさに、そう言いたげである。
黒羽の細められた瞳から、心意は読みとれない。
だが、いなりはどうしてもそう深読みをしてしまう。
この男なら、そう考えるだろうから。
本人は意識しているのかいないのかはわからないが、こういう時、いなりは黒羽が妖怪であるということを実感する。
そんなことをいなり以外のものは、こんなところで考えることもない。
黒羽の提案を吟味し、「なるほどねえ・・・」つぶやいて、八重は唇をなめる。
「うちは賛成やな。下手に大勢で動き回るよりもずっと良さそうや。」
「俺も賛成。」
「俺もだ。それ以上にいい案は思いつかなそうだしな。」
「私も構いません。」
全会一致である。
黒羽はにこりと笑う。
「じゃあ、早速班分けしようかー。」
真っ先に手を挙げたのは、北斗であった。
「なら、俺が探索に回ろう。」
「そうだねー。花守さんの手がかりがない現状、彼女の痕跡を辿ることができそうなのは陽光と影月だけだからね。」
それに、北斗に囮役をやらせることはまず無理である。賢明な判断といえる。
そうなると、問題は妖怪組の誰が囮をやるかだ。
「そしたら、うちが北斗と一緒にいたほうがいいな。」
「うん、その方がいいかもねー。」
たとえあの少女にはきかぬとはいえ、足止めにもなるし、八重の空間断絶による絶対防御は強力である。また、もし花守が見つかったとき、北斗と合わせて二人の人間を守りながらこの空間を脱出するとなると、やはり防御力、戦闘能力ともどものずば抜けている八重が彼らの側にいるべきだ。
「じゃあ、俺は囮役だな。」
「僕も囮になるよー。愁だけだと、囮の役割をちゃんと果たせなそうだしねー。」
「おい、それどういう意味だぁ?」
愁には申し訳ないが、黒羽が囮役に回ってくれた方が安心できることは否定できない。愁の場合、しっかりと囮役をこなしてはくれそうだが、悪気なく探索班とばったり合流とかしかねない。
「いなりはー?・・・君の場合は、どっちでも良さそうだけど。」
「私も囮役になりますよ。」
愁や黒羽だけでも十分であろうが、かなり負担がある分、やはり人数が多いほうがいい。それに、いなりの力は自分ひとりの身を守ることはできようが、他人をかばいながらの戦闘は不向きである。それに、いなりには聴覚という他のものより優れた武器もある。囮役の方が、まだ戦力になれそうだ。
作戦会議がひと段落ついたところで、びたびたびたという、何かが走ってくる音が外から迫ってくる。迷いのない足音は、まっすぐこちらに向かっているようだ。
あの少女である。
「早速来ましたね。」
「あれだけ派手な音出したんだから、そりゃ分かるかー。」
ガチャガチャと、少女は扉を無理やりこじ開けようとしている。
いなりは、すぅと、静かに深く息を吸う。
さあ、妖怪と殺人少女による、ホラーゲームの始まりだ。
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